太田述正コラム#13030(2022.10.1)
<2022.10.1オフ会次第>(2022.12.26公開)

1 始めに

(1)実際の「講演」用メモ。

 一、「講演」原稿では岸の批判ばかりを行ったが、岸に取り柄が全くないわけではない。
 彼は、一流の職人になる素質があったと思う。
例:ア 巣鴨プリズンの頃に岸が作成した、みかんの皮で作成したなつめ(*183)
   イ 晩年の岸の書(写経(*91)、色紙(*185))
 (「*」については、「講演」原稿中の範例を参照のこと。)
  
 二、歴史の見方

 耳タコだろうが、マックス・ヴェーバーは歴史に取り組む方法論は正しかったけれど、その方法論の使い方に遺漏があった。
 私は、社会の上澄みの人(人々)の、考え方、思想、宗教、が当該社会の方向性を定める、という、このヴェーバーの方法論を、より適切な形で使って、歴史に取り組むよう、心がけて来た。
 こうして、私は、日本史に関して、厩戸皇子の聖徳太子コンセンサス、と、日蓮の日蓮主義、が、それぞれ、爾後の日本の歴史を規定した、ということを主張してきた。
 その上で、今回は、戦後の日本が主権を回復してから以降の日本の歴史を規定したのが岸の岸カルトだ、ということを主張した次第だ。

 三、老いについて(この部分はビデオ収録せず)

 あのOF君(コラム#12951)とのその後のやりとり。↓

<OF>

 専門外で老化している私が専門家の貴兄に大変失礼な事を申し上げていたみたいで、そのため貴重な時間を無駄に割いて頂いていた事、本当に申し訳ありませんでした。

<太田>

 ドンマイドンマイ。
 老いの責任はあなたにはありませんよ。
 なお、今回の件に関しては、林なんとかさんに惹かれている読者もいたので、時間のムダになんか全然なってません。
 (やりとりは、貴兄のアイデンティティをぼかした上で私のコラムに転載させていただきました。)
 引き続き、どうぞよろしく。 

⇒結局、それ以降、彼からの連絡はない。
 平均寿命が延びた今日、老いの問題は深刻だ。
 私の友人達の大部分が、私から見ると、かなり前から老いてしまっており、かく言う私自身も、(主観的には老いてはいないけれど、)他人が私をどう見ているのか、いささか気になる。

 (2)オフ会概況

 私を除き、(2名のSkype参加を含む)7名参加。
 原因不明だが、Skypeを通した私等の声を参加者が聞き取りにくい状態が続いたが、全般的にはつつがなく終了。

2 2022.10.1オフ会次第
 (Oは私。後は、特定のアルファベットが同一人を現わすわけではない。)

O:(「講演」の中で:)本日のディスカッションで、TSYさんの投稿(メール)に対して、経営学をお忘れでは、的なコメントを載せておいたが、私見では法学は学問ではないけれど、私が東大法を出ていることも、戦前後期から戦後の主権回復期直後くらいまでは、東大法出身者が政治家や学者として大きな役割・・但し、正というよりは負の役割・・を果たしたことから、小さくないと思う。
A:学問と言えば、太田さんは、スタンフォード時代に、数学専攻の日本人の友人の助けを借りながら、数学科の授業に出たと聞くが、それは何のためだったのか。
O:単純な理由であり、経営学にしても経済学にしても、一定レベル以上の授業は数学を駆使して行われており、数学の素養がないと、ついていくことすら困難だからだ。
 しかし、結局、数学は身に付かなかった。
 私は中学校以来、数学(ないし数学的であるところの物理)だけができなくて苦労させられたものだ。
 現在では、それが私の個性だと達観できるようになった。
 私が、人とは一味違った問題意識を持ったり、人とは一味違った結論を出したり、する結果、自分の判断では、結構得心のいく、ユニークな成果を出すことができてきたのは、この私の個性の賜物だ、と。
B:今日の「講演」は演題が旬の時事モノであることから、もっと、オフ会への出席者が多くなると思った。
O:このところずっと、「講演」原稿を収録したディスカッションを上梓した日は、その前日よりも太田ブログへのアクセス数が減るという珍現象が起きているところ、これは「講演」原稿が載る日だと認識すると、長い文章は見るのもいやだと多くの読者が太田ブログへのアクセスを控えるためだと私は見ており、本日も、昨日に比べ、どれくらいアクセス数が減るか、興味津々だ。