太田述正コラム#13334(2023.3.1)
<江間浩人『日蓮誕生–いま甦る実像と闘争』を読む(その15)>(2023.5.27公開)

 「さらに法華経を説く仏は、娑婆世界に繰り返し現れ、永遠に万物成仏を説き続ける存在であると明かします。
 これによってインドの釈迦も、法華経を説く仏の一人に過ぎないと相対化したのです。
 なので、この説法をした仏を、釈迦と区別して「法華経の教主釈尊」と呼びます。
 では、阿弥陀仏はどうでしょう。
 日蓮は、阿弥陀仏は娑婆世界の仏ではない、と批判します。
 娑婆世界の我々を仏にしようとした師匠の教主釈尊を捨てて、異世界の仏を信仰するのは不知恩であり、法華経では地獄に堕ちると説かれていると日蓮は痛烈に批判したのです。
 しかも、娑婆世界を離れ、異世界の仏を渇仰するから、浄土教の教主たち・・<例えば、>善導<(注39)>・・は自殺するのだ、と過去の記録をもとに弾劾しました<(注40)>。・・・

 (注39)613~681年。「法然が専修念仏を唱道したのは、善導の『観経正宗分散善義』巻第四(『観無量寿経疏』「散善義」)の中の、「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に、時節の久近を問はず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名づく、彼の仏願に順ずるが故に」という文からである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E5%B0%8E
 (注40)「法然が中国における高僧伝や往生伝などに基づいて、自らが選定した<支那>浄土五祖[・・曇鸞・道綽・善導・懐感・小康・・]の伝記を類聚した書<である>・・・類聚浄土五祖伝」
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A1%9E%E8%81%9A%E6%B5%84%E5%9C%9F%E4%BA%94%E7%A5%96%E4%BC%9D
の中の善導のところに出てくるらしいが、法然が拠った典拠は不明。
http://aoshiro634.blog.fc2.com/blog-entry-1618.html

<日蓮は、>「念仏宗の長者なる善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等みな悪瘡等の重病を受て臨終に狂乱して死するの由これを聞き又これを知る。それ巳下の念仏者の臨終の狂乱その数を知らず」<とも書いています。>・・・
 <日蓮においては、>法華経は、実は釈迦以前にも何度も説かれてきたということが前提になっています。
 つまり、法華経とは釈迦が説いたものだけを指すのではなく、今、我々が法華経と呼ぶ経典は、正確には「釈迦の法華経」と呼ぶべきもので、他の仏が説いた法華経も存在したのです。
 例えば、法華経の不軽品(ふきょうぼん)には、過去に法華経を説いた威音王仏(いおんのうぶつ)という仏の存在と、その仏が没したのちに不軽菩薩が24文字の法華経を説いた、という物語<(41)>が説かれます。

 (注41)「釈尊の前世、むかし威音王如来という同じ名前をもつ2万億の仏が次々と出世された。その最初の威音王仏が入滅した後の像法の世で、増上慢の比丘など四衆(僧俗男女)が多い中にこの常不軽菩薩が出現したとされる。常不軽菩薩は、相手が誰であれ、「私は、あなたたちを深く敬います。けっして軽蔑しません。だって、あなたたちはみな、菩薩の道を実践して、将来きっと仏になるから」・・「我深敬汝等、不敢軽慢、所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏」・・・<(>二十四文字の法華経<)>・・と呼びかけて、礼拝した。
 四衆は「なにをふざけたことを言いやがる」と腹をたて、悪口罵詈(あっくめり)し、杖や枝、瓦石をもって彼を迫害した。それでも彼はめげず、誰に対しても同じ言葉をかけて礼拝し、迫害されるということを繰り返した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E4%B8%8D%E8%BB%BD%E8%8F%A9%E8%96%A9

 この法華経が何を説いていたかというと、端的に「皆、仏になれる」と万人の成仏を説いているのです。
 威音王仏が説いた法華経も同様です。
 ですから、逆からいえば、万人の成仏を説いた経を、法華経と名付けているとも言えるでしょう。
 しかも、釈迦は、過去の不軽菩薩が、現在の釈迦自身である、とも述べています。
 ここから分かるのは、法華経と呼ばれる万人の成仏を説く教説は、過去から繰り返し説かれ、その法華経を説く仏も過去から繰り返し出現してきたということです。
 そして法華経こそが様々な仏と経典を産み出す根源だったということです。」(198、202~203、239~241)

⇒江間は、プロの仏教学者でも歴史学者でもないわけですが、それにしても、彼、「『法華経』常不軽≪菩薩≫品第二十に登場する菩薩である・・・常不軽≪菩薩≫」(上掲)のことを、どうして<常>不軽≪仏≫、と呼ぶのでしょうね。(太田)

(続く)