太田述正コラム#1431(2006.10.4)
<米軍事権限法制定と世界史(その1)>

1 始めに

 米国で9月28日に軍事権限法(Military Commissions Act)が上下両院を通過しました。
 この法律は、9.11同時多発テロ以降、対テロ戦争遂行のためと称してブッシュ大統領が法律によらずして実施して来た様々な人権侵害に係る措置に対し、米最高裁が憲法上の疑義を投げかけたこともあり、正式にこれら措置をとる権限を大統領に与えるものです。
 具体的には、テロ容疑者に関し、軍事裁判所(military tribunal)に管轄権を与えて人身保護制度(Habeas Corpus)は適用せず・・裁判所に、拘束理由の開示を求めたり、釈放を求めたりすることを許さず、裁判を受ける権利も与えず・・、米国内で捜索令状なしに得られた証拠を有効とし、秘の証拠は被告に開示しなくてもよいこととし、大統領に米国内に合法的に居住する者を敵性戦闘員と認定する権限を与えるとともに、深刻な肉体的精神的苦痛を与えない範囲での強圧的手法による尋問を認める等ジュネーブ条約の適用緩和を図っています(注1)。

 (注1)この法律では、「大統領は、ジュネーブ諸条約(Geneva Conventions)の解釈と適用について裁量権を有するのであって、ジュネーブ諸条約の重大な違反(grave breaches)にはあたらないが違反にはあたる規則を制定する権限を有する」と規定されている。ちなみに「重大な違反」とは、ジュネーブ第三条約130条にいう「意図的殺人・拷問または生物学的実験を含む非人間的な取り扱い」であって「意図的に身体と健康に深刻な苦痛または傷害を与えるもの」を指す。

 以前から、米国においては、英国におけると同様、敵性戦闘員には人身保護制度を適用してこなかったので、その限りにおいてこの法律に問題はないのですが、それ以外の部分に関し、ニューヨークタイムスとロサンゼルスタイムスが、それぞれ古代史と現代史に照らして厳しく批判した論考を掲載したので、これら論考のご紹介かたがた、私見を申し述べたいと思います。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2006/09/30/opinion/30harris.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(10月1日アクセス)、及び
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-ferguson2oct02,0,1399630,print.column?coll=la-opinion-rightrail
(10月3日アクセス)による。)

2 共和制ローマ史に照らした批判

 最近古代ローマに関する歴史小説を上梓したばかりのハリス(Robert Harris)は、紀元前(BC)68年に起こった事件並びにそれが共和制ローマに及ぼした影響と、2001年に起こった9.11同時多発テロ並びにそれが米国に及ぼした影響の類似性を次のように指摘します。

 BC68年、(西側)世界で唯一の超大国であった共和制ローマは、地中海の海賊の襲撃をローマの外港であるオスティア(Ostia)に受けて、港は炎上し、執政官(Consul)直轄の艦隊は破壊され、著名な元老院議員2名がその護衛やスタッフともども誘拐された。
これら海賊は緩やかな組織に過ぎなかったにもかかわらず、彼らが実態以上の恐怖感を市民に与えた点はアルカーイダによく似ている。
 事件そのものが似ているだけでない。
 この事件の結果、共和制ローマにおける権力集中排除メカニズム(注2)は空洞化し、民主主義と自由主義は形骸化して行くのだが、同時多発テロの結果、米国にも同様の事態が進行しているのではないか。その例証が今回の、大統領に強大な権限を与え、米国の自由主義を形骸化させるところの、軍事権限法の制定だ。

 (注2)執政官は任期一年で二人選ばれたし、軍事司令官らの任期も限られ、何回も任期を繰り返すことは認められなかった。

 当時の共和制ローマでは、パニックに陥ったローマ市民達は、元老院を通じ、38歳のポンペイ(Gnaeus Pompeius Magnus。BC106??BC48年)をただ一人の海軍最高司令官に任命するとともに、彼に、すべての海、及び沿岸から50マイルまでの陸地の統制権を与えた。これは事実上、全ローマ領の統制権を与えたに等しかった。ポンペイは、500隻からなる艦隊を整備し、歩兵12万人・騎兵5,000人の大軍を擁して対海賊戦争を遂行することとし、このために必要な経費を支弁するため、共和制ローマの国庫はすべてポンペイにゆだねられた。かかる強大な権限をポンペイに与えたのはガビニア法(Lex Gabinia)だったが、この法律は、元老院内の貴族を中心とする手強い反対勢力を、元老院を取り囲んだ民衆が威圧することによってかろうじて制定されたものだ。
 こうして、ポンペイはわずかに3ヶ月で海賊退治に成功する。これはポンペイの軍事的才能の賜でもあったが、海賊の脅威が誇張されていたことは明らかだ。
 10年もたたないうちに、この時のことが先例となって、今度はシーザー(Gaius Julius Caesar。BC100??BC44年 )がガリアに関する長期の軍事司令官権限と統制権限を与えられることになる。そしてガリアで大金持ちになったシーザーが、カネで票を買うことで次々に自分の支持者を元老院議員に当選させた結果、共和制ローマの民主主義は形骸化していき、BC49年にシーザーはルビコン河を渡り、共和制ローマは帝政への道を転がり落ちていくことになる。
 (以上、NYタイムス上掲。ただし、
http://en.wikipedia.org/wiki/Pompey
(10月4日アクセス)も参照した。)

(続く)