太田述正コラム#13184(2022.12.17)
<2022.12.17オフ会次第>(2023.3.14公開)

1 始めに

出席者の一人が、前回も出席していて、リモートでの音声の不調の件を知っていて、最新式のカメラ付きマイク(パソコン用)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%BC-200%E4%B8%87%E7%94%BB%E7%B4%A0-WEB%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9-%E5%BA%83%E8%A7%92120%C2%B0%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E5%86%85%E8%94%B5%EF%BC%88%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BC%89-BSW500MBK/dp/B081PN2TC8/ref=asc_df_B081PN2TC8/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=343023005457&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=5878031142560862791&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009306&hvtargid=pla-852395343758&psc=1
を無償提供してくれ、私が買ったスピーカーフォンでもなおリモートでの音声が時々不調になったところ、もう一人の出席者(オフ会幹事団の一人)がパソコンのマイク機能とスピーカーフォンのスピーカー機能(だけ)を組み合わせる方法を考え出し、それでだましだまし質疑応答セッションを終え、その後、カメラ付きマイク提供者が検証し、結論的には、カメラ付きマイクを使ってパソコンのスピーカー機能を使う方式が、一番音声の不調を生じにくいことを発見してくれた。
 というわけで、せっかく買ったスピーカーフォンは、一回だけでお払い箱という運命に・・。
 なお、出席者は私を除いて4名でリモート参加者は2名だった。
 次回は、2023年3月25日(土)だ。

2 2022.12.17オフ会次第(Oは私。他のアルファベットは必ずしも特定の人を表してはいない。)

O:数回前までは、オフ会「講演」原稿を掲載したディスカッションは、アクセス数が跳ね上がったものだが、最近では、むしろ、アクセス数が大きく下振れするようになっている。
 本日のディスカッションでも、どれくらい下振れするか、興味がある。
A:太田コラム読者層が、共通一次前世代から後世代へと変わり、大学入試一次試験に記述式設問が課されなくなり、受験生/大学生の国語力が低下したせいだと思う。
O:しかし、ディスカッションの、原稿以外の部分は読んだっていいではないか。
B:どれくらいの分量かは、スケーラーの位置で分かり、長そうだと思うと読まないからだろう。
 それくらい、薄い関心しか太田コラムに持っていない人々が同コラムのメインの読者だということだ。
A:杉山構想が初めて登場したのは、オフ会「講演」原稿においてだったのか、通常のコラムにおいてだったのか。
B:オフ会「講演」原稿においてだったはずだ。
 太田さんが、杉山構想に行き着いた過程だが、太田さんの中学の同級生の渡洋二郎氏が、自分の御先祖様の渡正元の本を紹介し(コラム♯8755)、その本をシリーズとして取り上げた時、どうして、明治期に、軍事、行政等に亘って幅広く活躍した人が輩出したのか、という問題意識を抱き、そのルーツを江戸時代の藩校教育の中に求めようとしたところ、藩校に弥生性教育を放棄したものと放棄しなかったものとがあることを見つけ、弥生性のルーツが平安時代に生まれた武士にあることに思い至り、桓武平氏や清和源氏が朝廷によって創り出されたことを確認し、その発想の原点を天智朝、ひいては聖徳太子に求め、聖徳太子コンセンサスという概念を打ち出し、再び、時代を下り、桓武天皇構想なる概念を打ち出し、島津斉彬コンセンサスを経て杉山構想に至った、というのが経緯だ。
 とにかく、渡洋二郎氏が登場するまで、太田さんにはそんな志向性は全くなかった。
O:なるほど、そうだったのか。
 同級生って偉大だな、いや、というか、その同級生の御先祖様の正元がたまたま偉大だったわけだが・・。
 洋二郎君が別の史料をかなり前に送ってきてくれていて、一見面白そうではなかったのでそのままにしていたところ、何か月か前に、彼と話した時に、いつか、必ずコラムで取り上げると約束して、まだその約束を果たしていない。
B:是非果たしてあげて欲しい。
C:太田茂『新考・近衛文麿論–「悲劇の宰相・最後の公家」の戦争責任と和平工作』を置いてゆく。
 その中に、岩畔豪雄が杉山元は便所のドアと言われていて岩畔自身もそう思っている的な話が出てくるが、杉山は傑出していたところ、自分を便所のドアのような存在だと人に信じ込ませる誑かし術にも長けていたのではなかろうか。
O:2~3回後のオフ会「講演」で、細川護熙論をやることを考えているが、その前座で近衛を取り上げるのも一興かもしれない。
B:今回、二・二六事件の再考が行われているが、五・一五事件についてもぜひ再考を行って欲しい。
O:分かった。