太田述正コラム#2078(2007.9.22)
<イスラエル空軍機のシリア攻撃(続x3)>
 (本篇は、即時公開します。)
1 始めに
 その後の英米のメディアによる、本件の報道内容を、私見を交えつつご紹介しておきましょう。
2 関係国の反応
 (1)イスラエル
 イスラエルの野党リクードの党首のネタニヤフ(Binyamin Netanyahu)元首相は20日、「首相がイスラエルにとって何か重要で必要なことを行う場合は、私は同意を与える」とイスラエル空軍機のシリア爆撃があったことを、イスラエルの関係者として始めて認めました(
http://www.guardian.co.uk/syria/story/0,,2173899,00.html
。9月21日アクセス)。
 その一方でイスラエル政府は、シリアとの緊張緩和に腐心しているように見えます。
 オルメルト首相は、国際法上は戦争状態にあるシリアと、無条件で平和交渉を再開する用意があると述べました。
 これは7月11日に同首相が述べたところの、「私はアサド・シリア大統領と平和について話し合う用意がある。シリアと平和を取り結ぶことができればうれしい。私はシリアに戦争を仕掛けたくはない」というスタンスに何ら変更がないことを意味しています。
 これに加えて、18日にはイスラエルのペレス(Shimon Peres)大統領が、「われわれはダマスカスとの対話の用意がある」と述べました。
 そもそも、爆撃にあたってわざわざ、ゴラン高原に展開している兵力の一部を、シリアに通報した上で、イスラエル南部のネゲブ砂漠に移駐させているのです。
 (以上、
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/II22Ak06.html
。9月22日アクセス)。
 イスラエル軍部自身、ゴラン高原をシリアに返還する件でのシリアとの交渉再開を上申したと伝えられています(
http://www.secure-x-001.net/SecureGeo/Issue/SecureObservationComments.asp?IssueFunction=103&Site=109&Portal=1
。9月22日アクセス)。
 イスラエル政府が、爆撃について箝口令を敷いていることと以上のことから、イスラエルがシリアとの関係を悪化させないよう、最大限の努力を払っていることは明らかです。
 そんなことをする目的は、何かもっと大事が控えているからとしか考えられません。
 やはり一番可能性があるのは、イスラエルがイランの核施設等への攻撃を真剣に準備中である、ということです。
 (2)米国
 他方、同じ20日、ブッシュ米大統領は、本件についてのコメントを何度も拒んだ上、「われわれは、北朝鮮が核兵器と核計画を放棄するという約束を守ることを期待しているし、もし彼らが核拡散を行っているのだとすれば、6か国協議を成功させたいのなら核拡散を止めることを期待している」と述べるに留めました(
http://www.ft.com/cms/s/0/4f50eef6-67a3-11dc-8906-0000779fd2ac.html
。9月21日アクセス)。
 米ブッシュ政権は、北朝鮮のシリアへの核資器財の提供疑惑が浮上した時点において、この問題を強く提起はしないという戦略的意志決定を行ったと報じらています。
 これは、2002年に当時のケリー米国防次官補が、確証のないまま、北朝鮮のウラン濃縮計画疑惑を追及したところ、北朝鮮との対話が途絶え、3ヶ月後に北朝鮮が核拡散防止条約からの脱退を声明した、という前例に懲りているからだ、というのです。
 (以上、FT上掲による。)
 9月6日の爆撃から1週間後、米国が北朝鮮に対し、核廃棄を実行すれば見返りに2,500万米ドル相当の重油を提供する意向を表明した(secure上掲)ことや、ブッシュ政権が、爆撃後、事実関係について、リークは黙認しつつも公式には沈黙を保っているのは、イスラエル政府の要請を受け容れたものであり、その上で、北朝鮮の出方を冷たく見守っている、ということであろうと私は考えています。
 (3)北朝鮮
 21日、中共は、北京で27日から4日間の日程で6か国協議が開催されると発表しました。
 これは、北朝鮮が、とにかく協議には出て米国の出方を見極めようとしたことを意味します。
 その一方で、21日に、平壌で崔泰福(Choe Tae Bok)朝鮮労働党中央委員会書記とダウード(Saaeed Eleia Dawood)シリア・バース党(Ba’ath Arab Socialist party)組織局長との間で会談が行われています(
http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,2174292,00.html
。9月22日アクセス)。
 これは、両国の間で口裏合わせが行われたもの、と見るべきでしょう。
3 シリアと核計画
 2004年に当時のボルトン軍備管理担当国務次官が、シリアが核計画を推進している、とシリアを非難しました。
 これは、2003年の対イラク戦直後、米国はフセイン政権の重鎮達がシリアに逃亡したと指摘したにもかかわらず、彼らの大部分がイラク国内で拘束され、次いでイラクの大量破壊兵器がシリアに運ばれたと指摘したにもかかわらず、それが間違いであることが判明した後に行われた三番煎じのシリア非難でした。
