太田述正コラム#1484(2006.11.3)
<モーツアルト・ベートーベン・ドイツ文化主義>

1 モーツアルトとベートーベン

 昨日は、ガーディアンを読んでいて、ピアニストのシフ(Andras Schiff)がベートーベンのピアノソナタを、演奏しながら解説している音声ファイル(4つに分かれている)にリンクを貼っているブログ(
http://blogs.guardian.co.uk/music/2006/11/schiff_on_beethoven.html
。11月2日アクセス)に出っくわし、この音楽ファイルの最初の一つ(Piano Sonata in F minor, Op 2, No 1)をダウンロードし、シフの解説と演奏に耳を傾けました。
 その時、シフが、誰かの言葉として、「ベートーベンは天国に行っただろうが、モーツアルトは天国からやってきた」と語ったのが印象に残りました。
 そうしたら、今度は本日、2100過ぎにTVをつけたら、モーツアルトの生涯を、彼がいかに天才であったかという切り口から、もちろん彼の音楽入りで紹介している番組をやっており、結局、終わるまで見入ってしまいました。
 モーツアルトは私が小学4年の時に一ヶ月間滞在した街であるザルツブルグに生まれたので、ザルツブルグのなつかしい風景が何度も登場したこともあって、大満足でした。
 モーツアルトとしてもベートーベンにしても近代音楽史上の大天才ですが、この二人を始めとするドイツの音楽家達が紡ぎ出したドイツの近代音楽は、人類の至宝の一つであると言ってよいでしょう。

2 ドイツの悲劇

 このような音楽と、音楽ほどではないけれど、やはり傑出した近代文学をドイツは生み出したわけですが、このようなドイツの高度な文化がドイツに悲劇をもたらした、と指摘しているのがドイツの社会学者のレペニース(Wolf Lepenies。1941年??)です。
 (以下、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-rodriguez17sep17,0,7748605,print.column?coll=la-opinion-rightrail
(9月18日アクセス)による。)
 それがどういうことかをご説明しましょう。
 ドイツが(オーストリアは除外する形ではあれ)統一したのは1871年のことでしたが、ドイツ文化はそれ以前から存在し、その文化が高度であっただけに、ドイツ人は、それ以前から強い文化的一体感を持っていました。
 つまり、ドイツのエリート達は、ドイツ人の一体性は政治よりもむしろ文化によって確保される、という観念を抱いていたのです。換言すれば、彼らは、政治よりも文化の方により高い価値を認めたわけです。
 例えば、1799年に哲学者のフンボルト(Wilhelm von Humboldt)は詩人のゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)に、「哲学や芸術に携わる者はそれ以外の者に比べて母国により濃密に関わっている」と書き送りましたし、その1世紀後に哲学者のニーチェ(Friedrich Nietzsche)に至っては、ドイツ国家が生まれたことを悲しみ、これからはドイツ人は政治と文化のどちらを選ぶかという問題に直面する羽目になったと述べたほどです。ニーチェに言わせれば、「一方が栄えれば一方は衰える」のです。そして、「文化が隆盛を極めた時代は政治的衰亡の時代だった。文化的な偉大さとは、非政治的なもの、いや反政治的なものなのだ」と言うのです。
 ドイツの市民社会が未成熟であったため、ドイツの統一がプロイセン国王の手で上からなしとげられたこともあり、以上のような観念は、さらに強まります。
 文化は絶対的なもの、ユートピアを目指す高次元なものであるのに対し、政治は利己的利害の調整・妥協を行う低次元なものだ、という牢固とした観念がドイツのエリートの間で確立するのです。
 レペニースは、この観念が、ナチスドイツの台頭を許してしまったというのです。
 1920年代から30年代初頭にかけて、作家のトーマス・マン(Thomas Mann)は、ドイツのエリートに対し、政治に積極的に関与して、ナチスドイツに抵抗せよ、と呼びかけるのですが、時は既に遅すぎた、というわけです。

3 コメント

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