太田述正コラム#11800(2021.1.25)
<亀田俊和『観応の擾乱』を読む(その42)>(2021.4.19公開)

 「1353<年>5月20日、鎌倉の龍口(たつのくち)で北条時行・長崎駿河四郎・工藤二郎が処刑された・・・。
 北条時行は鎌倉幕府最後の得宗北条高時の遺児で、・・・1335<年>に建武政権に対する反乱を起こしたが(中先代の乱)、足利尊氏に鎮圧されたことはすでに述べた。
 実は時行はその後、建武4年以前に南朝に帰順していた。
 時行が父を滅ぼした後醍醐天皇に味方したのは、代々姻戚関係を結んで北条一門に準じる厚遇を施してきた足利氏の裏切りが許せなかったからとする見解がある。
 だとするならば、文字どおり近親憎悪の類に近い。
 それからの時行は、南朝軍に所属して足利氏と戦い続けた。
 建武5年正月28日の美濃国青野原(あおのがはら)の戦いでは、陸奥国司北畠顕家軍に属して墨俣川付近で高重茂の部隊を撃破した。
 ・・・1340<年>6月には信濃国大徳王寺城で挙兵し、支那の守護小笠原貞宗の軍勢を迎え撃ち、10月23日に攻め落とされている・・・。
 そして・・・1352<年>閏2月の武蔵の合戦では、・・・新田義興とともに鎌倉や三浦半島で軍事行動を行っている。
 それが尊氏にようやく逮捕されて、処刑されたのである。
 このとき、時行は20代半ばであったと推定されている。
 ともに斬られた長崎駿河四郎と工藤二郎は、北条氏の家来(御内人)であった。
 以降北条氏の残党の活動は、諸記録からほぼ消滅する。<(注72)>」(198~199)

 (注72)「最後の執権赤橋守時の妹登子は足利尊氏の正室として鎌倉幕府滅亡後も生き残り、尊氏との間に産まれた足利義詮および足利基氏以降の足利将軍家・鎌倉公方~古河公方家へと赤橋流北条氏の血は受け継がれている<ところ、>・・・時行の子孫は横井氏を称し、南朝方について戦ったと言われているが、詳細ははっきりせず、定説及び確証はない。この横井氏の子孫は尾張国海西郡(現・愛西市)赤目城主となり、江戸時代は尾張藩家老を務めた。また一族からは俳人として著名な横井也有、幕末・・・活躍した横井小楠などが出ている。また、戦国大名である後北条氏の家臣である横井氏もこの一族とされ、伊勢(北条)氏綱の正室である養珠院殿は同氏の出身とする説も出されている。また賤ヶ岳の七本槍の平野長泰も横井氏の末裔と名乗り、その子孫は交代寄合を経て明治時代に男爵を賜った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F
 「<横井氏は、>北条時行の子が尾張国愛知郡横江村に住し、時行4世孫にあたる横江時利の子が、横井に改めたのがはじまりとされている。・・・北条氏の子孫として<男子は>代々祖先の通字であった「時」の字を名乗りに用いる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E5%B0%8F%E6%A5%A0
 横井也有(やゆう。1702~1783年)は、「本名は時般(ときつら)<。>・・・用人、大番頭、寺社奉行など<尾張>藩の要職を歴任。武芸に優れ、儒学を深く修めるとともに、・・・若い頃から俳人としても知られ、・・・俳文の大成者といわれる<。>・・・也有の句のひとつ「化物の正体見たり枯尾花」は「幽霊の正体見たり枯尾花」と変化して広く知られている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E4%B9%9F%E6%9C%89
 横井小楠(1809~1869年)は、「諱は時存(「ときひろ」「ときあり」)であり、正式な名のりは平時存(たいら の ときひろ/ときあり)。通称は平四郎<。>・・・<現存する>写真でも、肩衣に北条氏の家紋である三つ鱗を付けている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95%E5%B0%8F%E6%A5%A0 前掲
 養珠院殿(ようじゅいんどの。?~1527年)は、「戦国大名・北条氏綱の正室。北条氏康の生母。・・・「横江北条相模守女」とする記録・・・が存在しており、鎌倉北条氏の末裔とされる横井氏(横江氏)の出身であった可能性もある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E7%8F%A0%E9%99%A2%E6%AE%BF
 平野長泰(ながやす。1559~1628年)。「平野氏は・・・横井氏の流れを汲むという。・・・<但し、>長泰自身は父系としての北条氏の血筋ではなく、母系の系統に過ぎない。・・・子孫は3代の長政の代で早くも血統は途切れ、他家より養子が入るが、9代続いて明治まで存続し、明治新政府の高直しにより大名・田原本藩となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E9%95%B7%E6%B3%B0

⇒家というか血統というか、は、興味が尽きません。
 北条氏も、また、その後裔とも言える足利氏も、それぞれの全盛期に比べれば、江戸時代以降は振るいませんでしたが、幕末に横井小楠を生み出しただけで、以て瞑すべし、でしょう。(太田)

(続く)