太田述正コラム#2457(2008.3.31)
<沖縄集団自決事件判決(その1)>
1 始めに
 沖縄戦の最中に那覇市の西に浮かぶ慶良間諸島の中の座間味島で起こった集団自決事件をめぐる訴訟で、大阪地裁が28日に判決を言い渡し、被告の大江健三郎氏と岩波書店側の主張をほぼ全面的に認め、元日本軍の守備隊長らの請求を棄却しました。
 (判決要旨については、共同電
http://www.sanin-chuo.co.jp/newspack/modules/news/article.php?storyid=903470020
(3月31日アクセス)参照。)
 この判決に対し、「左」の朝日新聞と東京新聞は評価し、「右」の讀賣新聞と産経新聞は疑問を投げかけました。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008032902099269.html
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080328-OYT1T00793.htm
(いずれも3月29日アクセス。いずれも社説)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080329/trl0803290218000-n1.htm
(3月31日アクセス。「主張」欄)
 こんなにきれいに判決の評価が分かれるのはおかしいと思いませんか。
 政治的立ち位置で判決の評価が決まるというのであれば、およそ裁判をやる意味などなくなってしまうからです。
 こんなことになるのは、この裁判について言えば、政治的立ち位置の呪縛の下で、「左」が被告の立場、「右」が原告の立場に立った場合の思考実験をしようとしないからでしょう。
2 大江氏と私の立場の同一性
 実は、私が千葉英司氏から訴えられた裁判とこの裁判は良く似ています。
 第一に、大江氏は、自著『沖縄ノート』に、自ら現地調査をせず、研究者の戦史を引用する形で(
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080328/trl0803281159009-n1.htm
。3月31日アクセス)、「沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」(東京新聞前掲)と実名を伏せて原告の梅沢氏(と赤松氏)について記しました。
 一方私の場合は、コラム#195に、自ら調査はせず『東村山の闇』という本を引用する形で「<東村山市議会の>昭代議員のビルからの転落死は万引き発覚を苦にしての自殺と断定されてしまいます。ところが、所轄の東村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、また、捜査を指揮した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事もことごとく創価学会員だったのです。昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます」と実名を伏せて原告の千葉氏(ほか3名)について記したところです。
 第二に、「「沖縄ノート」は座間味島と渡嘉敷島の元守備隊長を原告梅沢及び赤松大尉だと明示していないが、引用された文献、新聞報道などで同定は可能」(共同電前掲)という点も、千葉氏らの名前を明示しなかったものの、「引用された文献、新聞報道などで同定は可能」であった私のケースと同じです。
 第三に、「<大江氏は、>軍は当時、島民に「軍官民共生共死」の方針を徹底した▽軍-沖縄守備軍-2つの島の守備隊のタテの構造で自決を押しつけた▽装置された時限爆弾としての命令だった-などと<守備隊長集団自決命令説の信憑性を裏付ける>独自の解釈を披露した。・・<ただし、>著書のどこを読んでもそんな解釈は記されていない。」(産経新聞上掲)は、要するに私が、当該コラムの中では書かなかったものの、裁判の過程で、『東村山の闇』を信頼できると信じた理由を申し述べたことと同じ類の話です。
 第四に、「<大江氏の>『沖縄ノート』・・は、公共の利害に関する事実にかかり、公益を図る目的で出版されたと認められる」(共同電前掲)点も、私のコラム#195と同じです。
 第五に、「沖縄ノートは赤松大尉へのかなり強い表現が用いられている」(共同電上掲)点も、あたかも私自身の見解のように、『東村山の闇』の要旨を紹介したことに似ていると言えるでしょう。(これに加えて私が『東村山の闇』を読み違えて千葉氏を創価学会員と記したという問題もあったわけだ。しかし、この点は、千葉氏から訴えの提起があった時点で、別のコラムにおいて訂正しており、しかもこのことについて謝罪する旨を更に別のコラムに記す用意があることを裁判の過程で申し出ているので争点ではなくなったはずだというのが私のスタンスだ。)
 ところが、大阪地裁は「原告梅沢らが書籍記載の内容の自決命令を発したことを真実だと断定できないとしても、その事実は合理的資料もしくは根拠があると評価できるから、書籍発行時に、家永三郎及び被告らが記述が真実と信じる理由があったと認めるのが相当。被告らによる原告梅沢及び赤松大尉への名誉棄損は成立せず、損害賠償や書籍の出版などの差し止め請求は理由がない。」という判決を下し、大江氏らを勝訴させた(共同電上掲)のに、私の裁判では東京地裁、高裁とも私に対し敗訴判決を下しました。
3 コメント
 私は、「公共の利害に関する事実にかかり、公益を図る目的で」なされた言論については、当該言論を行った者の側に重大な過失がない限り、真実性の証明・・この場合は集団自決命令がなかったこと・・を名誉毀損を主張する側が行うべきだとするスタンスをとっているので、名誉毀損を主張する側である梅沢氏らによる証明が不十分であったとすれば、大江氏側が勝訴してしかるべきであったと思うのです。
 では、果たして証明は不十分だったのでしょうか。
(続く)
—————————————————————–
太田述正コラム#2458(2008.3.31)
<駄作史書の効用(その3)>
→非公開