太田述正コラム#1462(2006.10.22)
<米英のイラクでの窮状>

1 始めに

 イラクの治安状況が悪化しています。
 そのイラクの中でも最も治安が悪化している首都バグダッドでのスンニ・シーア派間の殺戮し合いを止めさせるため、米軍は、イラクの他地域の米軍を抽出してバグダッド地区の米軍を増強し、両派の過激派つぶしに乗り出したのが4ヶ月前です。
 ところが、この結果、せっかく減少していた米軍の死傷者発生数が再び上向きに転じ、今月は、先週末で既に死者が74名と、米軍にとっては、2003年のイラク侵攻以降で最悪の月の一つになりそうです。
 結局、スンニ・シーア派間の殺戮は止みそうもありません。
 それだけではありません。
 シーア派内での殺し合いも次第にエスカレートしてきています。
 南部のシーア派地区に駐留している英軍を本国で統括する立場のダナット(Richard Dannatt)英陸軍参謀総長は、12日、「我々のイラク駐留がその治安状況を悪化させているので、早い時期に撤退すべきだ」と語って物議をかもしました。
 こういうわけで、ブッシュ米大統領のイラク政策を支持しないという米国内での声は63??64%にも達しています。
 当然と言うべきか、11月に実施される米下院議員選挙では、野党の民主党が与党の共和党を打ち破って多数を奪回するのが確実の情勢です。同時に実施される上院議員選挙は、三分の一の議席だけが改選されますが、ここでも共和党は大きく議席を減らすことが予想され、上院でも民主党が多数を占める可能性さえあります。
 こうした中で、現在米英では、イラクをどうしたらよいかをめぐって、後述の様々な案が論議されています。
 しかし、ブッシュは21日、「イラクにおける暴力の増大は遺憾だが、戦術の変更はありうるものの、勝利を目指すというイラク政策の基本は変えない」と発言しました。

2 議論されている案

 (1)イラクの分割
 これはいわずとしれた、イラクを北部のクルド、中部のスンニ派、南部のシーア派の三地区に分割する案です。クルド地区は事実上既に分離しているに等しいし、うまくスンニ派とシーア派の境界線を線引きし、住民の移動を行えば、爾後両派の殺し合いはなくなる、というわけです。
 しかし、この案の最大の問題点は、スンニ派に割り当てられるであろう地域は、石油をほとんど産出せず、しかも、農地も少ないことから、スンニ派地区が経済的に立ちいかないことです。
 しかも、シーア派内の殺し合いが納まる保証もありません。
 もっとも、現実は、一歩一歩この案の方向に向かって動いているように見えます。

 (2)周辺国頼み
 これは、イラクの有力隣接国であるシリアとイラン、そしてサウディアラビアにイラクの今後を委ねる案です。英国は密かにこの案を推しています。
 しかし、この案は、現在のイラクの悪化した治安状況を中東全域に広めてしまう可能性が指摘されている上、米国は、かねてからシリアとイランをテロ支援国家として敵視してきており、米国が、この案を実現させるためにシリアやイランと直接交渉することは絶対ないだろうと考えられています。

 (3)駐留軍即時全面撤退
 この案は説明を要しないでしょう。
 イラクの過激派各派は、駐留軍という共通の「敵」を失うので、駐留軍に対し、あるいは相互間で武装闘争を続けるインセンティブが減退し、相互に協力しようとする機運が出てくる可能性はあります。しかも、米英軍の死傷者はなくなります。
 しかし、スンニ派・シーア派間、及びシーア派内の殺し合いがエスカレートし、イラクが本格的な内戦に突入し、イラクがアルカーイダ系テロリストの一大培養地となる可能性の方が大きいでしょう。その場合、米軍等は再度進駐を余儀なくされるかもしれません。 そもそも、この案を実行するということは、米国のイラク介入が完全な失敗だったということ認めるに等しいことから、米国がこの案を採用するはずがありません。

 (4)スケジュール付き駐留軍逐次撤退
 これは、イラク政府にだけ撤退スケジュールを通知して駐留軍を逐次撤退させていくという案です。イラク政府としては、自前の治安能力の整備に全力を傾注せざるを得なくなります。
 しかし、撤退スケジュールが漏れてしまうことは必至であり、駐留軍が最終的に撤退する前後(はもとより、それまでの間にも、駐留軍の部隊が撤退する前後にその地区)において、駐留軍への攻撃やスンニ派・シーア派間、シーア派内の殺し合いがエスカレートすることは必至です。それに、これまでできなかったのですから、イラク政府の治安能力が今後、適時適切に整備される保証もありません。

 (5)駐留軍の安全地帯への移動
 これは、駐留軍を、周辺国かイラクの人口希薄な砂漠地帯の「要塞」に移動させ、イラク政府の治安部隊を前面に出しつつ、適宜駐留軍を治安維持作戦に出撃させるという案です。
 こうすれば、米英軍の死傷者は減ることでしょう。
 しかし、周辺国で、このために米軍等を受け入れてくれるところがあるとは思えません。また、「要塞」案は、米軍の一部は既に実行に移していますが、駐留軍がイラクの現状に疎くなる一方で、依然過激派各派から「敵」視される状況に変わりはないので、短期的にはともかく、長期的には採用しがたい案です。

 (6)イラク政府首班のすげ替え
 これは、イラクの現在のシーア派連合を背景としたマリキ(Nuri al-Maliki)政権が、シーア派民兵に対し及び腰の対応しかしていないことから、イラク暫定政府の首相であった非宗教的なアラウィ(Ayad Allawi)のような人物にイラク政府の首班をすげかえ、民主主義は後退させて、強権的な手段で治安回復を行わせるという案です。
 しかし、米英が自らイラクの民主主義を後退させるのでは示しがつかないことから、採用しがたい案です。

 (7)駐留軍の兵力増強による攻勢
 イラク侵攻作戦以前から、こころある軍事専門家は、フセイン政権打倒後のイラク駐留軍、就中米軍の兵力は不足していると指摘していたところです。
従ってこれは正解なのですが、もはや米国民はこの案に同意を与えないでしょう。時機を失したと言わざるをえません。どれくらい兵力を増強するかにもよりますが、そもそも、兵力を増強して絶対にうまく行くという保証もありません。

3 所見

 このように見てくると、ブッシュの言うように、これまでの米国のイラク政策の軌道修正を図る余地はほとんどない、と考えざるをえません。
 その結果として、イラクは次第に三分割へと向かって行くであろう、ということだけは言えそうです。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/10/13/AR2006101300102_pf.html
(10月14日アクセス)、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-goldberg19oct19,0,4280886,print.column?coll=la-opinion-center
(10月20日アクセス)、
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1928058,00.html
(10月21日アクセス)による。ただし、私見を一部付け加えた。)