太田述正コラム#12117(2021.7.3)
<皆さんとディスカッション(続x4853)>

<山本>

 古代ギリシャをアサシンクリードで学ぶ。
 2倍速で鑑賞がオススメ 最後にアトランティス島が出てくる。
https://youtu.be/osVU_8geK5g
https://amzn.to/3w7gwS1

<太田>

 その動画に「解説」で登場する、自称古代ギリシャ・ギリシャ神話研究家の藤村シシンこと柴田紗江子(東京女子大学大学院(西洋史学専攻)修了)さん
http://www.style-21.jp/diary/sisinf/
って、要するに、小学生歴史オタクがそのまま大人になったような愉快な人ですね。
 Youtubeが2倍速で視聴できる、なーんてことも含め、ご教示、ありがとう。

<TSY>

 太田さん、先日<のオフ会>はありがとうございました。
 信長について、こんなことを調べてみました。
 ご笑覧ください。
 これを調べる過程で、蘇峰ってぶっちぎりに偉い歴史家な感じがしました。
 人物評価、筋目の押さえ方、舌を巻きます。
 書き手としては「直感」型の人。さきに結論がでていて、それをそこそこの理屈でうめていく。
 理屈に注目すると「たいしたことない」となりますが、結論だけみると、「げっ」こんなことに気がついているんだ、すごい! となります。
 蘇峰は、蘇峰の理屈と結論の間にあるギャップを、補填しながら読むと楽しく読める気がします。—————————————
■ 信長と日蓮宗
● 方法
太田さんの講演原稿から、信長と濃姫(帰蝶)両名と関係のある法華経寺院、法華経坊主を抽出。それをキーワードに、『近世日本国民史』、『信長公記』、『信長(秋山駿 新潮社)』をあさる。
日蓮主義者(天下布人間主義)であるかどうかがポイントで、現実の日蓮宗の寺・坊主にこだわるのは、二義的。なので、以下は二義的な探索。
そのついでに、史料が少ない濃姫についても、言及ヶ所があれば拾う。
{ }内は筆者の個人的感想。すいません、同じ{ }を事例列挙部分については、この調査と直接関係のない、事例であることを示す記号としても使います。同じ記号を二つの意味に使う不手際はご寛恕願いたく。
● キーワード
・ 妙覚寺(京都 。信長の妻の祖父の松波庄五郎が出家(得度)した日蓮宗の寺。1569年の織田信長の京都滞在時の宿舎。)
・ 常在寺(美濃。 松波庄五郎に長井長弘(美濃守護土岐氏小守護代)を紹介した日運がいた寺。信長の義父の斎藤道三の墓所。)
・日乗(日蓮宗坊主。イエズス会活動妨害。毛利氏の援助をうける。京都天台宗三千院で出家。後奈良天皇から日乗の号を授かる{いきなり天皇?}。この坊主の「夢想(内裏改修工事が具体的内容)」を公家のトップ近衛前久が後奈良天皇に報告し、坊主のはずの日乗が改修工事施工。一方、朝廷だけではなく、室町幕府にも顔が利いて、幕府の依頼で、1563年毛利・大友の和平調停にも当たる{前段は近衛前久の犬。後半は1555年の前久が室町幕府を見限り(改名、太田説)からだいぶたつので、日乗の判断か}。日蓮宗信者の松永久秀に毛利氏からの書状を届けようとして、久秀と交戦中の三好三人衆に捕縛され、幽閉。1568年正義町天皇の勅命で罪状?は許され、京都帰還。近衛前久に法華経講義{ とすると、日乗の反イエズス会は、近衛前久の意志ということになる}。1569年松永久秀の使者となり、吉川元春のところに行く。同年またしても内裏の修理役。1568年 正義町天皇から(京都からの?日本からの?)宣教師追放の勅命をひきだす。{綸旨と勅命の違い、どっちがより重いかとかの実質評価ができないので、筆者力不足の混乱を文中にもちこまないため、綸旨も勅命と以下まとめちゃいます。要は天皇の命令}。同じく1568年 フロイスと信長の面前で論争。1569年 信長に宣教師追放を直訴するも失敗。親イエズス会武将の和田惟政の失脚を工作するも失敗。毛利との折衝に従事。死去するまで信長の近くにたらしい。)
・ 本圀寺(日蓮宗。本国寺とも表記。1568年 上洛した義昭の宿舎)
・ 建部紹智(日蓮宗信者。1579年の安土宗論の関係者。霊誉玉念坊主に難癖をつける。安土宗論後、堺に逃げる(堺の関係者? 堺は日蓮宗信者多し)信長の命で斬首)
・大脇伝助 (日蓮宗信者。1579年の安土宗論の関係者。霊誉玉念坊主に難癖をつける。塩売りの町人。じつは霊誉玉念の宿舎の提供者。信長の命で斬首)
・ 日諦(日蓮宗坊主、常光院。安土宗論の対決者。斎藤道三が見出す。犬山にいたことも。)
・ 常光院
・日珖(日蓮宗坊主、頂妙寺。安土宗論の対決者。父は堺の豪商)
・頂妙寺
・日淵(日蓮宗坊主、久遠院。安土宗論の対決者)
・久遠院
・妙国寺(日蓮宗。安土宗論に際して、普伝なる非日蓮宗信者を賄賂でつり、その博識を利用して宗論に勝とうとする悪だくみをした寺)
・本能寺(日蓮宗。1570年(姉川の戦いの年)、京都での定宿とし、他の人の宿泊を禁じる。京都の日蓮宗の信者は信長に鉄砲、火薬をみつぐ。1582年の信長敗死の舞台。)
● 『近世日本国民史』1934年版 入力時間節約のため漢字表記は不正確です。なお、『近世日本国民史』の信長関連部分は、織田氏時代の前篇、中篇、後篇の三冊。以下、それぞれを、上、中、下と略記。
