太田述正コラム#2075(2007.9.20)
<退行する米国(続x4)>(2007.10.21公開)
1 始めに
 今回はもう一人の経済学者、クルーグマン(Paul Krugman。1953年~)のブッシュ批判をとりあげたいと思います。
2 クルーグマンの主張
 (1)大分岐の時代の到来
 20世紀からの米国の歴史を振り返ってみよう。
 これまで金ぴかの時代(Gilded Age。コラム#1776)は1900年前後に進歩の時代(Progressive Era)に変わったと考えられてきた。
 しかし、実際には金ぴかの時代はニューディール時代のただ中まで続いたのだ。これを私は「長い金ぴかの時代」と呼びたい。
 というのは、19世紀後半と同程度の経済的不平等が続いた(注1)からだ。
 (注1)http://krugman.blogs.nytimes.com/中のSeptember 18, 2007付コラム(9月20日アクセス。以下同じ)に掲げられている表・・1917年から2005年までの、上位10%の人の所得が全所得に占める割合の推移・・をぜひご覧いただきたい。
 何せ、勤労者達は人種的・宗教的・文化的に分断されていたのに対し、エリートは団結して政治を支配していたのだからどうしようもなかったのだ。(何やら現在と似ていると思わないか。)
 次いで、「大圧縮の時代」(The Great Compression)となる。フランクリン・ローズベルトとニューディールのおかげで、1935年から45年にかけての極めて短い期間に金持達は後退し勤労者達はかつてない前進をかちとった(注2)。
 (注2)これは「ニューディールのおかげ」ではなく、「第2次世界大戦争(その準備を含む)のおかげ」と言うべきではないか(コラム#599参照)。(太田)
 その次が、その結果到来した「中産階級の時代」(Middle class America)であり、強力な労働組合、高い最低賃金、累進税制のおかげもあって、極端な金持ちや貧乏人がいなくなった時代だ。
 これは、民主党と共和党が基本的な諸価値を共有し、超党派で協力することが可能な時代でもあった。
 最後は現在であり、米国がもはや中産階級の社会ではなくなった「大分岐の時代」(The great divergence)だ。
 1979年から2005年の間に中位家計所得は13%伸びただけだが、上位0.1%の金持ちの家庭の所得は296%も伸びた。
 これは、技術変化やグローバリゼーションの必然的結果などではない。
 1935年から45年にかけての変化が政治の産物であったのと同じく、1970年代以降の不平等度の高まりもまた政治の産物であったと私は考えている。
 こんな趨勢は他の先進国では見られないのであって、サッチャー時代の英国の不平等度の高まりなんて可愛いものだ。
 興味深いことに、この時代は保守化の時代(the era of “movement conservatism”)でもあった。
 貧乏人の叛乱が起こるどころか、保守化がどんどん進行し、ついにブッシュの時代に、共和党は三権すべてをコントロールするに至ったのだ。
 こうして、不平等度が高まったというのに、金持ちに対する税率は下げられ、セーフティーネットは穴だらけになった(注3)。
 (以上、特に断っていない限り、NYタイムスブログ中のコラム上掲による。)
 (注3)クルーグマンは、以上を詳述した’The Conscience of a Liberal’という本を近日上梓する予定。
 (2)共和党の手口
 共和党は、どうやって有権者を丸め込んだのか。
 第一に、供給重視経済学(コラム#2052)だ。これは、税率引き下げを売り込むのに使われた。
 第二に、国家公務員が多すぎるというためにする議論だった。
 その言い出しっぺはレーガンであり、1964年に共和党のゴールドウォーター大統領候補を応援する演説で、「250万人も非軍人の国家公務員がいるなんてキチガイじみている」という形で登場した。
 実際には、そのうちの三分の二は国防省と郵便局の非軍人の国家公務員だった。
 第三に、共和党の人間の批判をやると、共和党はみんなが協力して総掛かりで主要メディア、ラジオ、そして最近ではブログを駆使して批判者の人格攻撃を行い、完全に打ちのめしてしまう。
 これに対し、民主党の人間の批判をしても、こんなことは全く起こらない。
 第四に、これもレーガンが始めたことだが、生活保護を受けている人間がキャデラックに乗っているといった類の、実態は人種差別的な議論だ。
 (以上、
http://bookclub.tpmcafe.com/blog/bookclub/2007/sep/11/crank_politics
による。)
 (3)グリーンスパン批判
 グリーンスパンは、クリントン政権時代には、ようやく財政が黒字になったが、再び赤字に転落させるなと警告を発していたというのに、ブッシュ政権時代になると掌を返したように、2001年の税率削減に上院での証言で賛意を表明した。
 2004年に至ってもなおグリーンスパンは、税率削減を恒久化する措置に賛意を表明している。
 そのグリーンスパンが、連邦準備制度理事会議長を辞めた今、ブッシュ政権の放漫財政批判に転じた。
 これは、ブッシュ政権の開戦理由のいかがわしさに気付きつつも対イラク戦に賛成した人物が、その後のイラクの状況を見て、実は自分は対イラク戦に反対だったのだと言い出したようなものだ。
 要するにグリーンスパンは、ブッシュ大統領の支持率が下がり、上下両院の多数を民主党が占めるようになったのを見て、またまた態度を豹変させた、ということだ。
 (以上、
http://economistsview.typepad.com/economistsview/2007/09/paul-krugman-sa.html
による。)
3 感想
 クルーグマンによって(正当にも)こきおろされたグリーンスパンですが、そのグリーンスパンまでブッシュ批判に転じたということは、ブッシュ政権がいかに異常な政権であるかを示している、と私は思います。
 しかし、以上のようなクルーグマンやグリーンスパン、そしてライシュら経済学者によるブッシュ批判が大衆の賛同を得るのは容易ではなさそうです。
 検索をかけると結構上位に来る投稿の筆者が、「クルーグマンは機会の平等ではなく結果の平等を求めるマルキストと同じだ。これは米国の建国の理念に反する」という趣旨の悪罵をクルーグマンに投げつけている(
http://www.freerepublic.com/focus/f-news/1898847/posts
)のを見ると、つくづくそう思います。