太田述正コラム#1510(2006.11.16)
<渡辺京二「逝きし世の面影」を読んで(その5)>

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 129番目の有料講読申し込みがあったので、届いたメールをご紹介します。

 コラムを興味深く拝見しています。
 太田様は覚えておられるかどうか解りませんが、私は麹町中学xx年x組の同級生で、太田様の文化祭でのベートーベン「悲愴」の演奏や終了ベルが鳴っても英語の授業を止めないxxx先生への抗議等今でも鮮明に覚えています。
 私は半導体発光素子の研究開発を行って来た技術畑の人間で、社会・国際情勢には疎い方ですが、“911以降、何か変だな?“という思いが強まり、私なりにイ ンターネットを使って勉強を始め、色々情報を集めている内に太田様のサイトに出会ったという次第です。
 インターネットを使った勉強を通じ、学校教育や新聞 テレビ等のメディアでは触れられない多くの驚くべき情報に接し、今迄の常識を全て見直そうと考えるに至りました(例えば自由、民主主義、愛、等誰もが大切 だと決めてかかっているものも含め本当にそうなのか)。
 太田様のコラムで知った、「イギリスでは産業革命は無かった事は英国史学界の主流である」との記述は、私にとって驚くべき情報の一つで、是非詳細を知りたいと思います。是非会員に成りたいと思っていますが、登録や料金の支払い法等の詳細をお教え下さい。 ちなみに私は早々と退職し、xxxx(アングロサクソン諸国の一つ(太田))に移住して悠々自適の生活をしています。
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イ 私のコメント
 順不同で行きましょう。

<庶民と仕事>
 渡辺は、「日本人の・・怠惰と不精は、明治という新しい時代において、近代工業の移植という鉄火の試練のなかで、・・「矯正」され<た>」(238頁)と主張するのですが、果たしてそうでしょうか。

 米国の人事戦略コンサルティング会社が今年7月に明らかにしたウェブ・アンケート調査で、日、米、加、英、独、仏、蘭、ベルギー、アイルランド、伊、西、墨、ブラジル、韓、中、印の世界16カ国中、仕事に対して「非常に意欲的」と感じる日本人は最低でわずか2%しかおらず、仕事に「意欲的でない」と答えた日本人も41%いて、インドの56%に次いで2番目に低い、という一見信じがたい結果が出ました。
 同社は、「これは、過去10年以上にわたって景気が悪く、人員削減をはじめとした急激な組織改革が行われたためだ。会社に忠誠を誓って仕事をしてきたのに、突然、終身雇用は辞めますと一方的に言われ、仕事への意欲がなくなったのだろう<が、>日本人は意欲が減退しても、勤勉さに変わりはない」と訳の分からない分析をしていますが、私自身の見解は次のとおりです。

 日本人は、自分が仕事をしたい時に仕事をし、気が乗らないときは仕事をしない、という自由が奪われる、いわゆる近代的仕事環境には一貫して居心地の悪さを感じてきたのです。
 ところが、その気が乗らないはずの仕事を、日本人は、今なお週43.5時間(サービス残業を含む)もしており、韓国に次いで世界第二の勤労時間の長さです。しかも、仕事上の接待とかつきあいで一杯飲んだりカラオケに行ったりゴルフに行ったりする時間も合わせれば、日本人が仕事がらみで「拘束」されている時間はこんなものではありません。
これは一体どう考えればいいのでしょうか。
 要するに、「徳川期の日本にあっては・・ひとは働かねばならぬときは自主的に働き、油を売りたいときはこれまた自主的に油を売った」(238頁)という日本人の「民族的特性」が現代にも生きているからこそ、仕事がらみの時間は長くなければならない、ということなのです。
 現代の日本人は、真面目に働いている時間は仕事がらみの時間の一部に過ぎず、残りの仕事がらみの時間は遊んでいるのです。

 それでなおかつ、日本の勤労者の60%が仕事がらみのストレスを訴えており、米国の勤労者の30%という数字に比べると2倍だというのですから、呆れるばかりです。
 (以上、データは、
http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,,1795371,00.html
(6月13日アクセス)による。
 また、昨今の青年のいわゆる引きこもり(hikikomori)は、韓国と台湾にも散発的事例はあるものの、世界で日本にだけ見られる現象(
http://www.nytimes.com/2006/01/15/magazine/15japanese.html?pagewanted=print
。1月16日アクセス)です(注2)が、これは日本型雇用の崩壊(年功序列制の崩壊と長期雇用の例外化)に伴い、日本の仕事環境が一層「近代化」したことに、青年、すなわち日本人が益々適応困難になってきたことの現れだと私は見ています。

 (注2)逆に、拒食症(anorexia)は欧米に広く見られるが、日本にはほとんど見られない。ちなみに、日本の引きこもりの数は、10万人から100万人と識者によって幅がある。

<娯楽>
 子供特有の娯楽と大人になってからの娯楽の間に境界線が引けない、という江戸時代の日本人の「民族的特性」もまた、今なお健在です。

 例えば、欧米においては本来子供だけの娯楽であったマンガ(comics)が、現代の日本では大人の娯楽でもあります。その日本のマンガ、及びその発展形であるアニメや(ゲーム機)ゲームが、欧米を含め、世界の子供達のみならず、大人達の間で絶大な人気を博しつつあること(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/16/AR2006021600674_pf.html
。2月18日アクセス)は、まことに興味深いものがあります。
 いわゆる「萌え」については、「いわゆるオタク層・・が関心を抱く対象や状況などに対して抱く、様々な感情を総称する言葉である。この場合の典型的な対象には、アニメ・漫画・ゲーム等に登場する架空のキャラクターなどが代表として挙げられる。 「萌え」における様々な感情の例としては、疑似恋愛的な動悸、思慕の情、フェティシズム的嗜好、特徴的な萌えの属性に対する愛着や傾倒などが挙げられている。 」(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%8C%E3%81%88
11月16日アクセス)と解説されていますが、私は、「萌え」を一言で、「大人の抱く子供的ときめき」ととらえており、日本の「萌え」的娯楽が世界を席巻し、その結果世界は部分的に日本化しつつある、とさえ見ているのです。

(続く)