太田述正コラム#12448(2021.12.14)
<内藤一成『三条実美–維新政権の「有徳の為政者」』を読む(その1)>(2022.3.8公開)

1 始めに

 予告通り、表記のシリーズを始めます。
 内藤一成(かずなり。1967年~)は、青山大博士(文学)、東洋大人間科学総合研究所客員研究員を経て宮内庁書陵部編修課主任研究官・国際日本文化研究センター共同研究員
https://research-er.jp/researchers/view/726673 及び奥書

2 内藤一成『三条実美–維新政権の「有徳の為政者」』を読む

 「三条<(注1)>実美(1837~1891)とは何者か。

 (注1)「閑院流は、藤原師輔の十男で閑院太政大臣と呼ばれた藤原公季を祖とし、白河院政および鳥羽院政期には上皇や天皇の外戚の地位をほぼ独占し、摂関家の弱体化の間隙を突いて廟堂に重きをなした。閑院流の嫡流である藤原公実の二男実行を祖とするのが三条家である。・・・
 代々、笛と香道と装束の調達を家業とした。・・・
 三条家は清廉潔白を意味する「清白」の二字を伝統の精神・家風と<し、>・・・決して賄賂を受け取ら<なかった。>・・・
 明治11年刊行の『華族類別禄』に三条家の宗族(祖先を同じくする一族)として掲載されている華族は、三条家から分家、あるいは三条家の分家から更に分家した旧公家14家(正親町三条家、三条西家、滋野井家、姉小路家、阿野家、風早家、園池家、花園家、押小路家、武者小路家、高松家、河鰭家、北大路家、風早家)、および正親町三条家の分家にあたる旧大名の戸田家6家(信濃松本藩主家、下野宇都宮藩主家、下野高徳藩主家、下野足利藩主家、美濃大垣藩主家、美濃大垣新田藩主家)の合計20家に及ぶ。・・・
 西園寺家と徳大寺家も閑院流なので、この2家とその分流も三条家の分流と言えなくもないが(三条家は藤原公実の次男実行の子孫、西園寺家は公実の四男通季の子孫、徳大寺家は公実の五男実能の子孫という関係)、『華族類別禄』では西園寺家と徳大寺家については三条家とは別の宗族として扱われている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E5%AE%B6

 上級公家の出身にして、「七卿落ち」で知られる明治維新の立役者のひとり、王政復古後は長期にわたり輔相<(注2)(ほしょう)・右大臣・太政大臣など政府の要職を歴任し、位階勲等は正一位大勲位公爵、その死に際しては国葬をもって送られた、まさしく位人臣をきわめた「偉人」である。・・・

 (注2)ほそう。「慶応4 (1868) 年閏4月 21日付の政体書により設けられた「七官」中,行政官の首座にあたる官職。定員は2名で,天皇に議事を奏し,国内事務を監督し,宮中の庶務を総判することを任務とした。上記政体書は,原理的には三権分立を採用して官制を定めたが,行政部の中枢であるべき行政官の輔相を,立法部にあたる議政官の上局を司る議定の兼務としたところにすでに矛盾があった。明治2 (69) 年7月8日の官制改革に伴いこの名称は廃止された。」
https://kotobank.jp/word/%E8%BC%94%E7%9B%B8-133244

 公家のことを「雲上人(うんじょうびと)」というが、三条家の家格は、摂家(摂関家)に次ぐ清華であり、雲の上でも最上層に属する。
 母は土佐藩第10代藩主山内豊策<(注3)>(とよかず)の娘眉寿(みす)(紀子)。・・・

 (注3)1773~1825年。「1797年・・・、郷士の高村退吾殺害事件による郷士騒動が起こり、これが原因で土佐藩の身分制度の動揺が始まったという。藩政においては、藩校・教授館の拡大や文治の奨励、さらに塙保己一の『群書類従』編纂にも協力したという。・・・
 母<は>・・・毛利重就の三女・・・正室<は>・・・藤堂高嶷の娘・・・五男<は>・・・黒田長韶の養子<。>・・・女<には、>・・・稲葉正発正室・・・三条実万正室・・・木下利愛正室・・・藤堂高聴正室・・・立花万寿丸内室<がいる。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E8%B1%8A%E7%AD%96

⇒実美は、譜代、外様入り乱れた多数の大名家と縁戚関係にあったわけです。
 また、実美には、半分、武家の血が流れていたことになります。(太田)

 幕末の朝廷では、平<(ひら)>堂上の政治的活性化がめだったが、その背後には幕府・摂家支配に対する長年の不満や反抗の影が透けてみえる。
 その点で摂家に次ぐ清華という三条家の家格は絶妙で、文久期に実美が攘夷派公家の代表格となり、期待を集めたのは、こうした背景もあった。
 その後も、七卿落ちの際、亡命貴族の首座を占めたこと、維新政権で筆頭の位置にすわったことなど、いずれも家格によるところが大きい。」(i、3~4、6~7)

(続く)