・ 上p.150 「平手(平手中務政秀)のきもいりで、……美濃の斎藤道三のむすめと、婚約……。」
・上p.156 信長をいさめて死んだ、平手のために政秀寺を立てる。残念ながら臨済宗。
・上p.158 「斎藤山城道三、富田の寺内正徳寺までまかりいずべくそうろうあいだ」。道三による信長の値踏み。正徳寺は浄土真宗。
{・上p.164 「天正の頃、明智光秀砲術に妙を得たりといふて、その名を知られしは、始めこの道三を師として、これを手練せしゆえなり」{日蓮宗関係人脈からは、この道三、京都の町衆の日蓮宗信者(信長に鉄砲、火薬をみつぐ)といい、鉄砲の匂いがする。}}
{・上p.196 信玄の情報収集能力の高さ。信長のことを調べるのに、直々に「天台宗の天澤和尚について、信長の平生をただし、その性癖、嗜好の末におよび、強いて和尚をして、信長の愛唱する小唄さへ歌はしめ」たという。}
{・ 上p.234 家康と信長の同盟の質。「両心相照らし、たがいにその見識が徹底しなければ、あたはぬ事である」。家康の、人間主義性や、日蓮主義性も測る必要がある。}
{・ 上p.238 道三は「小科のやからをも、牛裂にし、あるいは釜を据え置き、その女房や親兄弟に火をたかせ、人を射殺せし」とある。{すくなくとも表面的には人間主義者とはいいかねる。信長にも眉をひそめるような所業はあり、戦国期の人間主義者の認定は、他の時代より難しい。}
{・ 上p.242 岐阜のいわれ。澤彦(たくげん)の岐阜山記からの引用「周が岐山のもとより起こった故事にちなみて、改めて岐阜と称えた」とある。また明応より永正の頃までの旧記
に「山を岐山といい、里を岐阜と申す」とある。残念ながら信長のネーミングではなさそう。}
{・上p.245 信長は美濃平定後に、正親町天皇から綸旨をもらう。その綸旨の直接の書き手は萬里小路惟房。おもしろいのは、この人物、のちにイエズス会の「最悪の敵」とフロイスが名指しで非難するようになること。}
{・ 上p.290 最初の上洛のときの京都の宿は東福寺。これは臨済宗。}
{・ 上291 織田信長はいつ日本平定のビジョンを得たか。それが具体的にでているのは、1568年の、初上洛時の紹巴とのエピソード。紹巴が二本(にほん)の扇子を献上。
それに対してまず信長が、「二本手に入る今日の喜び」で、紹巴が上の句をひねって「まいつるる千歳万世(ちよよろずよ)の扇子にて」とつける。}
{・上296 信長は、義輝殺しの松永久秀を許す。たとえば後代の新井白石はこれを強く非難している((松永に大和一国を与えるとは)さればこのたびの軍は何のためなりしを)。{松永久秀は、Wikipediaの注をみると、日蓮宗の本国寺のために動いている。また、斎藤道三と祖先が同郷だったという噂もある。なんとなく日蓮宗シンパな感じはする。}}
・ 上p.298 信長は自軍の兵が、非戦闘員に狼藉を働くをことを禁じ、それを守らしている。このあたりは、人間主義の実践にみえる。不必要な関所の撤廃も、一般人の生活向上に直結した(関所通行税を払わなくてすむ)。
・ 上p.305 細川(藤孝?)の屋敷に美戸石という大石があった。信長はこれに眼をつけ、東山慈照院の庭に据え付けさせている。運ぶことが京都の話題になるようなイベント。信長の石への趣味的な関心がはっきりあらわれているので、念のためにメモしておく。
・ 上p.306 義昭の新居の建築に、石仏を石材として使った。蘇峰はこれをもって信長は既存の仏教に満足していなかった証とみる。
{・上p.308 蘇峰は信長を皇室尊重主義とみる。「皇室を以て、天下統一の中枢となした」。}
{・上p.309 太田日本史の特徴は、「有力者」である皇室の決定的な役割をありありと語ることだが、蘇峰も信長を通じて、皇室の役割に近づいている。皇室を卓越した国家戦略の立案、実行主体とみる太田日本史的な観点があれば、蘇峰はもっとすっきりと、この下りを書けたと思う。「他人の皇室における、何となく神社仏閣におけるがごとく、一種の神秘的、歴史的、信仰的にとどまった。信長においては、さらに政治的権威の源泉として、これを奉戴した」
{なぜ源泉であったのか、人間主義と、縄文的弥生人を育成するという二大戦略の立案者かつ実行者だったから。天才的数学者や物理学者が、自分のことを、松明を偉大な前任者から受け継いだだけの者にすぎないと意識するのに近い。信長には「人間主義」を皇室から受け継いだという感覚があったとみたい。}
{・ 上p.310 蘇峰は発言の重要性がわかっていないが、秀吉が信長の意図を、理解し、忠実にそれを継続しようとしたことは、わかっている。「秀吉の如きも、その皇室尊崇は、確かに信長を踏襲したに外ならぬ」。{家康はどうなのか。中途半端な人間主義。縄文的弥生人を、より縄文人に近い腑抜けにしてしまった。西洋文明の性質を見誤った。英国の東洋進出のスピードがはやく、島津斉彬が生まれる前に、日本侵略が始まっていたとしたら、日本は危うかった、とまあ、僕の評価は、こうなるのですが。}
