太田述正コラム#2493(2008.4.18)
<皆さんとディスカッション(続x115)>
<雅>
 –西国立身論は?–  
新規購読者の、尊敬する人「蛮爵 後藤新平」と書いた(コラム#2481)ものです。
 昔、自らの価値観を洗い直すために、20代前半~中頃に色々独学で読みあさっておりました。その時に出会った本で、江戸~明治期の価値観の恐らく重要構成要素である『西国立志編(自助論/self-help)』がこのブログ内に書かれておられないみたいなので、明治の価値観の構築にはこの本は欠かせないのでは無いかと思い列挙させていただこうと思います。
 私が知っている範囲ですが、この本は明治期を通じ100万部は売れていたようです。あの当時の本で100万部ですから相当な数なはずです。それだけに社会に及ぼした影響も多大であります。典拠:
http://digital.tosyokan.pref.shizuoka.jp/aoi/4_greatbooks/4_5_01.htm
 私が知っている範囲が少ないのですが、それを愛読した人として、星新一の父である製薬王星一(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E4%B8%80
)や台湾民政長官であった後藤新平が若い頃に愛読したそうです。(星新一 明治の人物誌より
 詳しくは下記URLの翻訳者たる中村正直を参考にしてください。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/305.html?c=0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%AD%A3%E7%9B%B4
<太田>
 確かに、福澤諭吉(1835~1901年)らとともに明六社を結成し、アングロサクソン化を掲げて久方ぶりの日本の弥生化の旗振り役の一人として活躍した中村正直(1832~91年)には、福澤と並んで、あるいは福澤以上に注目すべきだったかもしれませんね。
 というのも、福澤はアングロサクソン文明が(アングロサクソンの学問を含め)いかなるものであるかを歪曲して日本に伝えてしまった(例えばコラム#1061)のに対し、中村は、アングロサクソン文明がいかなるものかを、最も的確に祖述した著作であるところの、スマイルズ(1812~1904年。Samuel Smiles)の『Self Help(西国立志篇)』とJ.S.ミル(John Stuart Mill。1806~73年)の『On Liberty(自由之理)』を日本に翻訳紹介したからです。
 面白いのは、スマイルズはスコットランド人であり、ミルもロンドン生まれという意味ではイギリス人であるものの、学校教育を一切受けず、すべての教育をスコットランド人である父親から受けたという意味ではスコットランド人であることです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Smiles
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Stuart_Mill
 だからこそ、スマイルズはイギリスの個人主義を、そしてミルはこの個人主義とほぼ同値であるところのイギリスの自由主義(リベラリズム)・・個人主義/自由主義はアングロサクソン文明そのもの・・を、イギリスのインサイダーたるアウトサイダーとして的確に祖述できたわけ(コラム#2279参照)ですし、この両者、というかこの両著を選び取った中村の眼力にも、この両著、とりわけ前者を(福澤の『学問のすすめ』とともに)ベストセラーに仕立てた明治初期の日本大衆のセンスの良さにも感服せざるをえません。
 中村は昌平坂学問所や、その後継である東京大学の教授を勤めており、日本の官学の教授の模範例である、と申し上げておきましょう。
<FUKO>
 –蒲島郁夫氏について–
熊本県知事になるためには自民党の支援を受けなければなりません。
 戦後の歴代熊本県知事は全て自民党の支援を受けています。
 もし蒲島氏が自身の信念に従い自民党の支持を受けずに出馬したとしても、他の自民党系の候補者が当選したでしょう。
 それに蒲島氏はどちらかと言えば反自民党的な立場であり、今回の知事選でも自民党を利用しただけのこと、と聞いています。
 信念を通して民主党から選挙に出た太田氏に聞きます。
 蒲島氏はどうすべきだったのでしょうか?
