太田述正コラム#12405(2021.11.23)
<三島由紀夫『文化防衛論』を読む(その8)>(2022.2.15公開)

 天皇制と一般の君主制の違いは、民族(文化共同体)が形成され、(最初の)統一国家が形成されてから、(天皇制の場合は約1,500年もの間、)王朝交代も非王朝期も生じなかったことです。
 イギリスの場合、11世紀のノルマンコンケストの時に王朝交代が生じていますし、17世紀のイギリス内戦の時に非君主制期が生じています。(典拠省略)
 私見では、それは、「天皇が、文化共同体の象徴概念であるがゆえにこそ、変革の理念たりえた」からではなく、「天皇が、仁政と変革の主体ないし仁政と変革の理念の体現者であり続けた結果として文化共同体の象徴であり続けることができた」(コラム#省略)からなのです。(太田)

 「さらに、同論文の前のほうで、氏は象徴概念を理論化する。
 「かく考えれば天皇が日本国民の統一の象徴であるということは、日本の歴史を貫いて存する事実である。
 天皇は原始集団の生ける全体性の表現者であり、また政治的には無数の国に分裂していた日本のピープルの『一全体としての統一』の表現者であった。

⇒和辻が「原始集団」で何を言わんとしたのか、必ずしも明らかではありませんし、南北朝時代に並存していた2人の天皇のどちらかが或いは共同で「『一全体としての統一』の表現者であった」かどうか、疑問です。(太田)

 かかる集団あるいはピープルの全体性は、主体的な全体性であって、対象的に把握することのできないものである。

⇒イギリス民族も日本民族も「対象的に把握すること」が「できる」に決まっています。(太田)

 だからこそそれは『象徴』によって表現するほかはない」

⇒とんでもない。(太田)

 かくて和辻氏は、天皇を国民の一員と規定し、しかも民主主義の主権保持者は日本国民の全体意志であって、個々の国民ではないのであるから、天皇が主権的意志の象徴になり、室町や江戸時代の天皇よりも、はるかに「統治権の総攬ということに近づけられている」と説くのである。・・・

⇒意味不明です。
 どうも、和辻の論考の書き方もまた、三島と似て独りよがりで分かりにくいこと夥しいのが大変気になるのですが、三島にとってはもちろん、和辻にとっても専門外と言ってよいこの種の話題について彼らが論じる時に、どのような論文執筆訓練を受けたかが露呈する、と仮定すれば、三島は一切論文執筆訓練を施されることなく学業を終える東大法の卒業生であるのに対し、和辻は同じ東大でも文学部(哲学科)の卒業(大学院へ進学したが卒業しなかったようだし、博士号も取得していない)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%BE%BB%E5%93%B2%E9%83%8E
であるところ、欧米哲学の、彼の場合はドイツ観念論哲学の、書籍や英・独論文の翻訳能力だけしか訓練を受けなかったのではないでしょうか。(太田)

 和辻氏ほどポレミッシュな形をとらぬが、史家の良識的な立言として、津田左右吉氏は次のように説いた。
 「いま一つの重要なことがらは、皇室の文化上の地位とそのはたらきとである。
 上代において皇室が文化の中心でもあり指導者でもあられたことは、いうまでもないが、これは日本の地理的位置と、農業本位である日本人の生活状態とから、民衆が異民族と接触しなかったために、シナの文物を受け入れるには朝廷の力によらねばならなかったところに主因があり、武力を用いられることの無い皇室が、おのずから平和の事業に意を注がれたことも、それを助ける事情となったであろう。
 後世になって文化の中心が武士に移り更に民衆に移った後には、上代文化の遺風を伝えていられる点において、皇室は特殊の尊崇を受けられた。
 歴代の天皇が殆ど例外なく学問と文藝とを好まれたこと、またそれに長じていられた方の多いことは、いうまでもないので、それが皇室の伝統となっていた。
 これもまた世界のどの君主の家にも類の無いことである。
 政治的手腕をふるい軍事的功業を立てられた天皇は無いが、学者・文人・芸術家、として、それぞれの時代の第一位を占められた天皇は少なくない。
 国民の皇室尊崇にはこのことが大きなはたらきをしているが、文事にみこころを注がれたのもまた、政治の局に当らず煩雑な政務に累せられなかったところに、一つの理由があったろう。
 日本の皇室を政治的観点からのみ見るのは誤りである」(「日本の皇室」昭和27年7月–『中央公論』)」(51~53)

⇒そこへいくと、「東京専門学校邦語政治科 (現在の早稲田大学政治経済学部)卒業<で>・・・
満鉄東京支社嘱託・満鮮地理歴史調査室研究員と」して1908~1914年勤務した津田
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E5%B7%A6%E5%8F%B3%E5%90%89
の論考は、本人が実証史学者(上掲)なので、専門なので当然とはいえ、明快です。
 おかげで、津田の主張の誤りも剔抉し易いですが・・。

(続く)