太田述正コラム#1701(2007.3.23)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その3)>(2007.4.25公開)

4 「理論的」考察のための補助線

 (1)始めに
 
 私による慰安婦問題の「理論的」考察をご理解いただくためには、何本か補助線を引くことが近道です。
 そういうものとして、男女の本質的な違い、人類共通の倫理感、特殊な倫理感たるビクトリア朝的倫理感、とは何か、があります。
 以下、順番にご説明しましょう。

 (2)男女の本質的違い

 男女の違いはたくさんあります。
 女性の天才と魯鈍が男性に比べて少ないことは、平均的な男女の違いとは言えません。
 平均的な男女の違いとしては、膂力の違いもありますが、より重要なのは、女性にとって愛のないセックスは苦痛以外のなにものでもない、という点です(注6)。

 (注6)にもかかわらず、古今東西、男性は、女性の方がより淫乱である、という伝説をつくりあげてきた。

 大部分の女性からすれば、男性によってセックス・シンボルとして褒めそやされることすら苦痛なのです。
 (以上、
http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/IC20Aa02.html
(3月20日アクセス)による。)
 他方、男性の方は、愛があろうとなかろうと、セックスは常に快楽であるというのですから、淫乱を画に描いたような生き物です。
 ここから、単純化しすぎであるとの批判は甘受しますが、以下のような現象が生じます。
 一つは売春(バーチャルな売春であるポルノを含む)です。
 金銭的利益が得られない限り、女性は愛のないセックスなどするわけがないからです。
 売春が禁じられているような社会では、需要と供給の法則に従い、売春の対価はつりあげられます。
 そうなると、売春の中間搾取によって得られる利益が大きくなり、女性を拉致してきて強制的に売春行為に従事させるといったことも起きます。これがいわゆる性的奴隷(sex slave)です(注7)。

 (注7)アングロサクソン社会でも、性的奴隷がたくさんいることは、英国に関する
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/6459369.stm
(3月20日アクセス)参照。

 もう一つは強姦です。
 結婚相手や売春宿から遠く離れた環境下では、たとえ性的異常者でなくとも、少なからぬ若い男性は、強姦願望を抱き、少数はそれを実行に移します。
 外征軍に強姦がつきものなのはそのためです(注8)。
 
 (注8)米軍、とりわけ在イラク米軍における、男性兵士による女性兵士の強姦の頻発について、
http://www.csmonitor.com/2007/0319/p99s01-duts.html
(3月20日アクセス)、及び
http://www.slate.com/id/2162464/
(3月23日アクセス)参照。

 以下は付け足しです。
 最初から愛をともなわない結婚もあるくらいですが、少なくとも愛が失われた結婚などざらであることを考えると、結婚には、セックスを媒体とする男性から女性への所得移転のメカニズムである、という側面があります。
 これに関連し、男性による女性差別は、売春や結婚という形で構造的に女性によって金銭をまきあげられている男性による、女性に対する意趣返しないし防衛である、という見方もできるかもしれません(注9)。

 (注9)現在の日本における女性差別について、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/01/AR2007030101654_pf.html
(3月3日アクセス)参照。

 また、米国のように、女性差別が基本的に解消した社会において、このところ、管理者的ポストについている女性の割合の減少が見られ、やはりガラスの天井的なものが厳然として存在していることが今更のように話題になっていること(
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-dobrzynski17mar17,0,3038088,print.story?coll=la-opinion-rightrail
。3月18日アクセス)は、セックスを媒体とする男性から女性への不労所得的な所得移転が所与である以上、大部分の女性は、男性をけ落としてまで高収入をめざすことに大きなメリットを見出していない、ということなのではないでしょうか。

 (3)人類共通の倫理感

 さて、「従軍」慰安婦制はよくない、といった議論を戦わせるにあたっては、議論を行う人々が共通の倫理感を抱いていることが大前提になります。
 では、人類共通の倫理感などというものがあるのでしょうか。
 あります。
 人類に共通の倫理感覚が備わっているどころか、類人猿にすら人類と共通の倫理感覚が備わっている、というのが通説になりつつあります。
 すなわち、感情移入(empathy)、社会的ルールの習得・順守、相互性、仲直り、をよしとする感覚はサルでも持っている、というのです。
 当然のことながら、サルは、理性によってこのような感覚を身につけるに至ったわけではありません。
 蛇足ながら、このことから、倫理性は理性によって根拠づけられなければならないとしたカントは誤っており、倫理的判断は感情に由来するとしたヒュームが正しかったことになります。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2007/03/20/science/20moral.html?pagewanted=print
(3月21日アクセス)による。)

(続く)