・ 上p.310 皇室が信長にとってかくも重要だとすると、織田家で皇室関係の折衝をした人物も重要と云うことになる。この頁に、皇室の今まで宇津氏に横領されてきた財産を、旧に復する手紙が引用されている。そこに署名した人物と、その宗旨をならべてみる。
・・ 木下藤吉郎秀吉(名古屋市の常泉寺の設立解説をWikipediaでみると日蓮宗の可能性あり)
・・ 丹羽五郎左衛門長秀(墓所のあった総光寺末寺宗徳寺は廃寺。総光寺は曹洞宗)
・・中川八郎右衛門重政(宗旨、墓所不明。二男の津田光重の墓所は、富山県南砺市の恩光寺でこれは曹洞宗)
・・ 明智十兵衛尉光秀(墓所の西教寺は天台宗)
・ 上p.311 朝山日乗の初出。京都御所の修復工事。出典は『山科言継日記』。{山科言継は、医師薬剤師兼外交官(スパイ)兼朝廷集金係。何しろ従一位。なんで日記を書いたか気になる。}
{・ 上p.326 蘇峰の日蓮宗観。皇室の影響力は低下し、各地の国主の権威も低下した戦乱期なので、宗教集団の力は相対的に増す。これは一向宗も日蓮宗も同じ。一向宗も日蓮宗もともに戰爭に参加できる武器を所持。一向宗と違うのは、日蓮宗は寺院を世襲にしない傾向があり、自集団統治の力が弱かった。信者からの金集めも日蓮宗の能力は弱かった。}
{・ 上p.385 金ケ崎の退却。秀吉や家康の奮闘は有名。さらに、松永久秀が決定的な働きをしている。まず、即時退却という良案を信長に具申した。退路を提案し、退路を領有する朽木信濃守元綱と信長のために折衝、信長を無事に逃がすことに成功。}
{・ 中p.134 岐阜城を根城にしていた時代に、信長は家督を信忠に譲る。そのとき、譲るときめた信長は、
1.茶道具は手許に残す。
2.佐久間右衛門(信盛)の邸に引っ越す。
後に信長によって追放されることもあって、注目されにくい人だが、身柄を預けるのだから、信頼を勝ち得、信長への影響力もあったに違いない人物。追放後は高野山住みなので、日蓮宗とは関係なさそう。}
{・ 中p.161 安土状の障壁画。2階(全7階建てとして)にも中国の儒者の絵あり。6階には釈迦入滅図も。なので、信長の思想表現としてみるときは、7階だけではなく、全階に眼を配る必要があるかも。}
{・中p.166 天主に関する蘇峰の説。「(天主閣は安土城から始まったというのは間違い)永正年間、摂津伊丹城に、既に天主閣があった事実よりすれば、これは梵典からきたもので。城そのものを須弥山にかかたちどり、天主はすなわち帝釈で、須弥33天の主宰として、上層に位し、そのもとに四天王あり、その一たる多聞天をかたちどりて、天主閣のもとに、多聞櫓を作ったのであろう}
・ 中p.168 信長は南化和尚に命じて『安土山記』を書かせる。{この南化は、南化玄興ではないか。だとすると、彼は臨済宗で、妙心寺の58世。土岐氏出身。}
・ 中p.168 南化と蘇峰は、ともに、安土城を、信長だけの企図で作られた城とみる。
南化「何翅力士之力 巧匠之巧乎。唯流出府君之一胸襟 而已。」
蘇峰「信長の一胸襟は、単に安土城をなしたのみではない、その秀吉にそそいで、桃山となり、大阪となった、その家康にそそいで、江戸となった。」
{・ 中p.174 信長は安土宗論(1579年)の2年前に発した法令に、こんな一条を置いている。
「一つ、喧嘩口論、ならびに國質、押し買い、押し売り、宿の押し借り以下、一切停止之事」{ 最初に辻説法の坊主に口論をふっかけた二人が斬首された根拠の一つはこれ。}}
{・中p.212 日本人は最初イエズス会士を、「西域来朝之僧、為仏法紹隆」と、仏僧とみていた。}
{・中p.254 1565年、義輝を殺した直後の混乱のなか、京都の日蓮宗信者は、日蓮宗の松永久秀にイエズス会士の処刑を求める。{日乗といい、キリスト教に帰依する坊主もだした天台宗とは、だいぶ、違う}}
・ 中p.268 信長の同時代の坊主への視線「坊主共は、己れ驕者、放逸にふけりて、みだりに民財をかすむるものである」
{・中p.272 日乗とイエズス会士の問答をみると、彼は霊魂不滅を信じていない。また死後の世界も信じていない。イエズス会側のこの記録が正しいとすると、日乗は「輪廻」を信じなかったことになる。}
{・ 中p.280 日乗は浄土宗という説を紹介。墓が知恩寺にあるのがその根拠。}
{・中p.444 松永久秀の息子の永種は、東福寺(臨済宗)で修行。{おもしろいのは、彼は法華経を、人一倍早く読み理解することができたことで評判をとる。父が日蓮宗だったからか。}
{・下p.19 『信長公記』の著者、太田牛一{あら、誰かさんと同じ姓}は、尾張の常観寺で修行している。{常観寺は現在は、成願寺と漢字を変えている。天台宗。}}
{・ 下p.58 日蓮宗と浄土真宗の不仲の実例。1532年 光教の率いる山科本願寺を、六角定頼と日蓮宗信者が焼き討ち。}
{・ 下p.67 信長は日常的に南蛮を世界の一部ととらえて、いたらしい。先に言及した忠義者の佐久間信盛に、信長はお叱り書簡を出している。非常に厳しいことが書いてある。怒りのもとは大坂城攻防戦の不甲斐なさだが、それはよい。佐久間がけちで、蓄財ばかりしているという叱責のあとに、こんな一句がある。「しはき たくわへばかりを本とするによって、このたびの一天下の面目を失ひし候儀、唐土、高麗、南蛮までもその隠れあるまじき事」。
