太田述正コラム#1633(2007.1.23)
<バグってハニー通信3:日露戦争から日米戦争まで>

 (無料購読者数が、どちらかというと目減り気味なので、即日公開版を少しでも増やすべく、バグってハニーさんの本日の投稿5本の順序を入れ替え、若干つなぎの文句等を付け加える等をしてコラム仕立てにさせていただきました。バグってハニーさんはご不満かも知れないけれど、ぜひご理解下さい。なお、脚注はすべて私がつけたものであること、その際、脚注すべてに典拠を付ける労を惜しんだことを、お断りしておきます。)

1 始めに

 太田コラム#1614(公開)に対する私の投稿への太田さんの回答に「誰かこういった反論をしてくれることを期待して、あえてスキを作っておいたのです」とありました。
 がび??ん!いわゆる釣りってやつですか。でも、対英作戦計画であるレッド計画についての太田コラム#1621(公開)はおもしろかったです。カナダ国境で陸軍を並べて大規模演習をするというのは関特演を彷彿とさせますよね。ただ、「1935年には…民間空港に偽装した航空基地の建設が始まります」(注1)というのは一見して陰謀論にありがちな曲解の匂いがしますが。もちろん、ちゃんと反論するには自分で調べてみなきゃなりません。

 (注1)「1935年には…民間空港に偽装した3つの航空基地の建設が始まります」の「3つの」を入れるのを忘れたので訂正しておきます。(太田)

 いずれにせよ、ある読者が、米英間の緊張関係は19c末に独露の台頭で英が対米懐柔外交に転換するまで続いたとする論考(
http://www.foreignaffairs.org/20020101faessay6564/walter-russell-mead/the-american-foreign-policy-legacy.html
)(注2)を紹介されているようように、米英間の敵意(どっちがどっちを敵視したのかはおいといて)が続いたのは19世紀末までですよ。

 (注2)この論考はインターネット上に公開されていないのですが、その紹介文を読む限り、筆者は米国人であり、米国は朝野を挙げてレッド計画の意味の矮小化に努めてきた、と私は既に(コラム#1621で)指摘しているところです。(太田)

 ですから太田コラム#1621(公開)で、「20世紀初頭の時点で米国が最も敵視していたのは日英同盟であり、その日英同盟の解消に成功してからは、米国の第一の敵は英国、第二の敵は日本となります。」という風に米英間の緊張を日露戦争後のワシントン体制、さらには1935年まで引き伸ばそうとするのは常識的におかしいですよ。
 これではなぜ米国がWWIで大規模な陸軍を欧州に派遣して(1917年から)英国に助太刀したのかが説明できないですよ。英国を敵視してるのだったら独にやっつけられるのを待てば良いだけですからね。そうではなくて、この時点で米国にとって独のほうがよほど優先順位の高い脅威であったと考えるのが普通だと思います(注3)。

 (注3)違います。当時の米ウィルソン大統領も米世論も欧州でのこの大戦争に参戦するつもりが全くなかったのに、米国が参戦せざるをえなくなったのは、ドイツが米国にとっての三番目の「仇敵」たる隣国メキシコに対米軍事同盟締結を働きかけたことを、英国が暴いて米国に通報したからです(
http://en.wikipedia.org/wiki/Zimmermann_Telegram
。1月23日アクセス)。つまり、米国は日本と違って、自らの国土防衛のために参戦したのです。参戦後、米国が日本よりもはるかに積極的に戦ったのはそのためです。(太田)
 

 この太田コラムでは、対ドイツ作戦計画であるブラック計画がないことも問題視されてましたが、ブラック計画はWWIとして実行されたのであり、その後新たなブラック計画が策定されなかったのはWWIの結果、米国が再び引きこもり状態に戻ったために、計画がリークしたときの政治的リスクが高かったからだと考えればいいのと違いますかね(注4)。

