太田述正コラム#1641(2007.1.29)
<ブッシュの新イラク戦略(特別編)(その3)>(2007.3.1公開)

 (本扁は、コラム#1620の続きです。)

 ペトラユース(David Howell Petraeus。1952年??)米陸軍中将は、先の大戦中に米国に避難してきたオランダ人船長の息子として生まれ、米陸軍士官学校のすぐ近くで育ち、この学校に入学します。やがて彼は米陸軍指揮幕僚大学校を首席で卒業します。更にプリンストン大学で国際関係論の博士号を取得します。
 まさにペトラユースは現在の米陸軍の最高の知性なのです。
 その後彼は、暴発した小銃の弾が当たって緊急手術を受けて一命をとりとめたり、60フィート上空でパラシュートがこわれて地上にたたきつけられて骨盤を骨折したりします。
 シンセキのように、実戦での負傷(コラム#1616)ではありませんが、シンセキといい、ペトラユースといい、米国の軍人が文字通り体を張って軍隊生活を送っていることが分かります。
 ボスニア紛争の経験があったペトラユースは、2003年の対イラク戦の時に米101空挺師団を率いて5月にイラクの北部地方の都市モスル(Mosul)を占領した際、指揮下の約20,000人の兵士でもって現地の治安を見事に確保し維持したことで一躍その名を米国で知られるようになります。
 彼は、占領後わずか一週間以内に市評議会(city council)の選挙を行い、学校の清掃、工場の再開、地面の穴ぼこの補修、レクリエーション・プログラム作成のための資金を供与しました。
しかし、そんなことは軍人ではなくソシアル・ワーカーの仕事だと考えていた、当時のラムズフェルト国防長官以下の国防省上層部は、冷ややかな目でペトラユースを見ていました。
 また、ペトラユースは、米軍兵士に市街を警官のように巡回させるとともに、兵士を市街の中に分屯させました。兵士にイラク市民に敬意を持って接するようにも指導し、ドアを蹴破るのではなく、ノックをするように改めさせました。作戦行動をとった後には、近隣地区に特殊任務部隊を送って残骸を片付けさせたり損害賠償を行わせたりしました。要は、作戦行動で敵を一掃する際には、それより多くの敵を生み出さないように細心の注意を払ったということです。
 こうしてペトラユースは、フセインの二人の息子を追いつめ、射殺することができたのです。
 ところが、2004年1月にラムズフェルトは、モスル地区駐留米軍を101空挺師団からできたてほやほやのストライカー旅団(コラム#1616)に置き換えたのです。
 この旅団には兵士が5,000人しかいなかったこともあり、市街を歩いてパトロールをすることはなくなり、装甲車両で駆け抜けるだけになってしまいました。そして米軍は、建設者としてではなく占領者として、市民生活を全面的にイラク人の手に委ねたのです。
 この結果、何ヶ月も経たないうちにモスルはむちゃくちゃになってしまいました。
 その年の6月にペトラユースは、イラク軍を訓練する多国籍軍部隊(the Multi-National Security Transition Command)の責任者に任命されます。
 そして2005年9月には彼は米陸軍統合軍事センター(U.S. Army Combined Arms Center=CAC)(注2)の司令官に任命され、ここでペトラユースは、対叛乱作戦教範(The counter-insurgency warfare manual)の編纂を行うのです。

 (注2)指揮幕僚大学校のほか17の学校、センター、訓練プログラムを所管している。
 
 昨2006年に出版されたこの教範には、「より多くの部隊を用いれば用いるほどその効果は減少する」とか、「部隊を守ろうとすればするほど安全ではなくなる」といった禅問答めいた箇所が含まれています。
 また、教範の中で具体的に記述されている戦術は、1990年代にニューヨーク市警等で採用され、犯罪防止に劇的な効果があったとされる戦術と似ています。
 そして、このような戦術をとるためには、兵士はこれまでのように命令に従っているだけではダメで、創造的な意思決定ができなければならないことが強調されています。
 今回のイラク米軍増派案は、将官クラスではペトラユース自身の他、(ブッシュ大統領が昨年12月に面談した専門家達の1人である)キーン(Jack Keane)元米陸軍参謀副長、佐官クラスでは(ペース統合参謀本部議長が昨年秋に設けた佐官諮問会議のメンバーである)マクマスター(H.R. McMaster)(コラム#1615) やマンスール(Pete Mansoor)、そしてキーンとともにイラク戦略に係る提言を発表してきたアメリカン・エンタープライズ・インスティテュート(AEI)のネオコン研究員のケーガン(Fredrick Kagan)らのアイディアです。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/01/06/AR2007010601185_pf.html
(1月8日アクセス)
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1576838,00.html?xid=site-cnn-partner。(1月13日アクセス)、
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1989554,00.html
(1月13日アクセス)、
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/6250043.stm
(1月27日アクセス)、及び
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Petraeus
(1月28日アクセス)による。)

 自分自身が編纂した上記教範には、対叛乱作戦においては、住民50人に1人の兵士が基準となるという記述があるところ、それならバグダッドだけでも120,000人の兵士が必要であるというのに、増派後、バグダッドの米軍兵士の数は85,000人になるだけですが、ペトラユースにはそれなりに成算があるのでしょう。
 そのペトラユースは、ブッシュ米大統領によってイラク派遣米軍司令官に指名され、1月26日、この人事は米上院で81対0の全員一致で承認されました。(欠席19人)
 ブッシュ政権にとっても、また、米議会、とりわけ民主党議員にとっても、ペトラユースは最良の選択であり、最後の希望であるようです。
 (以上、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-ex-petraeus26jan27,0,4363654.story?coll=la-home-headlines
(1月27日アクセス)による。)

(完)

<島田>
 Gen.Petraeusの名前の発音については、YouTubeとかで聞く限りは、ペトレイアスが一番近いと思います。ペトロースという人もいますが。