太田述正コラム#1756(2007.5.4)
<米国とは何か(続々)(その2)>(2007.11.7公開)
3 共和制ローマと米国の類似性
(1)始めに
 ローマ軍事史家の英国人イベジ(Mike Ibeji)博士の英BBC歴史サイトへの寄稿(BBC前掲)をベースに、適宜私見も加えて、共和制ローマと米国の類似性を指摘してみましょう。
 (2)自由の神話
 BC509年に、エトルリア人(Etrucian)のローマ王タルクィニウス(Tarquinius)の息子が、他人の妻であるルクレティア(Lucretia)に横恋慕し、彼女を強姦したことに怒ったローマ人達は、自由を求め、タルクイニウス一家を初めとするエトルリア勢力を追放し、共和制ローマを樹立するのです。
 この叛乱の過程で、ローマ人の士気を否応なく高めたのが、反撃してきたエトルリア人勢力に対し、ホラティウス(Horatius)が、ティベル川にかかる橋を自分の後ろで落とさせ、(他の2人とともに)立ち向かったことです。ホラティウスは、一対一の戦いを呼びかけつつ、「お前達は専制的な王達の奴隷だ。他人の自由を攻撃するより自分達自身の自由のことを考えろ」と呼ばわったといいます。(注3)(
http://www.livius.org/ho-hz/horatius/cocles.html
。5月3日アクセス)
 (注3)理解に苦しむのは、塩野の前掲書では、余りにも有名なホラティウスのこの逸話が完全に省かれていることだ。
 それから2,000年以上経った1773年、英領北米植民地のボストンで、母国英帝国への反逆行為として、植民地の過激分子達が、港に停泊中の英国船籍に積み込んであった商品たる紅茶を海に投げ込みました。
 やがて、過激分子達は1775年に自由を標榜して独立戦争を起こしますが、英軍の動きを馬を馳せて彼らに伝え、緒戦のレキシントン/コンコルドの戦いの勝利に貢献したリヴィア(Paul Revere)のエピソードは、後に伝説化します。
 細部は違いますが、この二つは自由の神話という点でまことによく似ていると思われませんか。
 共和制ローマも米国も、虐げられた弱者が圧制者の軛から解放されるべく、悪であるところの帝国に戦いを挑み、それに成功した、というのですから。
 米国の建国の父達は、独立した米国を共和制ローマになぞらえていた(注4)からこそ、憲法を策定するにあたって、先達であるところの共和制ローマの国制を参考にしたのです。
 (注4)今年は、北米における、イギリス人の最初の恒久的入植地となったバージニアのジェームスタウンの設立400年記念の年だが、最初の入植者中の有力者のスミス(John Smith)が、新しいローマをこの地に作る夢を抱いていた(
http://www.csmonitor.com/2007/0504/p01s02-ussc.html
。5月4日アクセス)のは自己実現的予言と言うべきか。
 共和制ローマは、市民に主権が存したとは言えても、決して民主主義的ではなく、公共の利益への市民の貢献を重視する国制でした(注5)。
 (注5)ただし、そもそもアングロサクソンは反民主主義なのだ(コラム#48、91)。米国で当初、自由民中の財産所有者だけに選挙権が与えられたのは、当然のことと言うべきだろう。その米国が現在、民主主義を国是としていることは興味深い。他方、公共の利益への貢献の重視の考え方は今でも米国で堅持されている。ケネディ米大統領の「国が何をしてくれるかより、国のために何ができるかを考えよ」という演説の有名な一節を思い起こそう。(ウィキペディア前掲)
 このこととも関連していますが、米国の建国の父達は、権力の抑制と均衡を重視しました。
 1人の大統領を置くか、共和制ローマに倣って2人の執政官(consul)を置くか、等々侃々諤々の議論が行われた上で、三権分立制、上下両院制、大統領選挙人制、連邦制が導入されたのです(注6)。
 (注6)共和制ローマでも、奴隷制があったのだから、米国建国の父達が、米国の奴隷制にほとんど良心の呵責を覚えなかったのは当然のことだった。ちなみに、ジェームスタウンには、1619年に早くも黒人「奴隷」達がアフリカから入荷している。ただし、これは奴隷ではなく、債務を負った年季奉公人達であったという説が有力だ。しかし、その後50年も経つと、バージニアはタバコ農場等で働く黒人奴隷だらけになる。(CSモニター上掲)
 (3)反敵国主義的帝国主義
 やっかいなことに、上述のような勇壮なる自由の神話を持つ国は、帝国主義的に領土の拡張をしがちであるところ、自分達の行動を帝国主義的であるとは決して認めようとはしません。
 つまり彼らは、領土が拡張したとしても、それは、市民の自衛のための正当な行為が、結果として領土の拡張をもたらしただけだ、と主張するのです。
 ローマ共和国では、念の入ったことに、法律で、正当な理由(casus belli)がなければ開戦してはならない、と規定したほどです。
 その正当な理由とは、自分または他人の自由が侵された場合であり、その場合に限って自衛戦争を発動できる、というわけです。
(続く)