太田述正コラム#1334(2006.7.6)
<英国の大法官の廃止>(有料→公開)

1 始めに

 無料コラムを続ければ、もう少し有料購読申し込みがあるかと思ったら、残念ながらありませんでした。
 有料コラムが一つもないじゃないか、と言われる前に、有料コラムをお送りします。
 一見特殊なテーマなので、どうしてこれが有料なのか、とお考えになる方もおられるかもしれませんが、そう堅苦しいことを言わずに、お付き合い願います。

2 英国の大法官の廃止

 英国で、大法官(lord chancellor)という官職が7月6日に廃止されました。
 大法官は、上院議長・最高裁長官・国務大臣等を兼ねた官職であり、首相によって任命されていました。
 2005年にはまず(上院内の)最高裁長官の機能が(同じく上院内に)新設されたlord chief justice職に移され、更にこのたび、上院議員の互選により上院議長(speaker in the Lords)が選ばれたことによって国務大臣職(強いて言えば日本の法務省に近いLord Chancellor’s Departmentの長。このDepartmentは2003年に廃止され、Department for Constitutional Affairsとして再編された)とも分離され、英国史において国王に次いで長く続いた官職である大法官職(注1)はその歴史を閉じたのです。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-lords5jul05,1,5990663,print.story?coll=la-headlines-world
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B3%95%E5%AE%98
及びhttp://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Chancellor(7月6日アクセス)による。)

 (注1)605年に設けられたという説もある。長きにわたり、国王は別格としてイギリスで最も格式の高い官職だったが、1721年に首相に実質的にその座を奪われた。有名な大法官に、トマス・ベケット(Thomas Becket。1118??1170年カンタベリー大司教と兼務していたが、ヘンリー2世の放った刺客により同寺院内で殺害された)、ヒューバート・ウォルター(Hubert Walter。???1205年。リチャード1世(獅子心王)及びジョンの二人のイギリス国王の大法官)、トマス・モア(Thomas More。1478??1535年。「ユートピア」の作者。ヘンリー8世によって刑死させられる。コラム#183、927)、フランシス・ベーコン(Francis Bacon。1561??1626年。哲学者。コラム#46、54、84、88、916)らがいる。

3 コメント

 大法官とは何か、については、英国(特にイギリス)の行政・司法(コモンローv.衡平法)・議会の歴史全体に関わるだけに、簡単に説明するのは困難ですが、いずれにせよ、行政・司法・立法にまたがる大法官という官職が英国史を通じて存在し続けたことは、いわゆる三権分立などという概念が、アングロサクソンの本家には存在しない(コラム#47、304、503(注2))ことを示しています。

 (注2)なお、コラム#503で、イギリスを二権分立としたのは、ミスプリに近い誤り。

 では、分立していない権力はどこに所在したのでしょうか。
 それは一貫して議会です。
 ゲルマン人時代のゲルマン部族集会(Germanic assembly。コラム#61等)→アングロサクソン諸王国時代のウィタン(WitanないしWitenagemot)→ノルマン朝のキュリア・レジス(curia regis。封建制下の高僧・大名集会と考えればよい)→議会(Parliament)(注2)、 が一貫してアングロサクソンの政府の首長の選出/罷免及び司法・税務・治安/安全保障に係る首長の補佐を行ってきたのです。
(以上、http://en.wikipedia.org/wiki/Witenagemot、及び
http://en.wikipedia.org/wiki/Curia_Regis(どちらも7月6日アクセス)による。)

 (注2)13世紀後半のシモンドモンフォール(Simon de Montfort)の叛乱の際、叛乱側だけで、既に騎士(knight)を成員に加えていたところのキュリア・レジスを更に拡大して地域(borough)選出議員を加えた集会を開き、これをエドワード1世がまねして1295年に議会が成立し、更に、エドワード3世の時に上下両院が分離した。

 つまり、イギリスは一貫して、三権分立ならぬ議会主権の国なのです。