 (注4)とんでもない。そんなことを恐れていたら、リークされた時の政治的リスクがはるかに高かったところのレッド計画やオレンジ計画を米国政府が策定するわけがありませんよ。(太田)

 日本はWWIに海軍を派遣して100人単位で戦死者を出してますが(ウィキペディア調べ)、米国は海軍に加え仏に百万人以上の陸軍を派遣し10万人以上の戦死者を出しています(Wikipedia調べ)。日本が条約の条文に拘って一部の日本の政治家にとってはしぶしぶの派遣であったのに対して(日英同盟では日本には欧州に派兵する義務はなかった)、米英間にはそもそも条約が存在していないのにもかかわらず、米国は文字通り桁違いの貢献をしたわけですよ(注3)。英国にとって日本と米国とどちらが重要な同盟国であるのかはこれではっきりしたと思います。米国の思惑で日英同盟が廃れるのも自然なことですよね。

2 日露戦争について

 露の台頭もそうですよ。日露戦争の主要因は露の南進政策ですよね。これを米国は日本と同様に極東の安定を乱す脅威とみなしたわけで、だから危機感を共有した日米間に一種の同盟関係が生まれただけの話(注5)ですよ。米国が日本を側方支援したのは露の台頭を阻むためであって、米国には日本にほれ込む義理はないです。

 (注5)日露戦争勃発当時、米世論は判官贔屓で日本寄りでしたが、だからといって「日米間に一種の同盟関係」など全く存在していませんでした。ドイツ生まれで全米ユダヤ人協会会長でもあったユダヤ系米国人で銀行家のヤコブ・シフが、日露戦争勃発直前の段階においてその勃発と日本の戦時国債が発行されるであろうことを知る立場となり、在米ユダヤ人達とあらかじめ根回しし、いよいよこの戦時国債が発行されるや、その引き受けに尽力した話は有名ですが、これはシフが、当時ユダヤ人迫害の元凶であったロシア憎しの感情から、戦争での勝敗を度外視して日本を支援しようと思ったからであり、ここに米国政府の意向は入っていません。(
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe150.html
。1月20日アクセス)(太田)

 太田コラム#1628(未公開)には、「<日本は日露戦争に勝利してシベリアの半分を獲得するだろうというNYタイムス>記事の出た翌日、ルーズベルトは日露講和の斡旋を名乗り出る。そしてポーツマス条約にいたるが、そんな人物が、真剣に日本のためになる講和をやるだろうか。しかし、日本は愚直にも彼の善意を信じた。」という引用があり、なんだか太田コラムらしからぬ浪花節です。
 当たり前の話ですがルーズベルト大統領は合衆国大統領なのであって、彼の本分は日本ではなく米国のために働くことにあります。そうしてなかったらもちろん彼は責められて当然ですが…。米国にとって重要なことは極東の安定が保たれることにあるわけです。それが米国が日本に肩入れした理由です。ですから、その結果、逆に日本が広大な領地を獲得することは米国にとってやはり極東におけるバランス・オブ・パワーが崩れることを意味するので当然反対するでしょう。日本にはすでに戦争継続能力がなくなっていたというのが私の見立てでして、ですからポーツマス条約の内容は日本にとって分相応だと思いますが、この引用がそうではないとしているのは、米国の勘違いか、筆者がわざと米国を悪玉に仕立てるためにこんな風になったのでしょう(注6)。

 (注6)日本の継戦能力がなくなっていたことに言及していない点では、どちらかと言えば日本悪玉論者と言ってよい朝河貫一も同様です(コラム#1629(未公開))。ということは、米国政府自体そう思っていなかった可能性が大です。米国の国際情勢分析能力のお粗末さは、私が累次指摘しているところでしたよね。いわんや当時の米国においてをや。(太田)