南蛮に注目したい。}
{・ 下p.106 1581年の「馬揃」。正親町天皇も参加。未曾有の盛事。この事件の太田牛一の記述が実におもしろい。人間主義の匂いが色濃い。
「(天皇参加の馬揃をまのあたりにして)貴賤群衆の輩、かかるめでたき御代に生まれあわせ、天下安泰にして、黎民(れいみん)烟戸ささず」 台所の煙が、消えないという。}
{・下p,106 同馬揃の詳細は、牛一も宣教師も残している。安土城が信長の思想の表現だったように、このイベントも、まず間違いなく信長の思想表現。この大イベントのプログラムを時系列に整理し、それぞれに、信長がこめたメッセージを読解する必要がある。それをふまえた、全体のメッセージも。}
{・下p.122 信長が日蓮宗信者であったことへの言及あり。「『鷺森旧事記』には『信長公は、元来日蓮宗なり。旗じるしにも、一幅の黄絹に、永楽の銭をつけ、招きには南無妙法蓮華経の、御手題目を書き付けられたり。かねて日蓮党に頼まれ、念仏宗を嫌い、本願寺滅亡の企てを、意内に含みたまえるよし』とあり」また「『大谷本願寺通記』には、いちにいふ、日蓮宗、京妙覚寺の日乗、信長にすすめてこれ(本願寺攻め)をせむ。けだし信長の志は本山を滅ぼすにありて、ただに寺地を欲するにあらず」。ただし、蘇峰自身は、信長は一切の宗教に対して一視同仁として、これら史料を「宗派仲間の色眼鏡」と切ってすてる。{日蓮主義者だが、日蓮宗の信徒ではない、の後段、信長を既存の宗派の信徒と分類するのは、間違っている、までは蘇峰は太田史観に接近している。}}
{・下p.327 信長は高野山と対立し、1581年に、各地の高野聖1383人を、安土のまちはずれ、京都の七条河原、伊勢雲出川で殺す。高野山そのものにも、堀秀政が出向き、にらみ合い。本能寺の変がなければ、比叡山と同じ運命だったろうというのが、蘇峰のみたて。{縄文的弥生人の魂救済と、弥生人たる他の民族並の悪党に堕さぬための防御措置として、聖徳太子、桓武天皇が養成した仏教も、1000年の垢で、もはや賞味期限切れになった感じをもつ。日蓮主義(縄文由来の人間主義を他民族に普及させる)は、島津斉彬によって再生したが、日蓮宗はその日蓮主義の香りの故に多少の影響力を保持したものの、日本仏教全体は、聖徳太子-桓武天皇路線の栄光をとりもどせなかった。日本の仏教の栄光は『源氏物語』『平家物語』『今昔物語』で尽きた気がする。}}
・ 下p.472 蘇峰は、信長の朝鮮、中国、南蛮への侵略計画を、当時興隆をほこった海賊の影響とする。平戸を本拠地にし、中国沿岸を略奪し、フィリピン、ベトナム、タイ、マラッカに侵攻した王直。明の海賊徐海は、大阪から薩摩、はては対馬の日本人を雇い、中国沿岸を襲う。顔振泉は、台湾を本拠にし、日本甲螺(=日本頭目)と称し、中国沿岸を荒らした。この振泉を継いだのが鄭芝龍で、その息子が有名な鄭成功(清と戦い、オランダ人と戦い、台湾を領有)。明に留学した坊主経由、平戸の武士経由で、海賊の動向は信長に耳に入っている。蘇峰は「吾人は信長支那征伐説の、いたずらに架空の想像説でないという判断に同意せざるを得ぬのだ…… いずれにしえもすべての事に、信長の足跡をたどりたる秀吉が、この海外に手をのばすことのみ、前人未発の意見を立てたとは思えぬ」という意見。{思想的な先達を日蓮にみるというのが蘇峰になかったのは残念。太田説にとっては、信長は、杉山と並んで重要。やはり聖徳太子は深入りするには、古すぎて史料面で苦しい。}
・ 下p.510 蘇峰は信長の統治の特色として、新規占領国の支配を、味方してきたその占領国の旧来の勢力にまかせず、自分の部下にまかせていることをあげている。その新占領国と地縁・血縁のない人物の派遣。この一代にかんしては、郡県的。封建的ではない。
{島津斉彬より明確に、信長は世界文明のトレンドを把握し、実力任命制、近代官僚制の効率に近づいている。忠臣の佐久間信盛をよい年になってから、いいがかり同然の罪状で、放逐したのは、佐久間が非能率になってきたからではないか。強い弥生人を養成するべく聖徳太子はあえて封建制(土地を守ることを動機にする戦士)を発案した。これは中国の試験にうかったら郡県で官僚として派遣するという郡県制よりは、成功した。その成果が元寇撃退。しかし、貨幣経済が主流になると土地は動機として弱くなる。実力者による郡県制(=中央派遣の官僚制)が必要な時代がはじまっている。信長はその時代に見事に応えている。家康はこの文明のトレンドがわかっていなかった。家康はそろばん勘定に弱い、前時代的な戦闘指導者を大量に養成してしまった。もし、貨幣経済重視の信長秀吉の延長戦上に指導者が養成されれば、資本・通貨戦争で戦後日本はもうちょっと戦えたかもしれない}
● 『信長公記』新人物往来社版 1965年
・ 巻首p.26 「さて、平手中務才覚にて、織田三郎信長を斎藤山城道三聟に取り結び、道三が息女尾州へ呼び取り候ひき」{濃姫、帰蝶、等の名前無し}
・巻五p.125「信長公の嫡男奇妙公具足初めに」 {信忠を指すと注にある。単なる勘だが、奇妙という呼び名は、南無妙法蓮華経に通じる気がする。}
