太田述正コラム#2523(2008.5.2)
<オバマ大頭領誕生へ?(続x7)(その4)>(2008.6.5公開)
 (以下
http://www.guardian.co.uk/world/2008/may/02/barackobama.uselections2008
http://film.guardian.co.uk/news/story/0,,2277229,00.html
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2008/05/01/another-move-to-obama/index.html?ref=opinion
http://blogs.ft.com/crookblog/、 
http://latimesblogs.latimes.com/washington/2008/05/jeremiahwright.html
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-brooks1-2008may01,0,2070735.column
http://www.latimes.com/news/opinion/la-ed-obama1-2008may01,0,1603861.story
http://www.cnn.com/2008/POLITICS/05/01/moore.q.a/index.html
(いずれも5月2日アクセス)も参照した。)
7 今後の展望
 (1)米英の主要メディア
 CNNの電子版は、ライトのことは忘れてクリントンや、そしてマケインに対してこんな風に戦うべきだ、と具体的にオバマに提言する、著名な黒人のジャーナリスト(CNNの解説員(contributor))の4月30日付のコラムを掲載しました。これは、筆者の私見である旨断り書きが入っているものの、CNNがオバマを援護射撃したものとして注目されます。
 このことは、同電子版が、5月1日付で、超有名番組ラリー・キング・ライブでの(暫く前にオバマ支持を表明した)映画監督のマイケル・ムーア(コラム#1784)の発言を掲載したことからも裏付けられます。
 ムーアは、自分はカトリック教徒であり、ミサに今でも行っているけれど、神父が受胎調整は罪だとか女性は神父になれないとかのご託を述べても、怒っていちいち席を立ったりはしてこなかった、とオバマを巧妙に弁護しました。
 もっともこれだけだとライトの発言を貶めたことになりそうなところを、クリントンとは彼女が上院議員選挙に出たときに夫婦で献金までした間柄だったのだが、大統領予備選の中で、彼女がファラカンとパレスティナのハマスを同列視した上で、オバマとこの二つを関連づけようとしたことで、彼女の正体を見たと思い、嫌悪感を覚え、オバマ支持を表明した、と語ったことで、間接的にライトのファラカンについての発言、ひいてはライトの発言全体を、微妙な形で擁護してバランスをとっていました。
 ムーアは、オバマばりのラディカルなリベラルでありつつ、フツーのリベラルの人々にも耳障りの良い発言をすることもできる、政治家的素質のある人物であると見ました。
 ロサンゼルスタイムスも、オバマを援護射撃しています。
 同紙は、4月1日付の無記名論説で、ライトの問題提起に真剣に耳を傾けるべきであることを示唆するとともに、同日付で法科大学院教授の同趣旨のコラムを掲載しました。
 このコラムは、特にライトのエイズ発言について論じ、黒人の15%がエイズは黒人に対する一種のジェノサイドであると考えており、27%近くがエイズは政府の研究所でつくられたと考え、59%がエイズに関する多くの情報がまだ開示されていないと感じていることを指摘するとともに、2005年のランド研究所の研究が、米国の医療制度が人種差別のために黒人に劣悪な医療しか提供していないことがエイズの蔓延につながっていると結論づけたことを指摘し、エイズを撲滅したいのなら、黒人の人々がライトが言及したような陰謀論を信じ込む理由を理解する必要があり、理解して初めて、黒人達が考え方と行動を変えるように説得することができるとしています。そして、同じことがライトの他の一見行き過ぎの発言についてもあてはまる、と締めくくっています。
 ライトの発言に真剣に向かい合えというのですから、ロサンゼルスタイムスが、ライトの人となりだけでなくその考えを含めてライトに私淑してきたに違いないオバマを援護射撃したと言えるでしょう。
 極めつきは、ノースウェスタン大学が、ライトを6月の卒業式で祝辞を述べてもらい、あわせてその際ライトに名誉博士号を授与する運びになっていたところ、それを、急遽キャンセルしたという内容の5月1日付の記者ブログを同紙が電子版に掲載し、これに対する読者投稿の大部分が同大学がキャンセルしたことを支持し、ライトを罵倒する内容のものであった中、ほぼ唯一ライトを称賛した一白人の投稿だけ、そのさわり、「ライトは権力に向かって真実を述べる勇気を持っている。ぜひ大統領選に出馬して欲しい。自分は一票を投じる」を、電子版のトップページに、このブログへのリンクと共に掲載したことです。
 
