太田述正コラム#2071(2007.9.18)
<ベルギー解体へ?>(2007.10.19公開)
1 始めに
 ベルギー(Belgium)というと皆さん何を思い出しますか。
 フランダースの犬ですか、ブリュッセル(Brussels)の小便小僧ですか。
 EUの欧州委員会と欧州連合理事会事務局、それに北大西洋条約機構(NATO)事務局があるのもブリュッセルですね。
 そのベルギーが解体の危機に直面しています。
2 解体の危機に直面しているベルギー
 (1)ベルギーという国
 ベルギーはオランダ語住民の住む北部のフランダース(Flanders)とフランス語住民の住む南部のワロニア(Wallonia)からなる立憲君主国です(注1)。
 (注1)ベルギーは、中世からフランス革命期まで、ハプスブルグ家及びスペインの支配下にあったという点で、オランダないしフランスと異なる。
 人口1050万人のうち、フランダースに58%が住み、ワロニアに32%が住み、残りの10%が、地理的にはフランダースの中にある首都のブリュッセル地区に住んでいます。ブリュッセルの人口の85%はフランス語住民です。
 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Belgium
(9月18日アクセス)による。)
 ベルギーは19世紀の初頭、欧州中で最も早く産業革命が起こったところであり、1830年に建国されて以来、長きにわたってワロニアが鉱工業の中心としてベルギーを牽引してきたのですが、このところ立場が逆転し、今ではワロニアは経済後進地域に転落し、経済先進地域となったフランダースの後塵を拝しています。
 (2)家庭内別居状況
 フランダースのキリスト教民主党党首のレテルメ(Yves Leterme)は6月10日の選挙以来、組閣ができないでいます。
 ベルギー憲法では、閣僚にフランダース、ワロニアから同数ずつ就くものとされているところ、ワロニアの政治家達が、フランダースがベルギー解体を企んでいるとして組閣に応じないでいるためです。
 ベルギーが解体する場合、一番問題になるのは首都ブリュッセルの帰趨です。
 フランダース側はブリュッセルが欲しいのに対し、ワロニア側は当然、絶対反対だからです。
 ちなみに、最近の世論調査では、フランダースの住民の45%がベルギー解体に賛成しているのに対し、ワロニアでは賛成は20%だけしかありません。
 また、3月に実施された世論調査では、「10年後にもベルギーという国はまだあると思うか」という問いに対し、フランダースでもワロニアでも10分の9が「はい」と答えましたが、「2050年以降では?」と聞くと、50%以上が「いいえ」と答えています。
 (3)問題の所在
 1989年には時のベルギー首相のマルテンス(Wilfried Martens)は、ベルギーは「欧州の原型」であって、この連邦制ベルギーは「組織化された多様性の下で統合した人々から成るところの欧州の前兆である」と述べました。
 また2003年には、辞任を目前にした時のベルギー首相のフェアホフシュタット(Guy Verhofstadt)は、ベルギーを「欧州統合の実験室」であると述べました。
 そして2004年には、国連がその「文化的自由」なる報告書において、多民族国家たるベルギーは、諸国が「国家的統合と文化的多様性のどちらかを選択する」必要がないことを証明していると謳ったものです。
 しかし、ベルギーの実態はそんな美辞麗句とはほど遠いものでした。
 フランダースとワロニアの人々はお互いに交わり合うことがほとんどありません。通婚もほとんどありません。選挙も別々、見るTV局系列も別々、読む新聞も別々であり、ワロニアではオランダ語をどうにかしゃべれる者は17%しかいません。
 こんなベルギーは今まで解体しなかった方がむしろ不思議なのです。
 国民統合の象徴たる王室の存在が唯一最大の理由です。
 国歌や旗日なんて全く統合の象徴の役割を果たしていません。
 7月の21日の旗日に、首相指名者たるレテルメは、国歌を唱和する際、フランス国歌のラ・マルセイエーズを歌ったので、彼が国歌の文言を知らないのではないか、と話題になりました。さすがにこれは、国歌の文言が気にくわなかったのであえてフランス国歌の文言で歌ったということだったようなのですが、レテルメがこの旗日のいわれ・・初代国王レオポルド(注2)1世の就任式の日・・を知らなかったのも話題になりました。
 (注2)サックス・コーブルグ・ザールフェルド(Saxe-Coburg-Saalfeld)家、後にサックス・コーブルグ・ゴータ(Saxe-Coburg and Gotha)家のLeopold George Christian Frederick(1790~1865年。ベルギー国王:1831~65年)。 英国のビクトリア女王は彼の姪、またビクトリアの夫アルバートは彼の甥。(
http://en.wikipedia.org/wiki/Leopold_I_of_Belgium
 もっとも、世論調査によると、ベルギー人の5人に1人しかこの祝日のいわれを知らないので、レテルメを余り責めることはできません。
 (以上、事実関係については、特に断っていない限り
http://observer.guardian.co.uk/world/story/0,,2170156,00.html
(9月17日アクセス)、及び
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-rodriguez17sep17,0,7748605,print.column?coll=la-opinion-rightrail
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6995511.stm
http://en.wikipedia.org/wiki/Belgium
(いずれも9月18日アクセス)による。)
3 感想
 ドイツ語圏・フランス語圏・イタリア語圏等からなるスイスが、王室なしで統合を維持し続けてこれたのに、ベルギーが王室があっても統合維持が困難になりつつあるのはなぜか、不思議ですね。