3 日米戦争について

 (1)日米戦争の原因

 WWIIというのは経済の観点からも切り込めると私は思うのです。つまり植民地主義経済から自由主義経済への転換ですよね。ここでは植民地主義とは植民地を獲得・運営して自給自足の経済体制を確立するという意味にしておきます。ですから経済は自然とブロック化します(注7)。そして、必ずそこからアボンされる国が出てきて、日独のように国民に不満がたまっていくわけです。それが暴発するのも自然な流れだったのでしょう。日本は結局身の丈を忘れて列強の真似事を始め(注8)て最後に貧乏くじを引く羽目になったというのが私の見立てです。

 (注7)列強が、本国と植民地間の貿易の関税を減免するのは当たり前ですが、戦間期に各列強が相互に関税引き上げ競争に走るきっかけをつくったのは、米国が大恐慌期に、愚かかつ無責任にも関税を引き上げたことです(典拠省略)。(太田)
 (注8)日本の台湾領有は、台湾に統治権が事実上及んでいないことを清が認めたことの論理必然的結果であることは当時も今も国際常識です(
http://www.nytimes.com/2006/12/01/world/asia/01wikipedia.html?pagewanted=print。12月2日アクセス)し、朝鮮半島の領有も、その前段たる朝鮮半島の保護国化も、李氏朝鮮(大韓帝国)が自立と近代化を拒み続けたために、不本意ながら行われたものであることも、当時の欧米人の共通認識でした(例えば、イサドラ・バード『朝鮮紀行』。コラム#403)。満州の保護国化までは、スペースの関係でここでは触れません。(太田)

 英国や米国からすれば、例えばフィリピンを獲得するのに大量のコストが要る。そして、そうやって獲得した権益を日本という脅威から守ろうとしたために日米開戦へとなったわけです。太平洋戦争で米国が費やしたコストは米比戦争の比ではないでしょう(注9)。米国から見ればあまりにも割りに合わないことです(注10)。まだはっきりと考えがまとまったわけではないのですが、おそらく米国がこの植民地主義に内在する矛盾に気付いた初めの国なのではないかと私は考えています。大戦中、ルーズベルト政権の肝いりで開催されたブレトンウッズ会議がまさにそうですよね。自由主義経済を確立するための布石ですよね。あるいは、もう一つ島田さんが挙げたスエズ戦争ですよね。未だに植民地主義の亡霊にしがみつこうとする英仏に米国がはっきりとノーを突きつけたという風には解釈できないでしょうか(注11)。

 (注9)それを言うなら、先の大戦で英国と日本をそれぞれ世界と東アジアの覇権国的地位から引きずり下ろすことに成功した結果、米国が、(欧州文明の派生物たる)共産主義の脅威に単独で立ち向かわざるをえなくなり、朝鮮戦争、ベトナム戦争等の熱戦とソ連や中共との冷戦に先の大戦に費やしたコストの何倍ものコストを費やす羽目に陥ったことを指摘すべきでしょう。(太田)
 (注10)米国は、日米戦争を含むところの先の大戦に参戦して、巨額のコストを費消することで、巨大な有効需要が創出され、初めて大恐慌以降の経済的苦境から脱することができたという明白な事実(典拠省略)を忘れてもらっては困ります。戦後の米国経済においても、巨額の軍事費は、軍事科学技術のスピンオフ等を通じてむしろ米国経済を牽引してきたとも言えます(典拠省略)。(太田)
 (注11)フランスは一貫して、そして米国は建国からフィリピン領有まで、植民地主義の亡者であったけれど、英帝国や日本「帝国」の形成は、「基本的」に国際法に従って、かつ英帝国の場合は合理的な経済計算に則って、淡々と行われたものでした。それなのに米国は、英国と日本への敵意から、国際法を無視して日本等の権益を蹂躙した支那の国民党政権に肩入れして、日本「帝国」を瓦解させ、次いで先の大戦で瓦解に向かった英帝国にトドメを刺すために国際法を無視して英仏の権益を蹂躙したエジプトのナセル政権に肩入れしたのです。前者の結果東アジアにどんな惨害がもたらされたかは既に何度も申し上げているところです。一方、後者の結果は、増長したナセルによる1967年の第三次中東戦争の惹起であり、これに敗北した恨みをはらすためのサダトによる1973年の第四次中東戦争の惹起でした(
http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Eden
。1月23日アクセス)。(太田)