・巻八p.164「先年より、御分国中数多これある諸関・諸役の儀等御免なされしゆえん、路次の滞り、いささかもって、これなし。誠に難所の苦労を忘れ、牛馬のたすけ、万民おだやかに往還をなし、黎民烟戸ささず」{ 信長の人間主義の栄光! また、それを理解し書き留める太田牛一も立派}
・ 巻八p.172 信長は山中という場所に、いつも一定の場所にいる乞食をみる。かわいそうに思い、木綿20反を与え、近隣の人に春に麦を1斗、秋に米1斗を施してもらえないかと信長自ら依頼する。「山中町中の男女、袖をしぼらぬ者もなし。……かくの如く御慈悲深き故に、諸天の御冥利あって、御家門長久に御座候と、感じ申すなり」{お涙頂戴話が捏造される現代とは、違う時代の報告と思いたい。かわいそうな仲間を、可能なら助けたい、そういう気持ちが、他のことに優先して浮かんでくる、そういう身に付いた性分がある、こういうのを読むと、信長も、これを重大事として記録する信長の周辺も、人間主義者、あるいは、人間主義者候補の資格をもつ。秀吉、家康にこういうエピソードがあるか、明の皇帝は、ハプスブルクの王族は、どうだろう}
・巻10p206 この頃、妙覚寺(日蓮宗、京都、2条)に宿泊する記事複数回あり。
・巻11p.217 1578年の正月茶会の出席者は、林佐渡守、滝川左近、羽柴筑前などそうそうたる顔ぶれの12人。その中に二位法印という名前が。すは日蓮宗の坊主かと調べると、間違い、武井夕庵という織田家の武将にして書記官。ただくせもの、何しろ土岐氏→道三→義龍→龍興→信長とずっとずっと書記官をつとめている。墓所不明、宗旨不明。気になる。
・ 巻12p.247 信長に集中したこの伝記では異質な記述。京都の糸屋の後家が娘に殺され、それを下女にちくられて、娘が処刑されたという事件。わざわざ「法華宗にて候へども、誓願寺の沙弥をよびよせ」と書く。この記事を挿入した意図がわからない。気になる。誓願寺は浄土宗の寺。と、思って続きをよむと、3頁あとに、安土宗論の記事。この糸屋後家の事件は、日蓮宗の印象を悪くするための操作。
{ 巻12p.280 荒木久左衛門の女(妻か側女かは不詳)には、「たし」と固有名詞を記している。なのに斎藤道三娘の名前は書かない。これも少し不思議。}
・巻十五p.383「信長、初めには、御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし候へば、何れも時刻到来候て、御弓の弦切れ、その後、御槍にて御戦ひなされ、御肘に鎗疵を被り、引き退き、是れまで御そばに女どもつきそひて居り申し候を、女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと、仰せられ……」{斎藤道三息女がいたかどうかは不明。}
・巻十五p.384 (織田家の当主)三位中将信忠は、本能寺の変の当夜、日蓮宗の妙覚寺に宿泊。二条新御所で奮戦後、切腹。
・巻十五p.388「蒲生右兵衛大輔、この上は、御上﨟衆、御子様達、まず日野谷まで引き退き候はんに、談合を相究め、……それぞれに御上﨟衆へ警固を申しつけ、退き申され候」
{ここにも女性の固有名詞の記述無し。}
● 『信長』秋山駿 1996年
ヴァレリー、アラン、プルターク、プラトン、スタンダールの文言を引用しながら、信長を評する。日本史家の表現の乏しさ、表現の絶望的な下手さに、うんざりしたときに読むと、欧州の書き手の颯爽とした書きぶりに、ああ、表現ってこういうものだったなと、ホッとすることがある。そういう使いかたには、適した本。
・p242「余談だが、本能寺の変後、総括としての信長批評でフロイスは、「日本66カ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった」と、まるで秀吉の先駆者であるかのごとく観察しているが、この二つは共に、フロイスの間違いであろう。日本に長く居すぎて俗な情報にも親しみ、また、秀吉の言動などにも通じたための誤解であろう。信長は、外国との「外交」を欲したので、それは文化の交流から始まる。戰爭を欲したのではない。秀吉には、こんな考え方はない。そして、息子達のことにしても、どこの馬の骨ともしれぬ男達、秀吉や光秀以上に遇されているとは思われぬ」{信長に直接あったフロイスを、よくもあ、こんなに舐めた解釈で貶められるものだ。蘇峰に較べて歴史家として劣る。軸がない。軸があるという状態がわからない。}
● まとめ
信長の「日蓮主義」ならぬ「日蓮宗」との接点を探そうとしたが、ご覧の通り、はかばかしい成果はなかった。太田さんがすでに書かれていたことの、追認にとどまる。
濃姫の史実どころか、史料さえも増やせなかった。ただ、もし濃姫が、連歌の席で活躍したり、事におよんで印象的な和歌を詠んでいたら、太田牛一は採録した気がする。そっち方面の活躍がなかったらしいことが残念。
政治が目指すべき理想として、信長の身近で使えた牛一が「黎民烟戸ささず」(冠をかぶるような官位がなく黒髪むきだしの常民の台所の烟が鎖(= 封「鎖」、さす)されていない)としていることが、日本書紀の仁徳天皇の「烟気不起」を心配し「炊烟亦繁」で喜んだ故事を連想させ、日本の指導者層の古墳時代から戦国時代にまで一貫した「人間主義指向」の確認になった。これは個人的にはうれしかった。

