太田述正コラム#11682(2020.11.27)
<坂井孝一『承久の乱』を読む(その48)>(2021.2.19公開)

⇒果たしてそうでしょうか。
 前出のように、(その信頼性はさておき、)「慈光寺本」によれば、院宣の名宛人は、武田信光、小笠原長清、小山朝政、宇都宮頼綱、長沼宗政、足利義氏、北条時房、三浦義村、の8名であったわけです。
 このうち、まず、結果オーライだった者達から行きますが、足利義氏はもちろんのこと、甲斐源氏の庶流である小笠原長清についても、「小笠原貞宗<は、>・・・1331年・・・からの元弘の乱では新田義貞に従い、足利尊氏(高氏)らとともに後醍醐天皇の討幕運動を鎮圧に加わり、北条貞直に属して楠木正成の赤坂城を攻めた<が、>・・・高氏が鎌倉幕府に反旗を翻すとこれに従い、鎌倉の戦いに参加する」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%B2%9E%E5%AE%97
と、また、甲斐源氏の嫡流である武田信光についても、「鎌倉後期には<その子孫である>石和流武田氏の政義<は、>・・・元弘の乱において幕軍に従い笠置山を攻めているが、後に倒幕側に加わり幕府滅亡後は建武の新政に参加している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%B0%8F
と、要は、どちらも、足利義氏の子孫である足利尊氏とほぼ同じ動きをしているのですから、どうして、承久の乱の時点で、足利義氏らと河内源氏同士で語らって、反北条氏の旗を掲げる算段をしなかったのか、と叱咤したくなります。
 (すぐ後で出てくる、武田信光と小笠原長清の「謀議」参照。)
 河内源氏ではないところの、藤原北家秀郷流の小山朝政についても、「<その子孫の>小山貞朝は・・・元弘の乱で討死した<ものの、その子の>小山秀朝は新田義貞の討幕の挙兵に際しては幕府から寝返って討幕派となり、義貞に従って鎌倉攻撃に参加し立場を安堵された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E6%B0%8F
と、同じことが言えますし、藤原北家道兼流ないし藤原北家中御門流の宇都宮頼綱についても、「<その子孫の>宇都宮公綱<は、>・・・元弘の乱<では>・・・楠木正成と戦<い、>・・・活躍したが、六波羅探題滅亡後、後醍醐天皇の綸旨を受け、官軍側に降伏し、包囲軍瓦解のきっかけとなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%85%AC%E7%B6%B1
と、ほぼ同じことが言えます。
 次に結果オーライではなかった者達ですが、北条時房については、その子孫の北条守時が、最後の得宗の北条高時と内管領長崎高資に挟まれたロボット的な最後の執権として、鎌倉幕府の滅亡時に真っ先に自刃する羽目に陥っています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E5%AE%88%E6%99%82
し、三浦義村については、既述した通り、早くもその子供の時代に三浦氏がほぼ全滅させられてしまいますし、小山氏の支族である長沼宗政については、「「建武の新政」で長沼氏は、所領は安堵されたものの、父祖伝来の「淡路国の守護」に認められなかった」
http://kotatu.jp/hyo/tawagoto/2011/06.htm
というので、元弘の乱の時に少なくとも積極的に後醍醐天皇側に与しなかったようであり、このことが、「南北朝時代に入ると、本国である下野長沼荘を維持することも困難となり、嫡流の秀直は所領のあった陸奥国長江荘(南山荘、現・福島県南会津町田島)に移住<する羽目に陥った>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B2%BC%E6%B0%8F
ことに繋がったのではないかと思われ、せめて、元弘の乱の時に、本家筋の小山氏と行動を共にしていたら、という感があります。
 このように見てくると、後鳥羽によるところの白羽の矢は、結構、正鵠を射ていたな、という気がしてきます。
 但し、100年ちょっと、時代が早過ぎた、と。
 ですから、後鳥羽の「東国武士に対するリアリティ<が>欠如」していたというよりは、むしろ「東国武士の想像力が欠如」していたのであり、後鳥羽の唯一の非といえば、彼が「東国武士」がそんな、時代の行く末を見極めることのできないバカばかりである、と、思わなかったことくらいでしょう。
 この点でも、「スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルト<が>・・・「王座上の最初の近代人」と評した<ところの、>・・・早く生まれすぎた・・・フリードリヒ2世」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D) 前掲
に後鳥羽は比肩されるべきかもしれませんね。(太田)

(続く)