太田述正コラム#13102(2022.11.6)
<工藤美知尋『海軍大将 井上成美』を読む(その15)>(2023.1.31公開)

 「・・・<1939年>8月8日の五相会議は、陸軍三長官・・・会議の決定を根拠にして軍事同盟の締結を迫る板垣陸相と、他の四相との間で激論が展開された。

⇒板垣征四郎は、日蓮宗徒たる日蓮主義者ですが、(国柱会会員で満州事変を共に決行した石原莞爾
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E5%BE%81%E5%9B%9B%E9%83%8E
とは違って、)杉山構想を明かされてはいた、と私は見るに至っている(コラム#12936)ところ、当時、北支那方面軍司令官であった前任の陸相たる杉山元
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%85%83
・・その時の、というか、その時も、隷下の第1軍の司令官を梅津美治郎が務めている!・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%B4%A5%E7%BE%8E%E6%B2%BB%E9%83%8E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E8%BB%8D_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
の事実上の統制の下で言動を行っていた、ということになります。(太田)

 席上石渡蔵相は、「一体同盟を結ぶ以上、日独伊三国が英仏米ソ四国を相手に戦争をする場合のあることを考へねばならぬが、その際は8割までも海軍によって戦はれると思ふ。ついてはわれわれは腹を決める上に海軍大臣の意見を聞きたいのだが、日独伊の海軍と英仏米ソの海軍と戦って我に勝算があるか」と質問した。
 すると米内は、何の躊躇もなく「勝てる見込みはありません。大体日本の海軍は米英を向こうに回して戦争するやうに建造されておりません。独伊の海軍に至っては問題になりません」と明確に返答した。
 戦後井上成美は、次のように回想している。
 「私の軍務局長時代の2年間は、その時間と勢力の大半は三国同盟問題に、しかも積極性のある建設的な努力でなく、唯陸軍の全軍一致の強力な主張と、これに共鳴する海軍若手の攻勢に対する防御だけに費やされた感あり。・・・
 当時の一課長は岡敬純大佐、主務員は神重徳<(注24)>中佐いずれも枢軸論の急先鋒で、既に軍務局内で課長以下と局長の意見が反対なのだから誠に始末に悪い。

 (注24)かみしげのり(1900~1945年)。海兵48期(10番)、海大31期(首席)。「1935年(昭和10年)4月1日、在ドイツ日本大使館附海軍駐在武官府補佐官補。12月11日、帰国。帰国後は親ナチスとなりヒトラーが勝つと周囲に説いた。神はヒトラー髭にもしていた。1936年(昭和11年)3月10日、海軍省出仕 兼軍令部出仕。3月19日、海軍省軍務局第1課 兼艦政本部出仕。・・・
 神は日独伊三国軍事同盟賛成派の急先鋒であり、反対派の軍務局長井上成美の外務省との案件に神は抗議しにきたが、井上が更迭をほのめかすと神妙になり指示に従った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%87%8D%E5%BE%B3

⇒私が杉山元の息のかかった海軍工作員と見ているところの、岡敬純一課長がナチスドイツかぶれの神重徳を部下に鉄砲玉として引っ張ってきたのでしょう・・神が、「<1943>年<に>東条首相暗殺計画に関与<した>」
https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%87%8D%E5%BE%B3-1067041
ことからも、彼が鉄砲玉でしかなかったことが明らかです・・が、神に更迭をほのめかしたって、神は直接の上司である岡の指示も受けて言動を行うわけであり、一課について言えば、岡と神を、(山本次官の同意を取り付けて)本当に更迭すべきだったのに、そうしなかったのは理解に苦しみます。
 それが出来なかった事情を工藤には追究して欲しかったところです。(太田)

 陸海軍の交渉回を重ねるに従ひ、論争の焦点は段々絞られて『独又は伊が戦争状態に入った場合、日本は自動的に戦争に荷担する』との条文一つに、陸軍はこれでいいんだと主張するのに対し、海軍は絶対反対で両方対立するようになり、又その頃には、海軍の中で反対しているのは大臣、次官と軍務局長の3人だけと言うことも世間周知の事実になってしまった」
 陸軍との論争において海軍が一本にまとまった存在でありえたのは、米内<海相>、山本<次官>、井上<軍務局長>のトリオが強力なリーダーシップを発揮したからであった。」(171~172)

⇒私がこの3人を三馬鹿トリオと呼んでいる(コラム#省略)ところ、それはともかくとして、海軍が一本にまとまった存在でなかったのは明らかなのに、江藤がどうしてこういう書き方をするのか不思議です。
 また、そんな海軍にひきかえ、また、外務省も割れていたというのに、陸軍だけがほぼ「全軍一致」していた、できていた、のは一体どうしてなのだろうか、という問題意識を井上成美が抱いた形跡がないのもまた、私には不思議でなりません。(太田)

(続く)