太田述正コラム#12403(2021.11.22)
<三島由紀夫『文化防衛論』を読む(その7)>(2022.2.14公開)

 「現行憲法の象徴天皇制について、明治憲法下の「国体」が根本的に変更されたものとする佐々木惣一博士の所論<(注6)>に対して、かつて和辻哲郎氏は執拗な反論を試みた。

 (注6)「佐々木惣一「帝国憲法改正ノ必要」 1945年11月24日<は、>GHQの意向を取り入れることを嫌った内大臣府御用掛佐々木惣一が、1945(昭和20)年11月24日(日付は11月23日)に天皇に奉答した改正案。憲法改正の要否の判断に始まり、全百か条からなる条文化した改正案が提示されている。天皇に関する第1条から第4条について変更がないなど、近衛案以上に明治憲法の枠内での改正となっている。」
https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/042shoshi.html
 「大日本帝國憲法
第一章 天皇
第一條
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二條
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9C%8B%E6%86%B2%E6%B3%95
 「貴族院における日本国憲法の改正審議に参画し、日本国憲法への改正に反対した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E6%83%A3%E4%B8%80
 「日本国憲法第九条の「戦争の放棄Lの解釈をめぐり、佐々木<は>「自衛戦争・自衛戦力保持合憲」論の立場をとった」
https://core.ac.uk/download/pdf/35266808.pdf

⇒「佐々木は中央公論1940年10月号寄稿論文「新政治体制の日本的軌道」において、日華事変の長期化を理由とした新体制運動の議会否定の思想を批判、ナチス・ドイツに範をとった一党独裁のファシズムは日本の政治的伝統とかけ離れ、帝国憲法の運用に適っておらず、非立憲的である、と主張した」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E6%83%A3%E4%B8%80 前掲
ところですが、これは佐々木の時勢に対する認識不足を示していると共に、彼が日本における憲法の規範性を重視している、という点で私とは相容れませんが、三島による紹介、と、私が「注6」で紹介した部分、に関する限りでは、私は佐々木の主張に同意です。
 (現憲法第9条に関する、非文理解釈であると言ってよいところの、佐々木解釈、は、私に言わせれば、彼が憲法の規範性を絶対視していないからこそであり、その点でも彼には好感を覚えます。)(太田)

 和辻氏は国体概念を導入することの論理的あいまいさを衝き、佐々木氏が「政治の様式より見た国体の概念」と「精神的観念より見た国体の概念」とを峻別すべき必要を説いている論点をとらえて、それなればこそ却って、前者は「政体」概念で十分であり、後者の意味の「国体」は、何ら変更されていないと主張したのである。
 これは昭和22年という時点で、旺んな憲法論議が、天皇問題を今日よりもはるかに真剣に取扱わせたことの興味ある資料であるが、和辻説の当否はさておき、民主主義と天皇との間の矛盾を除去しようとする理論構成上、氏が「文化共同体」としての国民の概念を力説していることは注目される。
 さらに氏は、天皇概念を国家とすら分離しようとしているのである。
 「ところでわたくしが前に天皇の本質的意義としてあげたのは『日本国民統合の象徴』という点であって、必ずしも国家とはかかわらないのである。
 もし、『国民』という概念がすでに国家を予想しているといわれるならば、人民とか民衆とかの語に代えてもよい。
 とにかく日本のピープルの統一国家とは次序の異なるものとみられなくてはならない。
 従ってその統一は政治的な統一ではなくして文化的な統一なのである。
 日本のピープルは言語や歴史や風習やその他一切の文化活動において一つの文化共同体を形成してきた。
 このような文化共同体としての国民あるいは民衆の統一、それを天皇が象徴するのである。
 日本の歴史<を>貫いて存する尊皇の伝統は、このような統一の自覚にほかならない。」(国体変革論について佐々木博士の教えを乞う」昭和22年1月–『国民統合の象徴』)

⇒文化共同体とは要するにネーション(nation=民族)のことなのであり、近代君主国家における君主は、この共同体員統合の象徴なのです。
 だから、和辻は当たり前のことを言っているのです。(太田) 

 ここで氏が、天皇を国家概念と分離するとき、そこまで氏自身が意図したかどうかは定かでないが、「国家が分裂しても国民の統一は失われなかった」歴史事実における統合の象徴としての天皇が、文化共同体の象徴概念であるがゆえにこそ、変革の理念たりえたという消息がおのずから語られているのは示唆的である。」(50~51)

⇒戦国時代に日本という国家が分裂していたわけではないので、和辻の念頭にあるのは南北朝時代のことではないかと思われますが、国家分裂など、イギリスで言えば、ノルマンコンクエストの時
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88
やばら戦争の時
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%94%E8%96%87%E6%88%A6%E4%BA%89
やイギリス内戦の時、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%86%85%E6%88%A6
等、ざらであり、それぞれの際に、イギリスの「国民の統一は失われなかった」のですから、一般の君主制と天皇制の違いを、ここに求めているとするならば、和辻は間違っています。

(続く)