 太田さんが持ち出すイデオロギーの異同は私はまだはっきりとした意見はないですが、まあ、理想だけではお腹はふくれないですからね。現実的なお金という観点も見逃せないなと思います(注12)。

 (注12)理想(長期的国益)と実益(短期的国益)とのバランスをどうとるかが対外政策の要諦であることは誰にも分かります。米国の場合、英国と日本に対する敵視政策は、それ以前のひどいものです。それは、国際法の擁護・普及と自由・民主主義の防衛・普及という米英日共通の理想(長期的国益)をかなぐり捨て、しかも日本に対する敵視政策の場合は、米国の実益にもほとんどならないというとんでもない代物だったからです。(太田)

 補足です。物資のために植民地を武力で分捕ってくる、それを維持するのにまた武力を行使するのに対して、世界経済が自由で開かれていれば、つまり金を出せばなんでも買えるのであれば、自由主義経済には非常に低いコストで植民地主義経済と同じ効能が得られるという優位性があります。そのような経済体制の下、米国のようなすでに他に抜きん出た工業国はそのアドバンデージを永遠に維持し繁栄することができるでしょう(注13)。このように経済体制を転換させることに米国が戦争の途中から(あるいはその前から)気付いた、というのが私の主張です。

 (注13)植民地経営は本国の経済に寄与する場合もその逆である場合もありますが、それはともかくとして、中共等の発展途上国が経済的に台頭したつい最近までは、貿易にせよ投資にせよ、先進資本主義国の本国間におけるものが決定的に大きなウェートを占めていました(典拠省略)。戦間期に米国が率先して関税を低減させて他国にもそうするように促しておれば、何も英帝国や日本の「帝国」を瓦解させなくても、「米国のようなすでに他に抜きん出た工業国はそのアドバンデージを・・・維持し繁栄することができ」たはずです。(太田)

 ですから、黄禍論と太平洋戦争とはやっぱり関係ないですよ。
 いみじくも太田先生ご指摘の通り(確か)、アジア人排斥はそのターゲットになったのは日本人よりも中国人が先です。その中国人による蒋介石政権を米国は熱心に支援したわけですから。やはり、偏見とは関係なく利用価値があれば利用する、出すぎた杭は打つ、というふうに考えたほうがすんなりいくと思います。当時の米国にアジア人に対する偏見がなかっと、と言うつもりはないですよ。ただ、外交方針とはあまり関係なかったのではないかというだけです(注14)。

 (注14)米国は第一次世界大戦が始まってからでさえ、また、戦間期においては先の大戦が始まる直前まで、西欧で出すぎた杭は打つどころか、西欧への一切の介入を控えました。国益(実益)にほとんど関わらないからです。他方、北米大陸の二つの隣国であるカナダ(英国)とメキシコに対しては常に作戦計画を用意して、侵攻・併合の機会を狙いました。米国の国益(実益)に関わるからです。米国にしてみれば、前者にも後者にも戦争をふっかけ、領土をふんだくったのですから、英国やメキシコからの復讐に怯えるのは当然だし、米国として、目の前にある資源が欲しくてたまらなかったこともまた理解できないではありません。中南米大陸も米国にとって北米大陸に次ぐ国益(実益)に関わる地域でした。これも理解してあげることにしましょう。モンロー宣言を思い出してください。
 その米国が、西欧同様米国の国益(実益)にはほとんど関わらない東アジアにおいては、フィリピン領有を嚆矢としてこの上もなく軽々しく介入を行い、特に、出すぎた杭である日本に対し作戦計画を用意しつつ、その出る杭を打ち続けたのはどうしてでしょうか。米国人の大部分が抱いていた黄色人種(有色人種)差別意識のせいのおかげで、米国政府が気楽に介入することができたからだとしか考えようがありません。
 もう一つ、米国政府によるかかる介入を容易にした理由があります。それは、米国のプロテスタントの宣教師達が支那ではキリスト教の布教がうまく行ったのに、日本では全くダメだったということです。支那人が可愛くなるわけです。その上、蒋介石夫妻がメソジスト派のプロテスタントだということになれば、日本の「侵略」に「抵抗」する国民党ファシスト腐敗政権を米国政府が支援することに米国内から反対の声が起きなかったのは当然です(コラム#177??179(公開))。こんな馬鹿げたことになるのも、米国に(英国には全く見られないところの、)キリスト教原理主義的偏向があるからです。(太田)

