太田述正コラム#13270(2023.1.28)
<大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか』を読む(その4)>(2023.4.25公開)

⇒大谷は、舌を噛みそうな小むつかしい定義をしていますが、大の方であれ小の方であれ、日蓮主義は人間主義世界普及主義である、と、簡潔に定義したいですね。
 国柱会に入り、死ぬまで会員であり続けた宮沢賢治は、まさにそう考えていた、と私は見ています。
 賢治の主要作品であると私が考える、『グスコーブドリの伝記』、『雨ニモマケズ』、『よだかの星』、『銀河鉄道の夜』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%89%E3%83%AA%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%98
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E3%83%8B%E3%83%A2%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%82%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%88%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%81%AE%E6%98%9F
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%9C
を読めば、明らかではないでしょうか。
 なお、賢治が事実上国柱会と袂を分かったかどうかについて議論があります
https://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/hpohta/fl-kenjinosi/kokuchukai.htm
http://www.kokuchukai.or.jp/about/hitobito/miyazawakenji.html
・・賢治が死ぬまで国柱会会員であったことは間違いなさそうです
https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/a0000f8dcb819782128b7c16ed520174
・・が、そんなことはどうでもいいのであって、私見では、賢治は紛れもなく日蓮主義者としてその生涯を全うしたのです。(太田)

 「・・・国体論(本書では国体神話という)を一義的に定義することはむずかしいが、ここでは、昆野伸幸<(注16)>(こんののぶゆき)の「皇室典範・帝国憲法制定に関する告文や教育勅語に端的に示されるように、日本の独自性を万世一系の皇統に求め、いわゆる天壌無窮の神直勅に代表される神代の伝統と、歴史を一貫して変らぬ国民の天皇に対する忠とがその国体を支えてきたと強調する議論」との定義を用いることにしたい。・・・

 (注16)1973年~。東北大修士、同大博士(文学)。神戸大院国際文化学研究科教授。
http://web.cla.kobe-u.ac.jp/teacher/konno
https://honto.jp/netstore/search/au_1000447326.html

 日蓮主義にみる「国家と宗教」の関係を媒介したのが、じつはこの国体神話だった。

⇒大谷は、小日蓮主義だけを見ているのでそう思ったのでしょうが、私に言わせれば、秀吉流日蓮主義(大日蓮主義)においては、最初から「国家と宗教」は一体化していたのであって、この秀吉流日蓮主義を、近衛家と水戸徳川家が協力して「理論化」したのが水戸学だったわけです(コラム#省略)。(太田)

 智学は熱烈な法華信者であると同時に、熱烈なナショナリストでもあった。
 ・・・明治36年(1903)11月、智学は「皇宗(こうそう)の建国と本化(ほんげ)の大教」という講演をおこなう。
 そこで日蓮仏教と国体の「二法一体」の関係を説いた。
 その後、・・・日蓮主義的国体論を、『日本国体の研究』(1922年)等の著作にまとめ、国民に国体観念(=国体神話)の自覚を説いた。
 また、大東亜共栄圏のスローガンとして名高い「八紘一宇」という言葉を成語したのは、智学だった。・・・
 たとえば、石原莞爾はこう述べる。
 「私は大正8年以来日蓮聖人の信者である。それは日蓮聖人の国体観が私を心から満足せしめた結果である」、と・・・「戦争史大観の序説」(『東亜聯盟』昭和16年6月号、1941年)、56頁<より>。・・・
 石原が「満足」した「日蓮聖人の国体観」とは、智学の日蓮主義的国体論であり、その影響関係は明白である。・・・
 小熊英二<(注17)>が詳細に跡づけているように、朝鮮・台湾の異民族を日本に編入した際、その国体論は単一民族的なものから混合民族的なものに編成しなおされていく・・・『単一民族神話の起源–<日本人>の自画像の系譜』(新曜社、1995年)<より。>・・・

 (注17)おぐま(1962年~)。「東京都昭島市出身。東京都立立川高等学校を経て、名古屋大学理学部物理学科を中退し、1987年東京大学農学部卒業、岩波書店入社(1996年まで在籍)。当初は雑誌『世界』編集部に在籍したが、営業部へ異動になった後に休職して、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻に入学、1998年『「日本人」の境界-支配地域との関係において』で学術博士号取得。1997年慶應義塾大学総合政策学部専任講師、2000年助教授、2007年教授。慶應義塾大学アート・センター所員。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%86%8A%E8%8B%B1%E4%BA%8C

 いわばそれは、特殊主義が普遍主義へと反転していくプロセスだった(ただし、その普遍性は疑似的なものだったが)。
 この「普遍主義と特殊主義の交錯」は、日蓮主義や日蓮主義的国体論にも当てはまる。
 智学の日蓮主義的国体論は、まさに混合民族的な国体論であり、智学は、日蓮主義的国体論によって『法華経』と日本国体の古さを訴え、日本の特殊性と普遍性を語った・・・
 <いずれにせよ、>日蓮主義は近代仏教思想であり、近代の刻印が刻まれた近代的思惟なのである。」(25~28、30~31)

⇒私の言う人間主義なる概念を大谷は知らないわけですが、人間主義は、特殊主義どころか普遍主義でさえなく、人間の本性であるところの普遍的な真実、なのであり、日蓮主義は、大日蓮主義の時から、超時代的思惟なのです。(太田)

(続く)