<太田>

 宇津氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E6%B4%A5%E9%A0%BC%E9%87%8D
ってのは知りませんでした。
 さて、私は、同じ日蓮主義者として秀吉は信長が始めたことを単に継承しただけである、という捉え方をしているのですが、秀吉が唯一継承しなかったこと・・慧眼の読者はそれが何かもう分かっていると思います。秀吉がどうして、それを継承しなかったのか、理解はできます。・・が原因で、秀吉は、天皇家/近衛家と対立すると共に、甥の秀次を誅殺することになった、と見ており、次回のオフ会「講演」原稿で詳述するつもりです。
 非日蓮主義者だった家康については、やはり、その原稿で取り上げなければならないところ、残念ながら、まだ、手つかずの状態です。

<太田>

 コロナウィルス「問題」。↓

 <Bon!↓>
 「・・・死者は25人増えて計1万4833人となった。・・・」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODL250V00V21C20A1000000/
 <いいねー。↓>
 「メモリー(記憶)Bリンパ球の証明! 2回接種すれば終生免疫? なんてワクチンだ!・・・」
https://blogos.com/article/546743/

 それでは、その他の記事の紹介です。

 やっぱ、余罪が・・。↓

 「経産省キャリア詐欺 別会社でも家賃支援給付・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%b5%8c%e7%94%a3%e7%9c%81%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%aa%e3%82%a2%e8%a9%90%e6%ac%ba-%e5%88%a5%e4%bc%9a%e7%a4%be%e3%81%a7%e3%82%82%e5%ae%b6%e8%b3%83%e6%94%af%e6%8f%b4%e7%b5%a6%e4%bb%98/ar-AALIdly?ocid=UE03DHP
 <アタマ相当悪いって分かるだろ。も一度言う。この2人は脳死してる我らの政府の象徴。↓>
 「【衝撃事件の核心】経産キャリア 詐欺見抜かれた「派手な生活」・・・
 ある省庁幹部は「経産省の若手には起業家志望者が多く、経産省側もアイデアマンや行動力のある若手を取りたがっているが、今回はそれが裏目に出た」と分析。その上で、「幹部候補人材の質が低下している」と突き放した。」
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%90%e8%a1%9d%e6%92%83%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%ae%e6%a0%b8%e5%bf%83%e3%80%91%e7%b5%8c%e7%94%a3%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%aa%e3%82%a2-%e8%a9%90%e6%ac%ba%e8%a6%8b%e6%8a%9c%e3%81%8b%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%80%8c%e6%b4%be%e6%89%8b%e3%81%aa%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%80%8d/ar-AALIaWr?ocid=UE03DHP