 サダムも一緒ですよね。イランイラク戦争では利用価値があったから支援したが、利用価値がなくなればポイですよ。米国は道義がなってないぞ、と責めるのは自由ですし、実際サダムも相当米国を恨みながら死んでいったとは思いますが、外交・国際関係なんて所詮そんなもんじゃないですかね。

 (2)幣原喜重郎と吉田茂

 最後に、太田コラム#1622(未公開)での幣原喜重郎批判について。
 もちろん、太田先生が仰るように自分の所属する(していた)組織を批判的に眺められるのは大事ですが、岡崎さんが幣原を評価するのは外務省OBだからというだけではないですよ。「三国同盟はたしかに百害あって一益ない同盟」という文からも分かるように松岡洋右ら元外交官・元外相はおなじ外務省OBでも全く評価してないですよ。
 戦前の日本にも米英協調を唱え(注15)日米開戦に消極的な勢力が確かにあったわけです。政界には幣原喜重郎、海軍には山本五十六ら条約派、官僚には吉田茂、論壇には石橋湛山(この人はちょっと違いますが)、そして昭和天皇(好意的に解釈して)。岡崎さんや私のような現代の親米は誰だって、当時の親米がもうちょっとがんばってくれてたらな、と夢想せずにはいられないんですよ(注16)。

 (注15)コラム#1622(未公開)で指摘したように、当時米国は反日・反国際法であり、英国は基本的に親日・与国際法でしたから、米国協調や英国協調は理論上ありえても、米英協調なんてのは理論上ありえなかったのですよ。(太田)
 (注16)しかし、米国協調は理論上ありえても、実践することなど不可能だったでしょう。米国の意図していたのは日本「帝国」の瓦解と植民地や勢力圏を失った日本の対米隷属化だったからです。そんな途方もないことを追求していたくせに、米国の常備軍事力は、それに見合うものでは全くありませんでした。これでは、一戦を交えずに米国の言いなりになる、というわけにはいかなかったことは当然だと思いませんか。他に方法があるのなら、幣原、岡崎両名に教えて欲しいものです。(太田)

 太田先生の目から見れば幣原が親米英を名乗るのはおこがましい、ということなのでしょうが、外相まで勤めた彼が当時の親米の中では最右翼だったんですよ。太田先生の言う通り、日本人はもっともっとアングロサクソンを理解する必要があります。そうすればあんなばかげた戦争はなかった。
 蛇足ですが、WWII後、武力の行使は限定的になったのであり、自由主義経済の下ではある意味無用の長物と化した軍事を一切外注し全てのリソースを経済発展に注ぎ込むというという英断を下した吉田茂は来るべき世界経済の到来を予期していたのであれば恐るべき卓見であったと言えます(注17)。日本が自由主義経済の発展にいかほどの努力を払ってきたのかは私はよく知らないのですが。

 (注17)吉田の真意はそんなところにはなかったと拙著「防衛庁再生宣言」で詳細に説明しているのですがね。それにしても、ついに吉田ドクトリン礼讃ですか!ブルータスよお前もか、と言いたくなります。(太田)

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