 ワシントンポストは、系列のニューズウィーク誌から転載した黒人(?)牧師のコラムを4月30日付で掲げていますが、ライトの発言を預言者的発言であるとして称揚する内容であり、間接的にオバマの苦衷に理解を示し、オバマを援護射撃した形になっています。
 また同日付の記事で、ここ数日間においてすら、特別代議員で新たにオバマ支持を表明した者の数がクリントン支持を新たに表明した者の数を上回っているとし、特別代議員数でのクリントンのリードが約20名に縮まってしまったとしています。
 ニューヨークタイムスは、5月1日付で、オバマがライトとの絶縁宣言をする直前に5日間にわたって行われた世論調査を紹介する記事を掲載し、民主党支持者中、オバマが民主党の大統領候補になると思う人は51%と一ヶ月前の69%から、また、オバマが共和党のマケインを破る可能性が最もある候補だと思う人は48%と一ヶ月前の56%から、それぞれ大幅にダウンしたけれど、46%が依然オバマを支持しており、これに対しクリントン支持は38%と一ヶ月前の43%からダウンした、という客観報道に徹しています。
 ニューヨークタイムスはクリントン支持を早々と打ち出していたこともあって、なかなか簡単にオバマ擁護とは行かないようです。
 なお、全有権者中、オバマを極めて愛国的であると思う者は29%、クリントンについては40%、マケインについては70%であり、また、民主党に好印象を持っている人は52%もいるのに対し、共和党に好印象を持っている人は33%しかいません。
 同紙は更に、5月1日付の編集委員ブログで、元民主党全国委員長をクリントン大統領の下で務めた有力民主党員たる特別代議員が、クリントンからオバマに支持を切り替えたことを報じました。
 以上から窺えるのは、米国の有権者達は、従って、民主党の特別代議員達も、非愛国的であることをもってオバマが必ずしも大統領不適格であると考えなかったし、ライト騒動にもかかわらず、オバマよりむしろクリントンの品性の方を問題にした、ということです。オバマはこのまま行けば間違いなく大統領になりそうですね。
 なお、クリスチャンサイエンスモニターは5月1日付の記事で、黒人の大部分は、オバマがライトと袂を分かったことは、黒人が白人優位の米国で生きて行くためには白人に耳障りの良い言動をとらざるをえないという現実に照らして政治的にやむをえないことだと見ている、と報じましたが、これは白人側にも同様の配慮をオバマに対して払うことを求めたものであると解することができるでしょう。
 以上のような米国の主要メディアに比べると、英国の主要メディアは、自分の国の選挙でないので当然のことかもしれませんが、いささか真剣味にかける感が否めません。
 クリントンに対してもオバマに対しても、そしてライトに対しても、小馬鹿にしたような態度が窺えるのです。
 ガーディアンは5月1日付で、ライトはカネでもつかまされてオバマを窮地に立たせたのでないか、とする品のない、有名黒人映画監督のコラムを掲載し、また翌5月2日付では、クリントンが今年1月以来、徹底的にオバマを黒人の利害を代弁する候補者であって、人種を超越した候補者などではない、と訴えてきたとクリントンをばっさり切り捨てる記事を掲載しましたし、ファイナンシャルタイムスは4月30日付で、ライトをナルシストで人種主義的デマゴーグであるとこき下ろした上で、オバマはライトの発言など昔から何度も耳にしていたはずであるからして、要は自分を政治的窮地に立たせたライトに怒ったに過ぎないとする、やはり品のない、フリーランサーのジャーナリストによるコラムを掲載しました。
 (2)コメント
 既に申し上げたように、ライト騒動にもかかわらず、いや騒動があったからこそ(?)、米大統領予備選及び本選の行方は一層はっきりしてきました。
 それにしても、ガーディアンやファイナンシャルタイムスが、ライト騒動を冷ややかに見る気持ちが私には分かるような気がします。
 宗教が米国の政治で占めるウェートが依然として余りにも大きいことに呆れているのではないか、ということです。
 そもそも、オバマがキリスト教に入信し、しかも敬虔な信者となっていなければ、いや、少なくともそういう風に回りから見えなければ、大統領選に出馬することなどおよそ不可能であったことでしょう。
 それだけでなく、入信先の教会の選択が政治的に最適であったとは言えなかったために、選挙運動中に足を引っ張られることになった、というのですから・・。
 しかし、それはそれとして、オバマが大統領選に出馬してくれたおかげで、米国民が黒人差別という米国の第一の原罪と黄色人差別(とそれが行き着いた先であった原爆投下)という米国の第二の原罪について、米国民に対し改めて問題提起がなされ、そのどちらの原罪についても米国民が直視せざるをえなくなった、ということは、米国のためにも、日本のためにも、そして世界のためにも大変よいことだったと思います。
(完)