太田述正コラム#2206(2007.11.30)
<私の手がけた2度目の白書>(2008.1.6公開)
 (本篇は当分の間、公開しません。)
1 始めに
 仙台防衛施設局長時代の日記からの「復刻」の第3弾です。
 今回も、赴任直前の(1999年7月22、23日の)記述からのご紹介です。
2 論懇用ブリーフィング原稿
 平成11年(1999年)防衛白書についての翌23日の(新聞やTV等の)論説委員懇談(論懇)用に私が作成したブリーフィング原稿(下掲)が1999年7月22日のところに記載されていました。
             平成11年防衛白書について
 本日は、27日の閣議に報告される防衛白書について、ご説明させていただくことになっている。しかし、市販版や広報板に付録としてつける予定のCD-ROMの話しから始めさせていただきたい。
 編纂担当者として、どのような考えで編纂作業に臨んだのかを申し上げるにあたって、そのことは避けて通れないからだ。
 昨年、審議官として担当を命ぜられてまず感じたことは、防衛白書に関する防衛庁のこれまでの努力が必ずしも実を結んでいないということだった。
 冊子として発行される防衛白書について言えば、内容は分かり易くなっているし、図表にも工夫が凝らされてきているが、いかんせん読まれていない。私が昭和57年白書を担当部員としてとりまとめた頃には、防衛白書は、ダントツのトップであった経済白書に大きく水を開けられつつも、販売部数は堂々の第二位で、3万部を窺う勢いだった。ところが、今では1万部から1万2千部弱程度で、順位も7位から10位くらいを低迷しているという有様だ。また、CD-ROM版の防衛白書も、作成されるようになってから数年たつが、最近日本経済新聞やテレビ東京で採り上げられる等、内容のできは決して悪くないにもかかわらず、時期はずれに発行されてきたことや定価が高いこともあり、2-30枚しか売れていない。
 このほか、無償配布される広報版が冊子についてもCD-ROMについても存在するが、市販版が余り売れていないということは、広報版も積んでおかれるだけで、余り読まれていない可能性が高いということだ。
 そもそも、防衛白書は法定白書ではない。すなわち、あくまでも、日本の防衛政策や自衛隊について、国民に説明し、理解を求めるために防衛庁の意思で出しているものであって、毎年出さなければならない筋合いのものではない。従って、極論すれば、いくら内容に工夫を凝らそうと、白書そのものは媒体に過ぎないのであって、その白書が国民に余り読まれないのでは、出している意味がないということだ。
 そこで考えたのが、市販版等の白書の冊子にCD-ROMを付録としてつけて出すことだった。見渡してみると、通信白書と労働白書で既にそのような試みは行われている。このCD-ROMに、三番煎じと言われないような新技術・新機軸を盛り込めばどうかということだ。CD-ROM付きの防衛白書であれば、冊子とCD-ROM双方の発行のタイミングが合致することはもとより、両者のシナジー効果が発揮され、かつ、両者を合わせた価格を低く抑えることも出来、これに加えて適切な広報・普及活動を行えば、若い人を中心に新規の読者層の開拓が出来るのではないかと考えた。
 お陰様で、今度の防衛白書は、防衛白書としては初めて大蔵省印刷局の今年度の重点広報図書に選ばれている。
 なお、CD-ROMを添付することによって、冊子の物理的限界を超えて多量の情報を盛り込むことが出来るようになるが、このことは、情報公開の要請にも答えることになると考えた。以上が考えた第一だ。
 第二に考えたことは、このようにして開拓された読者が手にすることとなる白書の本文の中身を出来る限り分かり易いものにし、CD-ROMに入っている動画や写真だけでなく、CD-ROM上で、あるいは冊子の方で白書本文を読んでもらうこと、そしてできれば読み通してもらうこと、更には読んで損をしたと思わせないことだ。
 そのために、今回特に配意したことは、白書本文の章や節、更には節の内容の構成、順序を出来る限り体系的・論理的なものにすることだ。そのねらいがどこまで達成されたかはご批判に待ちたいが、おぼろげながらもストーリー性のある白書、個々の記述が特定の場所でなされていることにある程度必然性の感じられる白書が編纂できたのではないかと密かに自負している。
 しかし、ここで終わってしまったのではまだ不十分だ。今や、行政府の考え方を一方的に国民に伝達してこと足りる時代ではない。国民自身に考えてもらい、できれば国民の側から政府・防衛庁がフィードバックを受けることこそ望ましい姿だ。そのためには、白書本文を閉ざされた自己完結系にしないことだと考えた。これが第三に考えたことだ。その結果導入されたのが最終章たる第6章であり、防衛庁・自衛隊が受けている内外からの大きな挑戦をありのままに描いたのはそのためだ。申し上げるまでもなく、我々は、最終章で描かれた三つの大きな挑戦に対する回答は未だ、少なくとも一義的な形では出ていないという認識だ。
3 ブリーフィング
 1999年7月23日のところに、行われたブリーフィングについての記述があります。
1435-1605:論説委員等懇談会(於第2庁議室)。
 大臣は冒頭挨拶のみ出席。当方は、政務次官、施設庁長官、官房長(間は長時間退席していた)、防衛局長、運用局長、人事局長、装備局長、経理局長、小林参事官、私。
 先方は、朝日村松泰雄、毎日新井敏夫・仮野忠男、読売谷川平夫・松本斉、日経小田健、サンケイ横田憲一郎・岡芳輝、東京小林一博・今里義和、西日本川野康広、日刊工業斉藤俊六、共同成澤健・藤村正・尾形宣夫、NHK前田一郎・長谷川浩、TBS小口勝彦、フジTV和田圭ら。欠席時事、日本テレビ、テレビ朝日、テレビ東京。
 比較的最近、白書を手がけた大森施設庁長官や首藤経理局長は、聞きようによっては、これまでの白書担当者を非難している私のプレゼンテーションにさぞや不快であったろう。
 終了後、NHKの長谷川氏が帰り際、私に「見事なプレゼンテーションでした。CD-ROM付き防衛白書がおトクな買い物だということが良く分かりました。」と語りかけた。
4 終わりに
 このCD-ROM付防衛白書をつくるまでの経緯には聞くも涙語るも涙の物語があったのですが、これについて語るのは別の機会に譲りましょう。
 防衛庁で・・防衛省になっても全く変わっていないはずです・・何か新しいことを始めるには、この程度のことであっても超人的努力と才覚とが必要なのです。
 例によって防衛省キャリアが巣くう内局の抵抗があったにもかかわらず、各幕、就中海幕の全面的な協力を取り付けることができたおかげで、私のこのプランは日の目を見ることができたのです。