 政府が脳死してると、日本の大企業も次々に脳死へ?↓

 「三菱電機、杉山社長が引責辞任へ 検査「組織的不正」・・・」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC022L50S1A700C2000000/

 我らがマリオは引き続き世界で活躍中。↓

 ‘Mario Golf: Super Rush’: Maybe a little bit too chill・・・
https://www.washingtonpost.com/arts-entertainment/2021/07/02/mario-golf-super-rush-maybe-little-bit-too-chill/

 ややや、平岡円四郎も日蓮宗信徒だったー。↓

 「東京に平岡円四郎の墓<が、>・・・東京都墨田区の日蓮宗本久寺に残されている・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%81%ab%e5%b9%b3%e5%b2%a1%e5%86%86%e5%9b%9b%e9%83%8e%e3%81%ae%e5%a2%93-%e4%b8%80%e6%a9%8b%e6%85%b6%e5%96%9c%e3%81%ae%e5%81%b4%e8%bf%91-%e6%b8%8b%e6%b2%a2%e6%a0%84%e4%b8%80%e3%82%92%e7%99%bb%e7%94%a8/ar-AALIwNz?ocid=hplocalnews 

 日・文カルト問題。↓

 <またまた0隠し。↓>
 「・・・死者は前日から1人増えて計2025人となった。・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210703000100882?section=society-culture/index
 <韓国では、石を投げれば詐欺師に当たるって感じだな。だから、「大統領選に打撃」大して与えないんでは?↓>
 「韓国前検事総長の義母に実刑 大統領選に打撃・・・」
https://www.sankei.com/article/20210702-LWXHV2ZEBBLVBOSIC5A6NUZ4II/
https://japanese.joins.com/JArticle/280349
 <この李在明、教祖2世的人物らしいわ。↓>
 「尹錫悦氏25%、李在明氏24%…韓国大統領選挙支持率3カ月ぶり逆転・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/280348
 <ね。↓>
 「李在明知事、2年前から京畿道レベルで「親日清算」掲げる・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/07/03/2021070380014.html
 <ね、ね。↓>
 「李在明知事「親日・米占領軍が大韓民国を樹立」–・・・「清潔な国をスタートできなかった」・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/07/03/2021070380013.html
 <ね、ね、ね。(こりゃ、他の与党系大統領候補者達も言ってることだが・・。)↓>
 「李在明知事「東京五輪ボイコット検討すべき」・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/07/03/2021070380016.html
 <教祖吼える。↓>
 「文大統領「日本の奇襲攻撃式輸出規制、むしろ自立度を高める契機になった」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/280351
 <日本側は一貫して解氷状態だったぜ。↓>
 「<最悪の韓日関係 突破口は>両国間で経済・文化は解氷・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/280360
 <逆のケースないだろ。それが問題。↓>
 「独島住民証発給11年で名誉住民7万人超…うち17人が日本人・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/280359

 米国民は度し難いな。↓

 「人種差別なくす教育をめぐり分断深める米国・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e4%ba%ba%e7%a8%ae%e5%b7%ae%e5%88%a5%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%99%e6%95%99%e8%82%b2%e3%82%92%e3%82%81%e3%81%90%e3%82%8a%e5%88%86%e6%96%ad%e6%b7%b1%e3%82%81%e3%82%8b%e7%b1%b3%e5%9b%bd/ar-AALFRQP?ocid=UE03DHP

 ジョンソンのシェークスピア本が出るのは来年なんだね。前に、出たって書いちゃったかな?↓

 ・・・Johnson’s book is now listed as due for publication in March 2022 by its US publisher Riverhead・・・
https://www.theguardian.com/books/2021/jul/02/boris-johnson-offered-to-pay-for-help-writing-shakespeare-biography-says-scholar