<太田>
 蒲島氏は、米国の政治過程論(投票行動を統計学的に分析する学問)の日本への導入者として知られています(典拠省略)。
 彼は自ら、「<私は>二大政党制を支持し、主張も民主党寄りだった。でも政策を通すには(<熊本>県議会少数の)民主党では不可能で、自民党の理解を得ないと政策を実現できない。・・・私のリベラルな考えは変わっていない。私の政策に自民党が賛同してきた。・・・当選後、自民党の言いなりになることなどあり得ない。」と語っています(
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000270802270002
。4月17日アクセス。以下同じ)。
 また、彼は「マニフェストでは財政再建のため知事給与と職員給与のカットに踏み込んだ。「職員の危機感を高め、早く財政再建にめどをつけたい」と考えたという。」と報じられています(
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000270803080004)。
 どうして「リベラル」であると自負している蒲島氏が「非リベラル」である自民党の広告塔と化して自民党の延命に手を貸すのでしょうか。
 財政再建、そしてそのためにも図らなければならない経済の活性化は、「リベラル」「非リベラル」にかかわらず、いかなる政治家にとっても今避けて通れない課題ですが、それが果たして、東大の政治学教授が、熊本という日本の一地方で専心携わらなければならない課題なのでしょうか。
 彼が、自民党恒久政権が、日本経済の低迷、財政危機、政官業癒着構造/構造的退廃・腐敗、女性差別の構造化、等をもたらしたと思っているのなら、熊本の知事選に、しかも自民党の支持の下で出て自民党の延命に手を貸すようなことをしでかすはずがありません。恐らくこのような現状が彼には全く見えていないのでしょうね。
 このような日本の現状が、タレント弁護士であった橋下氏に見えていなくてもやむを得ないけれど、政治学者の蒲島氏に見えていなかったとすれば、およそ政治学者として失格であり、そんな彼のために国民の税金から支出された、筑波大や東大時代の給与を国庫に返還してくれ、と言いたくなります。
 彼の日本の政治分析の薄っぺらさは
http://fpcj.jp/old/j/mres/briefingreport/bfr_80.html以下
を読んだだけでも分かりますよ。
 この薄っぺらさは、恐らく彼が、ホンモノの「リベラル」とは何かが、とりわけホンモノの「リベラル」にとって軍事がいかなる意味を持っているかが、全く分かっていないことから来ているのでしょう。
 蒲島氏も、そして皆さんも、ホンモノの「リベラル」であるJ.S.ミルが”The Contest In America”で訴えた、
But war, in a good cause, is not the greatest evil which a nation can suffer. War is an ugly thing, but not the ugliest of things: the decayed and degraded state of moral and patriotic feeling which thinks nothing worth a war, is worse. When a people are used as mere human instruments for firing cannon or thrusting bayonets, in the service and for the selfish purposes of a master, such war degrades a people. A war to protect other human beings against tyrannical injustice–a war to give victory to their own ideas of right and good, and which is their own war, carried on for an honest purpose by their free choice–is often the means of their regeneration. A man who has nothing which he is willing to fight for, nothing which he cares more about than he does about his personal safety, is a miserable creature who has no chance of being free, unless made and kept so by the exertions of better men than himself. As long as justice and injustice have not terminated their ever-renewing fight for ascendancy in the affairs of mankind, human beings must be willing, when need is, to do battle for the one against the other.(
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Stuart_Mill
。4月18日アクセス)
を熟読玩味して欲しいものです。(コラム#2465で、この一部の翻訳を掲げた。)
<FUKO>
 トップページが変わったのですね。とても見やすくていいですね。
<太田>
 IT支援グループ5名の方々のご努力の結晶です。
 ここまでは、そのうちのプロのホームページ作成者(女性)の手を主としてわずらわせましたが、今後、使い勝手の飛躍的向上を意図したリニューアルの第二弾が続く予定です。
<クコ>
 コラム#2488に関連するコラム#2492(未公開)を読みました。
≫小都市に住む米国人(small-town Americans)は自分達の経済的苦境について「苦々しく思うようになり、自分達のフラストレーションを紛らわせる手段として彼らが、銃に、宗教に、自分達と同じでない人々に対する敵意に、反移民感情に、あるいは反貿易感情にすがりつくようになるのは決して驚くべきことではない。(And it’s not surprising then they get bitter, they cling to gunsor religion or antipathy to people who aren’t like them or anti-immigrant sentiment or anti-trade sentiment as a way to explain their frustrations.)」≪(コラム#2488)
 このオバマの発言を最初に読んだとき、私にはどこが失言なのかわかりませんでした。
 つまりこの発言は、銃を持ちキリスト教にすがる一般大衆を馬鹿にした発言として受け止められるだろう、ということだったのですね。
 けれどもこの発言は、「失言」とはならなかったと。
 ヨーロッパの極右は、失業など経済的苦境を、移民や治安悪化(=銃)に結び付けて、大衆の支持を得ています。
 オバマの発言も同じように、むしろ大衆受けするのが当然なのではないですか。
<太田>
 ちょっとシチュエーションが異なります。
 「宗教に」の部分がそれじゃ説明できないでしょう。
 それに「銃に」というのも、狩猟で憂さ晴らしをするという意味ですよ。
<偏屈親父>
 コラム#2491を読みました。
 何時も、目から鱗です。「そこまで言って委員会」では名古屋大学の武田教授と双璧ですね。ご活躍を期待しています。
 今日、地元紙に面白い記事がのっていました。(17朝刊北海道新聞29面)「市、コンポスト事業廃止」
 84年に下水汚泥から肥料を作る工場を立ち上げたが、老朽化のために廃止する(完成までの総費用は書かれていない)。このまま維持すると機械の更新で十年間に90億の費用がかかる。一方、作られた汚泥肥料の売上高は年間6千万円。さらに工場の維持費や人件費で年間4億の経費が必要。やはり算数の出来ない連中のやることはすごい。更に一言、市は言う。「環境に配慮した施策を今後考える」とさ・・・やめてくれ。環境を考えるなら何もせず寝ていてくれたほうが良いのでは?
 武田先生にも見せてやりたい。
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太田述正コラム#2494(2008.4.18)
<駄作歴史学史書の効用(その1)>
→非公開