太田述正コラム#12108(2021.6.28)
<2021.6.26東京オフ会次第(続々)>(2021.9.20公開)

D:安土城跡訪問の話が出たが、私は旅順の古戦場を訪問したことがある。
 203高地に登ると旅順港が見えたが、どうして203高地を巡って激戦が起こったかがよく分かった。
 まさに、太田さんの言うように、縄文人上がりの兵士達が、縄文的弥生人の指揮の下、仲間のことを忖度しつつ命の危険を顧みず、勇敢かつ愚直に戦ったわけだ。
O:私は、もう世界の見るべきところは大方見終わったという気になって久しいが、まだまだ、見た方がいい場所が多々残っているということのようだ。
A:太田さんの歴史分析方法は、まさにマックス・ヴェーバーのそれと同じだと思う。
 転轍手<(注)>なんて言葉もまさにヴェーバーのものだ。

 (注)「人間の行為を直接に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、『理念』によってつくりだされた『世界像』は、きわめてしばしば転轍主として軌道を決定し、そしてその軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。」(マックス・ヴェーバー)
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 それなのに、太田さんはヴェーバーに対する評価が、いささか厳し過ぎるのではないか。
O:転轍手という言葉を使ったのは、むしろ、そのように受け止められることを意図したものだ。
 そのヴェーバーを切り捨てたのは、彼の最も著名な著作である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の内容が誤りなのだから、仕方ない。
 彼の方法論を、私の方が、少なくとも(イギリスと)日本については、より上手く用いている、と、勝手に自負している。
B:日本の縄文人は縄文的弥生人をどのように見ていたのだろうか。
O:縄文的弥生人は暴力的な人々だったけれど、同時に支配層でもあり、敬して遠ざける、という感じだったのではないか。
 (なぜ敬したかと言えば、縄文的弥生人は、そう悪くないところの、ギリギリ仁政、を行ったし、)戦国時代酣の頃だって、戦乱のとばっちりを相当食らったとはいえ、経済は繁栄したし・・。
 戦争ばかりやっていた欧米が世界を席捲するに至ったのも、戦争が技術革新をもたらし、その技術が非軍事分野にもスピンオフしたからだ。
 そのおかげで、日本等、ごく一部を除けば、非欧米世界は、欧米勢力によって、(直接的間接的に)殺戮され、搾取の限りを尽くされるというひどい目に遭わされたわけだが・・。
 さて、ついでに言えば、日本には元々は被支配者たる縄文人と支配者たる弥生人がいたわけだが、弥生人はあっという間に縄文人化して名ばかり弥生人になってしまったので、後に登場した縄文的弥生人に対してとは違って、基本、敬していた点は同じでも、遠ざけたいと思うようなことはなく、親しみを覚えていたのではないか。
 ところで、戦後日本は、米国人という、れっきとした弥生人に占領され、基本的にそのままで現在に至っているわけだが、(たまたま、しばらくして「甘い」占領政策に米国が切り替えたこともあり、)戦後日本人は、連中を縄文的弥生人だと錯覚し、「敬して遠ざけ」つつ、進んでその支配下に入り、そのままになってしまった、ということではなかろうか。
 それに、戦後日本人には、江戸時代という時代が、それが途中から、幕府には殆ど縄文的弥生人がいなくなってからも平和な低成長かつ低人口増のそう悪くない時代だったという記憶が、それがそう遠い昔ではないだけに頭の片隅に残っており、ポスト高度成長の現在に至っても、日本はそう悪くない、何とかなる、と、その大部分は勘違いしたままなのではなかろうか。
B:太田日本通史において、太田さんは江戸時代をそんな風に描くのだな。
O:まあそういうことなのだが、それにしても、それ以外のことを書く材料が余りなくて困っている次第だ。
A:ところで、太田さんは、スマート家電を次々に導入しているが、Amazonにいいようにやられている感がある。
O:いや、Irisオーヤマの電気圧力鍋等を使う際に、音声入力で電源のオンオフができることは大変重宝している。
 (それに、そもそも、きっかけは、久しぶりに開かれた大学時代の教養課程の同級会で、太田の声のカスレが心配だ、喉頭がんかもしれないぞ、医者に診てもらえ、と同級生の一人から声をかけられ(コラム#省略)、原因は、普段殆ど声を発していないためだと自分には分かっていたので、そういったあらぬ心配を他人にかけないように、かつまた、そもそも、声がかすれるのは自分としても困るので、声を発する機会を増やそうと決意したことだ。
 おかげさまで、かなり声というか喉の状態は改善され、「講演」で一時間しゃべっても、ちょっとだけ声がかすれる程度になっている。)