太田述正コラム#1636(2007.1.25)
<日本の新弥生時代の曙(その2)>(2007.2.26公開)

  イ カネの面での開放
 ヒトの面では「宗主国」米国が全面開放どころか部分的開放すら求めてきていないので事なきを得ていますが、米国はカネの面ではかねてより、全面開放なる米国流グローバルスタンダードの採用を日本に求めてきており、日本は抵抗を続けています。
 木村剛氏は、日経平均は、ようやく1万7000円近辺にまで上昇してきたが、その指数を構成している大企業は、史上最高益を3??4期連続で達成したりしており、バブル期に上げた経常利益を超えている優良企業も数多いというのに、株価はバブル期のピークである3万8915円の半値にも戻っていないのはどうしてかという問題提起をします。
 そしてその答えは、日本という国では、株を買って大株主になっても経営陣に意見を言うと怒られるし、株を買ってもうけたらバッシングされる、つまり日本はタテマエは資本主義国だが実態は社会主義国なりつつあるので外国人が日本への株式投資を躊躇し始めたからだ、と木村氏は主張しています。
 (以上、
http://headlines.yahoo.co.jp/column/bp/detail/20070110-00000000-nkbp-bus_all.html
による。)
 木村氏の歴史認識は間違っており、話は逆であって、現在の日本は、先の大戦の少し前に完成した日本型政治経済システム(太田の命名)という社会主義的な経済・社会システムが崩壊して資本主義的(アングロサクソン的)な経済・社会システムに転換しつつあるのです。もっとも、日本型政治経済システムが成立する以前の日本では、その経済・社会システムは資本主義的(アングロサクソン的)であったことから、単に当時に回帰しつつあるだけのことだ、という風に見ても良いのかもしれません。
 私なりに木村氏の問題提起に答えれば、日本は、経済・社会システムこそこのように変遷しても、(少なくとも江戸時代以降、)一貫して人間(じんかん)社会であり続けているのであって、アングロサクソン社会、とりわけ米国のような個人主義社会におけるように、企業は、単なる株主の所有物ではなく、企業内外の人間関係の束と認識されているため、企業が赤の他人に買収されたり赤の他人であった新参の大株主がすぐ経営に注文を付けたりすると強い拒否反応が起きる、ということなのです。
 問題は、日本における企業買収や株主の権利に係る法令が、このような日本人の企業観を的確に反映していないところにあります。
 言うは安くして行うは難きことではあるけれど、日本人の企業観を的確に反映するように法令を改正する努力をすべきであるし、それは理論的には可能なはずです。
 そのように法令が改正できた暁には、外国人投資家の日本株式投資への不安や疑問は相当程度解消することでしょう。

  ウ 官需受注の開放
 官需受注の開放については、一頃ほどうるさく言ってきてはいませんが、やはり「宗主国」米国がかねてより求めてきているものです。
 にもかかわらず日本では、いまだに官製談合を含むところの談合がしぶとく生き残っています。
 日本人の多くはなお談合を必要悪だと思っているかもしれませんが、談合を認めるように官需受注に係る法令を改正することなど理論的に全く不可能であり、あらゆる手段を講じて談合を根絶やしにするほかないのです。
 談合が根絶やしにできないのは、自民党の一党支配が事実上戦後半世紀以上にわたって続いてきたために、あらゆる官需関係企業が自民党と癒着しているためなのです(注1)。

 (注1)この癒着関係には、更に官僚が加わっている。木村氏は、日本の官民格差についても批判しているところ、中には誤解に基づくものもあるが、一般的に言って官が優遇されていることは事実だ。かかる官民格差は、官僚(公務員)が日本最大最強の既得権益擁護集団として自民党と癒着関係にあるからこそ維持されてきたものだ。

 このことは、今回の宮崎県における官製談合・贈収賄事件で改めて浮き彫りになったことです。
 談合を根絶やしにするためには、まさに宮崎県で起きたような政権交代を全国規模で有権者がもたらせばよいのです。つまりは自民党を政権の座から引きずり下ろすことです。
(以上、
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20070124ddm004070156000c.html
を参照した。)

(続く)