 それでも捨て置けないので、IAEAが調査に乗り出したのですが、2004年6月26日にエルバラダイ事務局長が、米国の非難の根拠を見出すことは全くできなかったというコメントを発表し、調査は終了しています。
 (以上、アジアタイムス前掲による。)
 それだけに、やはりシリアは核計画を推進していたのか、という驚きの声と本当だろうかという疑問の声が出ているわけです。
4 新たに分かってきた事実
 トルコ領空を通ってイスラエルの編隊が目標に接近したという説がある(典拠失念)上、帰投する際に補助燃料タンクをトルコ領内に投棄したところから、イスラエルがトルコ軍部と事前に調整していた可能性が取り沙汰されています(secure前掲)。
 爆撃の前に、本件で米国がイスラエルと諜報面で協力していた、という報道もなされています。
 爆撃担当の戦闘機のパイロットは離陸後にようやく任務を明かされたところ、編隊中の制空担当の戦闘機のパイロットに至っては、任務の詳細を最後まで明かされなかったくらい、秘密厳守が徹底していたようです。
 もともと犠牲者の数を最小限にするために6日の未明に爆撃が敢行されたのですが、犠牲者がゼロだった可能性があるようです。
 爆撃の3日前に入港した北朝鮮の船については、核資器財を積載していたという説が有力ですが、ミサイル部品を積んでいただけだという説や、そんなものは一切積んでおらず、爆撃の時期と入港の時期がたまたま重なっただけだ、という説もあります。最後の説は、イスラエルは、メディアに情報が漏れることを心配して、早めに爆撃を敢行したのではないかというのです。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/09/20/AR2007092002701.html?hpid=topnews
http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,2174292,00.html
(どちらも9月22日アクセス)による。)
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 コラム#2079(2007.9.22)「ミャンマー動く」のさわりの部分をご紹介しておきます。
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 今回の反政府活動のきっかけになったのは、8月15日に突然当局がガソリン等の燃料を2倍に値上げしたことでした。
 8月19日から、まず、軟禁中のアウンサン・スーチー(Aung San Suu Kyi) 率いる民主同盟(National League for Democracy=NLD)の指導者達や学生達が抗議行動の先頭に立ったのですが、当局の弾圧を受けて逮捕されたり逃亡したりして抗議行動が下火になったところへ、若い僧侶達が抗議行動に参加し始めた、という経緯をたどって現在に至っています。
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 ・・9月18日から、僧侶達による抗議行動が、ミャンマー最大の都市であり、つい最近まで首都であったヤンゴン(ラングーン)等で組織的に行われるようになったのです。
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 22日には、マンダレーで約4,000人の僧侶達を中核とする約10,000人のデモが行われました。
 これは、1988年の暴動以来の大規模なデモであると言えます。
 ヤンゴンにおいても、連日降りしきる雨の中で、21日の約1,500人の僧侶達によるデモに引き続き、22日、約1,000人の僧侶達に約800人の一般市民が加わる形でデモが行われました。
 この間、「全ミャンマー僧侶連盟(The All Burma Monks Alliance)」という耳慣れない団体が、一般市民に対し、僧侶達による抗議行動に加わるように促しました。
 「われわれは、僧侶を含むあらゆる人々を貧困に陥れている悪の軍事専制を全市民の的であると宣言する。・・この共通の敵である悪の体制をミャンマーの土地から永久に放逐するために、団結した大衆は団結した僧侶勢力と手を携える必要がある」と。
 こんなことは、独立以来、初めてのことです。
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 <しかし、>・・今後当局が強硬な弾圧に出てこないという保証はありません。
 米国の国連大使<や>・・英国の国連大使は、<ミャンマー当局に警告を発しています。>
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 北朝鮮とシリアの核開発提携疑惑にも、この風雲急を告げるミャンマー情勢にも余り日本のメディアは関心を示していないようで、まことに困ったものです。
 日本の数多ある市民団体はどうしてミャンマーの民主化勢力への連帯と支援のアッピールの一つくらい行わないのでしょうか。
 どうして日本の外務省は、ミャンマー当局に警告を発しようとはしないのでしょうか。
 現在の日本では、他人のことを顧みようとする人物など払拭しているということなのでしょうか。