太田述正コラム#1839(2007.6.27)
<フランス革命は全体戦争を生んだか?>(2007.12.23公開)
1 始めに
 朝鮮日報の論説委員が、「1789年に起きたフランス革命を経て、戦争はそれまでとは違う性格を帯びるようになった。これを機に一般国民が国に対し「自分の国」という意識 を持つようになり、祖国に対する献身や敵に対する憎悪心が戦争の勝敗を左右する大きな要因となりはじめた。国を守る上で愛国心が大きな影響力を持つようになったのだ。」と記していました。
 その上でこの論説委員は、「1919年の3・1運動の際、359人にのぼる在日韓国人留学生が帰国し、独立運動に参加した。当時日本に留学していた韓国人の総数が約 800人だったことを考えると、半数近い留学生が帰国したことになる。韓国戦争(朝鮮戦争)が始まった直後にも日本に留学していた若者や在日韓国人の若者 ら641人が参戦した。・・<それなのに先般の韓国での>世論調査で、「海外滞在中に韓半島で戦争が起きたら帰国するか」という質問に対し、帰国するという回答が全体 の48.7%にとどまった。2002年末の同じ調査では53.6%だったことからすると、5%も減ったことになる。「戦争が起きても帰国しない」と答えた 人の割合は、5年前の31%から45%にまで拡大した。またその割合は20代では57.1%にのぼり、最も高くなった。30代では51.8%、40代でも 45%が帰国しないと答えた。」とし、最近の韓国の若者の愛国心の希薄化を嘆いていました。
 (以上。
http://www.chosunonline.com/article/20070626000034
(6月27日アクセス)による。)
 しかし、この論説委員の認識は二重に間違っています。
 まず、フランス革命を契機に戦争が変わった、という認識は間違っています。
 その理由は後で説明します。
 また、愛国心の希薄化を嘆くのも間違っています。
 フランス革命を契機に欧州各国・各地域で愛国心ないし愛郷心(愛国心)が重視されるようになったのは事実ですが、それは、当時欧州文明の中心的存在であったフランスで生まれたナショナリズムなる民主主義的独裁のイデオロギーの産物であり、愛国心が重視されたのは、住民に愛国心を注入して独裁的権力者がより実効的に住民を支配するためでした。
 そんな愛国心が韓国で希薄化しつつあることは、こんなおぞましいイデオロギーから韓国の人々が解放されつつあることを示す兆候であり、むしろ歓迎すべきことなのです。
2 フランス革命は全体戦争を生んだか?
 では元に戻って、どうしてフランス革命が全体戦争(total war)を生んだという考えは間違いなのでしょうか。 
 全体戦争という概念は、ナポレオンが行った1815年に至る一連の戦争は従来になかった全く新しい戦争であった(注1)としてドイツ人のクラウゼヴィッツ(Karl von Clausewitz。1780~1831年)がつくり出した絶対戦争(absolute war)という概念をもとに、英国人のフラー(John Frederick Charles Fuller。1878-1966)らがつくり出したものです。
 フラーらは、フランス革命を契機に戦争は規模が大きく(large)、集中的(intensive)かつ激しいもの(fierce)となり、全住民を巻き込むようになったと主張し、やがて起こった第一次世界大戦は、まさにフラーらが思い描いた通りの大戦争であっただけに、全体戦争なる概念は人口に膾炙するようになったのです(注2)。
 (注1)18世紀における欧州の啓蒙思想家達の多くは、楽観的な人間観の下、戦争は早晩なくなると考えた。例えば、ドイツ生まれのフランスの百科全書派哲学者オルバック男爵(Baron d’Holbach。1723~89年)は「戦争は野蛮な習慣の残滓に他ならない」と述べた。彼らの影響を受けたワシントン(George Washington。1732~99年)まで、1788年に、今や「戦争という無駄や征服への衝動を克服」し、農業や商業に専念すべき時だと述べたものだ。このような考えが、逆説的に戦争をあらゆる抑制から解き放ってしまった、と見ることもできる。(
http://www.nytimes.com/2007/02/04/magazine/04wwln_essay.t.html?ref=magazine&pagewanted=print
。2月4日アクセス)
 (注2)60万人の戦病死者が出た米国の南北戦争(The U.S. Civil War。1861~65年。コラム#258、618、622、623、1011等)も、内戦ではあっても全体戦争と言えた。ちなみに、後に全体戦争につきものになる無条件降伏(unconditional surrender)という言葉は、この南北戦争の時に北軍のグラント(Ulysses S. Grant。1822~85年)将軍が1863年のヴィクスブルグ(Vicksburg)包囲戦で史上初めて使った言葉だ。
 先の大戦もまさに全体戦争であった、ということになります。
 確かにフランス革命より前の欧州での王侯貴族間の戦争は、のどかな面があり、互いに相手を殲滅しようなどとはしませんでしたし、戦闘を開始するのは挨拶してからでしたし、住民を殺害したり虐待したりすることもほとんどありませんでした。
 しかし、もう少し空間軸と時間軸を広げると、全体戦争的な戦争をいくらでも見出すことができます。
 旧約聖書にはカナンの諸都市(Canaanite cities)の住民は男女子供を問わず皆殺しにされたとありますし、BC218~202年のハンニバル(Hannibal。BC247~183)による戦役では今日に至るまでイタリアの田舎にその影響が残るほどの環境的経済的破壊が行われましたし、フンのアッチラ大王(Attila the Hun。406~453年)やジンギスカン(Genghis Khan。1162~1227年。コラム#1604、1606)やチムール(Timur=Tamerlane。1336~1405年)が征服した都市を破壊した場合には、住民が皆殺しにされたものですし、十字軍が1099年にエルサレムを陥落させた時には兵士や住民の虐殺で馬の膝の高さまで達する血の海ができたとされていますし、フランス内でのアルビジャン(Albigensian)十字軍(1209~29年。コラム#1150)や英仏百年戦争(1337~1453年。コラム#96、100、127、397、547、741、1695)や神聖ローマ帝国内での30年戦争(1618~48年。コラム#61、100、129、162、432、497、1019、1834等)も全体戦争的な戦争でした。
 ですから、フランス革命を契機に全体戦争が生まれた、という考えは間違いなのです。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/02/15/AR2007021501516_pf.html
(2月18日アクセス)による。)
 この朝鮮日報の論説委員は、日本の知識人同様、近代日本の世界観の影響の下、西欧中心的な歪んだ物の見方をしていることがお分かりいただけたでしょうか。