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <英語媒体より。
 そりゃ、欧米が中共を潰しに来る、と判断したからだろ。↓>
 ・・・the shift began in around 2009, three years before Xi took up the highest offices of party secretary-general and president. ・・・China move<d> toward a much harder form of politics in that year・・・
https://www.theguardian.com/books/2021/jul/01/chinas-leaders-by-david-shambaugh-review-from-mao-to-now
 <パ首相、ウィグル問題で中共支持を改めて言明。↓>
 Pakistan’s prime minister embraces China’s policy toward Uyghurs in remarks on Communist Party centenary・・・
 “Because we have a very strong relationship with China, and because we have a relationship based on trust, so we actually accept the Chinese version,” Khan said in remarks marking the Chinese Communist Party’s centennial celebration. “What they say about the programs in Xinjiang, we accept it.”・・・
https://www.washingtonpost.com/world/2021/07/02/pakistan-prime-minister-backs-china-on-uyghurs/
 <次に人民網より。
 あら、自らが「脅威」であることを認めちゃってるぞ。↓>
 「米日が合同軍事演習で中国との衝突への準備?・・・
 台湾地区は中国領土の不可分の一部だ。いかなる外来の圧力も、国家の主権及び領土的一体性を守る中国の政府及び国民の断固たる決意と意志を揺るがすことはできない。関係国が「中国脅威論」を誇張するのを止め、地域の平和と安定に寄与することをより多く行うよう望む。」
http://j.people.com.cn/n3/2021/0702/c94474-9867739.html
 <日中交流人士モノ。↓>
 「中国の貧困削減をリアルに紹介する竹内亮監督の「走近大涼山」・・・」
http://j.people.com.cn/n3/2021/0514/c206603-9850084.html
 <ここからは、サーチナより。
 新しい。↓>
 「・・・中国の動画サイト・西瓜視頻・・・動画では・・・日本にはキリスト教徒は多くないが、これは自国文化に対する自信の表れだと主張した。
 韓国の場合、キリスト教徒は非常に多く、人口の4割近くを占めると言われている。外国の宗教がここまで受け入れられた理由について、動画は「自分の文化があまりなかった」ためだと分析した。中国文化をそのまま取り入れてきた韓国が、中国から離れようとした結果、自然と西洋の文化や宗教を取り入れることになったためだと主張している。
 動画では結論として、中国でキリスト教が広まっているのは「中国文化の弱体化」と、それに伴う「西洋崇拝」が主な理由だと主張した。今後は「自国の文化を強めなければならない」と締めくくっている。
http://news.searchina.net/id/1700455?page=1
 <同じく。↓>
 「日本であまり見かけないテスラ車、なぜ中国では「爆売れ」したのか・・・中国の動画サイト西瓜視頻・・・」
http://news.searchina.net/id/1700438?page=
 <概ね定番。↓>
 「「隅っこ」から垣間見える、日本の優れた文化・・・中国のポータルサイト・網易・・・」
http://news.searchina.net/id/1700455?page=1
 <定番になりつつある?↓>
 「・・・三菱電機・・・日本の会社は、本当にどうしてしまったのだろうか・・・中国のポータルサイト・百度・・・」
http://news.searchina.net/id/1700453?page=1
 <定番。↓>
 「日本人ってこういう人たちなのか! 日本企業と商売をして感じたこと・・・中国のQ&Aサイト知乎・・・」
http://news.searchina.net/id/1700433?page=1
 <同じく。↓>
 「日本人は「情が薄く、冷たいの?」 中国ネット民が寄せた「実体験に基づく反論」とは・・・中国のQ&Aサイト知乎・・・」
http://news.searchina.net/id/1700443?page=1
 <またまた饅頭怖い記事。↓>
 「いずも型護衛艦にF35Bを搭載したら「それはアジア最強じゃないか」・・・中国メディアの百家号・・・」
http://news.searchina.net/id/1700452?page=1
 <これもそう。↓>
 「日本は米国の走狗なのか? 「日本人はなぜ米国に反抗しないのか」・・・中国のQ&Aサイト知乎・・・」
http://news.searchina.net/id/1700454?page=1
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 一人題名のない音楽会です
 殆ど知る人がいない作曲家による、佳品の24回目です。
 今回は、ピアノ曲です。
 Korganov は、ピッタンコですよね。
 Kalkbrenner は、このシリーズの中で既に(コラム#11782で)登場していますが、太田コラム読者でない人々にとっては、殆ど知られていないわけであり、再度、登場してもらいました。
 Respighiは、「ローマ三部作」と呼ばれる一連の交響詩で知っている人は結構いると思いますが、ピアノ曲は余り知られていないのではないでしょうか。

Genary Korganov(注α) Romance, Op.20/9 ピアノ:?
https://www.youtube.com/watch?v=uoXXPcRQx0c

(注α)ゲンナジー・コルガノフ(1858~1890年)は、ジョージアで生まれロシアのロストフで死んだアルメニア系ロシア人作曲家。ライプティヒとサンクト・ペテルブルクで音楽を学ぶ。
https://de.wikipedia.org/wiki/Gennari_Karganow

Friedrich Kalkbrenner “Le Fou” Scène dramatique, Op. 136 ピアノ:?
https://www.youtube.com/watch?v=LoxouX37OuQ

Ottorino Respighi(注β) 6 Pieces for Piano ピアノ:Scherbakov 
https://www.youtube.com/watch?v=T19mqDSR5ws

(注β)オットリーノ・レスピーギ(1879~1936年)は、「イタリアの作曲家・音楽学者・指揮者。ボローニャ出身で、1913年からはローマに出て教育者としても活動した。1908年までは演奏家、とりわけヴァイオリン奏者やヴィオラ奏者として活動したが、その後は作曲に転向した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AE
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<wdZqSi4U>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 太田さんが2回目接種されたそうで安心しました。
 2回目は反応が出た方がいいような話も聞きますが個人差もあるのでしょう。

<太田>

 昨日、2回目ワクチン接種の副反応が軽いと書きましたが、一日中、かったるかったことに夜になって気付き(?!)、早めに就寝しました。
 久しぶりに、寝つきも良くなかったし、何度も夜中に目が覚めましたね。
 でも、本日は完全に体調が戻ったようです。
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太田述正コラム#12118(2021.7.3)
<藤田達生『信長革命』を読む(その30)>

→非公開