太田述正コラム#2290-2(2008.1.9)
<原理主義的自由主義と精神疾患>(2008.2.25公開)
1 始めに
 ある本を今年に入ってから英ガーディアンの書評欄で取り上げたと思ったら、今度は著者自身にこの本についてガーディアンがコラムを書かせました。
 これだけガーディアンが入れ込んでいるというのに、英米の他紙では全くこの本は話題になっていません。
 ある本とは、オリバー・ジェームス(Oliver James)の’The Selfish Capitalist – Origins of Affluenza, World Health Organisation and nationally representative studies in the United States, Britain and Australia’です。
 しかし、ガーディアンの見識を信じて、この本の簡単な紹介をすることにしました。
2 本の内容の概要
 (1)総論
 世界保険機構(WHO)は、2020年までに鬱病(depression)が先進世界で心臓病に次いで二番目に多い病気になると予想している。
 経済学者のラヤード(Richard Layard)や政治学者のレーン(Robert Lane)は、過去半世紀ちょっとの富の巨大な増加はわれわれの幸福度を全く増加させていないことを明らかにした(注)。
 (注)「幸福の経済学」シリーズ(コラム#1478、1479)参照(太田)。
 この本で筆者ジェームスは、英国等において、富の増大が幸福度を増加させないどころか、精神疾患(mental illness)を増加させていると主張している。
 彼に言わせれば、精神的に健康であることは公衆衛生事項なのだ。
 幸福は個人的パーフォーマンスや努力の関数・・「私はこれを成し遂げた」とか「どうして私は失敗したのか」・・ではなく、社会的、経済的、そして文化的な一連の環境的諸事情の産物なのだ。
 利己的資本主義の高度に不平等で、競争的、物質的かつ個人主義的な文化が生み出す心理的ストレスは不安感を醸成し超消費主義へと駆り立て、われわれを病気にしてしまうのだ。
 物質主義と不健康の関係は、喫煙と肺ガンの関係になぞらえることができる。
 マルキスト的精神分析家にして仏教的著述家であったエーリッヒ・フロム(Erich Fromm。1900~80年。「自由からの逃走」の著者として有名)は半世紀も前にこのことを予見していた。彼は、「受動的で空虚で心配性の孤独な人間にとって人生は何の意味も持たない」のであり、このような人間は「強迫的消費」で補償しようとする、と指摘したものだ。
 どうして利己的資本主義が英米等から始まって世界を席巻したのだろうか。
 どうして民主主義が、人々の経済的・心理的利益に反するにもかかわらず、サッチャーやレーガンやブッシュやブレアを選出してしまったのだろうか。
 ほぼ50年前に既に喫煙が健康に害になるという歴とした証拠が得られていたというのに、英国全体で公共的な場所での喫煙が禁じられたのはやっと昨年になってからだが、利己的資本主義によって裨益している勢力との闘いは、ジェームスによって今まさに始められたばかりだ。
 (2)各論
 利己的資本主義(新自由主義経済、ないし(太田の言うところの)原理主義的自由主義(コラム#2050))こそ、1970年代以英国等において精神疾患の著しい増加をもたらした原因だ。
 1982年から2000年の間に米国、英国、豪州といった利己的資本主義国・・英語国とほぼ同値・・において精神疾患は2倍近くに増えた。
 現在、これら諸国の精神疾患罹患率はおおむね(不平等度が低く集団主義的な)非利己的資本主義国であるところの西欧諸国のそれの2倍に達している。すなわち、この12ヶ月間で米国人、英国人、豪州人、ニュージーランド人の平均23%が精神疾患にかかったがドイツ人、イタリア人、フランス人、ベルギー人、スペイン人、オランダ人の11.5%しか精神疾患にかかっていない。
 利己的資本主義がもたらした経済的不平等が即精神疾患を引き起こした、というわけではない。
 実際、極めて不平等な国であるナイジェリアや中共は精神疾患率が最低の部類に属している。
 それに、英語圏における不平等度は現在より19世紀末の方がはるかに甚だしかったところ、データがあるわけではないが、恐らく当時の米国や英国における精神疾患罹患率は現在より低かったはずだ。
 われわれの基本的な心理的ニーズを充たすに十分な収入が既に得られているのに、不平等さと、カネ・持ち物・外観・著名度といったものに高い価値を置く豊かさ病(Affluenza)なる相対的物質主義の蔓延とが結合した結果、が惨害が引き起こされたのだ。
 中共は強固な家族制度があるので豊かさ病をまだ免れている。
 豪州は、この10年来豊かさ病のウィルスにすっかり冒されてしまったため、陽気な海辺的文化の国から整形外科と財産強迫症の国へと変貌を遂げてしまった。
 デンマークは消費財より社会関係を尊ぶ「非利己的資本主義」の申し子なので豊かさ病を免れている。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2234337,00.html
(1月3日アクセス)、
http://women.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/women/body_and_soul/article3103486.ece
http://books.guardian.co.uk/reviews/scienceandnature/0,,2235420,00.html
(どちらも1月5日アクセス)による。)
3 感想
 日本は現在、政治経済システムの再アングロサクソン化の過程にあります。
 それにもかかわらず、幸いこれまでのところ日本人の精神疾患罹患率が増加している気配はありません。
 どうやら、これまでのところ、日本は利己的資本主義化を免れているようです。
 しかし、今後については予断を許しません。
 この本は、われわれにとっても大いに参考になりそうですね。