太田述正コラム#13243(2023.1.15)
<増田知子等『近代日本の『人事興信録』(人事興信所)の研究』を読む(その9)>(2023.4.12公開)

 「・・・松方正義・・・家は、・・・高額の株主配当<(注16)>および重役賞与を得ていた。・・・

 (注16)「戦前の大企業の平均的な配当性向は1921-1930年の時期に60-70%程度であり(川本真哉「兼任役員と戦前日本企業(1) : 非財閥系企業の実証分析」『経済論叢』177(2) , pp. 179-192, 2006)、この数値は現代日本の上場企業の平均的な数値である3割程度よりはるかに高い(「日本企業、配当性向3割で足踏み」日本経済新聞電子版、2018年7月13日)。
 このように利益のかなりの部分を配当に回してしまう結果、内部留保によって投資を行うことは難しくなる。」
https://covid19-businesspractices.com/2020/06/25/shorttermism/

 <その>松方財閥の凋落について、その成り立ちに原因があったことを高橋<亀吉>が・・・『株式会社亡国論』<(注17)で>・・・指摘していたことを紹介する。

 (注17)1930年。(上掲)

⇒松方財閥めいた話は、松方正義のウィキペディアには、次男の妻が岩崎弥之助の長女であること以外、記されていませんが、「郷士の家系に生まれ、江戸時代の身分制では最低の階層であった商業に従事していた松田正恭は、・・・下級藩士の・・・松方家<の>・・・養子<となって、>・・・武士の身分を得<、>・・・松方正恭・・・と名乗った」ところ、その四男が松方正義だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%96%B9%E6%AD%A3%E7%BE%A9
ことと、松方正義が財政金融通(上掲)で「財閥」をなしたことと無縁だとは思えません。(太田)

 「一体、日本位ゐ経営能力無くして重役の位置を占めるてゐるものゝ多い国はない<(注18)>。

 (注18)「明治期の日本では会社を設立するための資金が不足していたことから、資金提供者=株主となり得たのは主として華族、商人、地主等のもともと資金を一定程度持っている人々であった。
 そして、明治期の企業は家族所有でない場合には、しばしばこのような投資家のグループの共同事業として設立されたのである(宮本又郎・阿部武司「工業化初期における日本企業のコーポレート・ガヴァナンス―大阪紡績会社と日本生命保険会社の事例」『大阪大学経済学』48(3・4), pp. 176-197, 1999)。
 そして、このような会社の意思決定権を持つ取締役は、これらの投資家によって独占されていた。
 投資家はしばしば複数の企業で取締役や監査役、場合によっては社長(当時、社長の多くは非常勤であった)等の地位を占めていたが、基本的にはそれらの役職は非常勤であり、ある特定の会社の経営にコミットするよりも、財務的な成果にのみ関心があったとされる。
 一方で、経営そのものは株をほとんど持たない、多くは大学出の人々(株式所有に基づくのではなく、俸給を得て経営に当たるという意味で、専門経営者とか俸給経営者と呼ばれる人々)に委ねられたが、彼らのほとんどは取締役の地位を持っていなかった(森川英正『日本経営史』日本経済新聞社, 1981, pp. 68-72、宮本・阿部前掲論文)。
 また、取締役以外の株主たちも、株主総会の場、あるいはその他の会合等で積極的に意見を述べ、経営に影響力を行使していた(・・・宮本又郎・阿部武司「工業化初期における日本企業のコーポレート・ガヴァナンス―大阪紡績会社と日本生命保険会社の事例」・・・、石井里枝『戦前期日本の地方企業―地域における産業化と近代経営』日本経済評論社, 2013)。」(上掲)

 現代重役にして、真にその経営能力に基いてその地位にあるものは稀であつて、その大部分は、単に、彼が或いは「大株主」なるの故で、或は彼が政府筋と特殊関係があるの故で重役の地位をけがしてゐるのである。
 斯く事業経営の実力なくして重役となれるものゝ、就中我が国に多き所以はそも何処に横<(ママ)>るのであらうか。
 思ふに、その一は我が資本主義発達の特殊の歴史的事情に源由し、その一は我国現代経済の著しく腐敗し、政治化せることに帰因する。
 顧るに、維新以降我が会社事業の発達は主として政府の庇護助長に依存した。
 勢ひ、会社重役の最大任務は、政府の高官と往復して各種の利権、補助、保護等を獲得するに在つて、事業の真の経営そのものではなかつた。
 例へば、明治二十三年十一月十一日号東京経済雑誌は、之を別の立場から次の如く云つてゐる。
 「・・・・・・我国実業社会の実権を握る傭主は果して如何なる人物なる乎、才智経験彼れ欧米諸国の傭主に拮抗するに足る乎、彼等は世の所謂御用商人に非ずや。彼等は藩閥者に非ざれば、藩閥者に縁故ある者なり。彼等は其筋の保護金を得るに汲々として自立の精神無き者なり、保護金なければ自営の生活をなす能はざる者なり、我が実業社会の実権を握る者は実に彼等の徒なり、産業の振興せざる亦何ぞ怪むに足らんや。」」(221~222)

⇒戦前の日本では、資本と経営が分離していなかった上、資本家兼経営者が素人だった、というわけです。(太田)

(続く)