太田述正コラム#2175(2007.11.13)
<狭められつつある守屋包囲網>
1 始めに
 守屋がらみの話が新たに色々出てきて、守屋包囲網が狭められつつあります。
 それがどういうことかご説明するとともに、この際、守屋・河村両名の投資話にも触れておきたいと思います。
 
2 防衛省OBの山田洋行への天下り
 「山田洋行の天下り採用数は、自衛隊への売上額10億円につき1人が受け入れの目安となっており、「防衛省側との暗黙の合意事項」になっていた・・。同社の顧問は、・・装備品調達のための専門知識を提供する業務のほかは、防衛省・自衛隊の装備担当者などに面会する宮崎元専務や社員に同伴したり、社長の名代として自衛隊の部隊を訪問して行事に出たりしており、OBとしての「威光」を示す役割だ。ただし、「実際の業務にはタッチさせていない」のが実情・・ 守屋武昌・前防衛事務次官(63)のゴルフ接待問題が発覚する前には、将官クラスを含むOB10人が「顧問」の肩書を持っていた・・」
http://www.asahi.com/national/update/1112/TKY200711120283.html
→これこそ、何度も私が強調しているように、守屋事件の核心部分です。
 山田洋行からの日本ミライズの分離独立に伴い、この10人の割り振りがどうなるのか、山田洋行と日本ミライズの受注額の割り振りをどうするのかとのからみで、防衛省事務当局は頭を悩ましていたに違いありません。
 守屋と日本ミライズ社長(当時)の宮崎氏との密接な関係を知っていた事務当局が、事務次官である守屋の耳に少なくともこれらのことについて情報を入れていた可能性は高いと思います。
 さはさりながら、これだけで守屋を収賄罪に問うことは容易ではないと思われます。
3 守屋の山田洋行天下り話 
 「防衛専門商社「山田洋行」の横領事件で逮捕された同社元専務、宮崎元伸容疑者(69)が「日本ミライズ」を設立した昨年9月以降、資金繰りのため金融機関などに融資を申し込む際、守屋武昌前防衛省事務次官(63)の名前を出して「防衛省を退職後に社長になる」などとアピールしていた・・」
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20071113AT1G1203V12112007.html
→こんなことはなかったと信じたいところです。
 次官が自分で自分の天下り先を開拓するなど、ちょっとひどすぎる話だからです。
 しかし、仮に宮崎氏がそう証言すれば、守屋は収賄罪に問われる可能性が高くなってきます。
4 守屋・河村両名の投資話
 「防衛省の守屋武昌前次官(63)が、河村延樹防衛政策課長(47)から一千百万円の小切手を受け取った問題で、この金は守屋氏が投資のために河村課長に預けた二千数百万円の返済金の一部だったことが分かった。課長は投資に失敗、巨額の損失を出したが、守屋氏から預かった元本はほとんど返済されているという。・・河村課長は同日、休暇願を出して出勤せず、防衛省は電話で当時の状況を聞いた。」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007111302063890.html
 「資金の運用方法や投資先については、課長は不動産か株式の投資、またはその両方としながら、「明確な記憶がない」と説明。・・自衛隊員倫理法では、不動産取引には取り決めがないが、株取引については審議官級以上であれば銘柄や売買数、金額などを防衛相(当時は防衛長官)に提出しなければならない。守屋氏は97年当時、防衛審議官で、資金の使途を知っていたかどうかについて、<防衛>省は「確認中」としている。・・石破防衛相は同日、省内で記者団に対し、「国家のために国の安全保障を考えるという自衛隊員のあり方からして、ましてや私には想像もできないような巨額で、上下関係の中にあって、そういう利害得失に絡む話がされていたということには、私は相当の違和感、相当の抵抗を感じる」と述べた。」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071112i114.htm
 「河村課長は一九八四年四月に旧防衛庁に入庁。防衛計画課長などを経て、今年九月から防衛政策課長に就任。・・九七年ごろ、守屋前次官から投資資金の元手として一千数百万円を預かった。この際、「元本を保証する」と明記した借用証を作り、守屋前次官に渡した・・課長は、守屋前次官が防衛政策課長だった九四-九六年、同課長補佐を務め、課長自身もこのころから親しくなった・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007111202063741.html
→これは、いかに防衛省キャリアの勤務姿勢が弛緩しているかを象徴するような話です。
 河村君、君が入庁2年目に会計課予算決算斑に配属され、予算決算班長をしていた私の部下になった頃を思い出すよ。
 君はまことに溌剌とした好青年だった。
 池田久克経理局長(当時)を私が補佐し、防衛関係費GNP1%枠突破に向けて二人でタッグを組み、戦略戦術を尽くしてそれに成功するのを君は目を輝かして見守っていたよね。
 その君がこんな話でメディアを賑わすことになろうとは・・。
 1998年に私が久しぶりに内局に戻り、審議官になった時、君はさっそく審議官室にやってきた。
 ところが、私が防衛庁改革の必要性について語り出すと、君は途中で話を遮り、「また来ますから」と言い残して部屋を出て行き、二度と私の前に姿を現すことはなかった。
 恐らく君は、守屋のことと投資のことで頭が一杯で、私の所には形だけ姿を見せにきたただけだったのだろう。だから、防衛庁改革の話など聞きたくもなかったのだろう。
 私は君がすっかり変わってしまったことに心底がっかりしたものだ。
 河村君よ。
 倫理規程違反を犯した守屋が平然と記者達や議員達の前に姿を現しているというのに、倫理規程違反を犯したわけでもない君が逃げ隠れするのは見苦しいぞ。
 それに防衛政策課(昔の防衛課)は防衛省の要の課だ。
 職場放棄をするとは、もってのほかだ。
 ただちに防衛省に立ち戻り、釈明の記者会見を行い、余計なことを考えずに職務に復帰、専念したまえ。
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太田述正コラム#2176(2007.11.13)
<爆笑問題との私の共演>
→非公開