太田述正コラム#12132006.5.2

<二人の名立憲君主(その1)>

1 始めに

 今年即位60年を迎える、存命の立憲君主としては世界最長在位記録を誇るタイのプミポン国王と、今年即位54周年を迎えた、日本の天皇と並んで世界で最も多数の「臣民」に君臨する英国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド等の立憲君主たるエリザベス女王は、どちらも名君であり、暗君であるネパールのギャネンドラ国王とは好対照です。

 今回は、プミポン国王の危機対処の鮮やかさと、エリザベス女王の平治の卓越したガバナンスを中心に彼らの名君ぶりについてご紹介することにしました。

2 危機における名立憲君主:プミポン国王

 (1)鮮やかな危機対処

タイのタクシン(Thaksin Shinawatr首相に対する市民団体の辞任要求が高まる中、同首相が2月24日に下院を解散したところ、主要3野党は選挙ボイコットで応じたため、与党候補1人しかいない選挙区が7割近いという異常な状況下で4月2日に投票が行われたのですが、大量の白票のために、20%の法定得票率を満たせない与党候補が続出し、2度の再選挙(補選)を経てもなお14議席が決まらないままとなっていました(コラム#637112011211176)。

そこに、満を持してプミポン(Bhumibol Adulyadej)国王(78歳)が、4月26日、新任の最高、憲法、最高行政の各裁判所長官を前にして発言を行いました。彼のもうすぐ60年になろうとする治世における三度目(注1)の内政への介入です。

(注11992年に親クーデター勢力と民主勢力の抗争を、両勢力の指導者を王宮に呼びつけて「解決」したのが一度目の介入であり、2003年にプノンペンでタイ大使館が焼き討ちされ、プミポン国王の肖像が冒涜されたことに憤り、バンコックで暴徒がカンボジャ大使館を襲った時に、国民に呼びかけて暴徒を沈静化したのが二度目の介入だ(http://en.wikipedia.org/wiki/Bhumibol_Adulyadej。5月2日アクセス)

国王は、タイの状況を「めちゃめちゃ(mess)」であるとした上で、4月の下院選は「非民主主義的」であるとし、国王は暫定首相を任命する権限を持っていないとし、裁判所長官らにこの危機を解決せよ、さもなくば辞任せよ、と迫ったのです。

更に、「何でも国王に頼るな。国王にそんな権限はない」とも述べたのです。

この国王の発言を受け、それまではなすところを知らなかった最高、憲法、最高行政の各裁判所長官は、前例のない長官合同会議を4月28日に開き、その結果、最高行政裁判所は、下院選の二つの補選を無効との決定を下しました。これは実質的に4月2日の下院選挙そのものの無効、やり直しを求める決定であると受け止められています。

下院選をボイコットし、4月2日の下院選を無効とした上で国王に、憲法改正等を行うための中立的な暫定首相の任命を求めていた民主党など3野党連合(People’s Alliance for Democracy PAD)、国王のこの発言を受けて既に4月26日に無条件で28日の裁判所の決定に従い、改めて下院選が行われるなら参加すると表明しており、政府・与党(Thai Rak Thai partyも、26日にも予定していた、(憲法を無視し、定員割れのままでの)国会開会の勅令を国王に求めることを取りやめていたことから、これで一件落着となりました。

(以上、特に断っていない限りhttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060426i216.htm(4月27日アクセス)、http://observer.guardian.co.uk/world/story/0,,1764534,00.html(4月30日アクセス)による。)

考えてみれば、これは、タクシン首相の大勝利であり、もっと早い時点で、こんなラインで国王が介入しておれば、強い反発を受けた可能性があります。

待って待って絶妙のタイミングで介入したところに、プミポン国王の並々ならぬ智恵を感じますし、それにしても彼の権威は大変なものだ、と改めて感じます。

(2)権威の構築

タイの王室の人気は、プミポン国王の伯父の先々代国王の時には地に堕ちていましたが、プミポン国王の兄の先代国王の時に少し持ち直していたところ、それを現在の世界の王室の中で最高の人気にまで高めたのはプミポン国王です。

彼は、スイスで中等・高等教育を受け、理科系と文科系双方の学問を身につけた人物であり、プロ級のジャズ音楽家にして作曲家であり、画家・写真家・作家・翻訳家としても一流です。また、現在の世界の君主のうちただ一人、様々の特許を有する科学技術者でもあります。

このような高い資質を有するプミポン国王が、就任以来、タイ全国を隅々まで訪れ、農村地帯で医療や農業の振興を図るとともに、タイにおける民主主義の進展・定着を図るという努力を重ねてきたのですから、タイ王室の人気が否応なしに高まり、プミポン国王その人が絶大な権威を構築したことは不思議ではありません。

(以上、http://en.wikipedia.org/wiki/Bhumibol_Adulyadej前掲による。)

(続く)