太田述正コラム#2773(2008.9.5)
<皆さんとディスカッション(続x238)>
<太田>
 コラム#2772(未公開)に対するコメントのつけたしです。
 「日本は米国の属国である」、「日本は政官業三位一体的癒着構造の下腐敗している」、という二つの命題がどちらも成り立つとした上で、後者が前者の帰結である、ないしは前者が後者を温存させている、とどうして言えるのでしょうか。
 防衛庁(省)の場合が一番分かりやすいのですが、わが自衛隊には日本国憲法/日米安保なる米国による日本保護(属国化)条約維持のための見せ金としての存在意義しかありません。
 ですから、(日本の領域に対する軍事的脅威が基本的にゼロであることともあいまって、)防衛省には、実際の戦闘において高性能を発揮しかつ安全な武器を調達するインセンティブが働かず、当然のことながら、武器の価格を抑えるというインセンティブもまた働きません。
 このような背景がある以上、政官業三位一体的癒着構造を解消しよう、就中天下りシステムを廃止しようなどというインセンティブを防衛官僚らが持つ余地はありません。
 このような防衛省の腐敗と基本的に同様の腐敗が安全保障に強く関わる外務省、警察庁、経済産業省等においても見られ、これら省庁の腐敗がその他の諸官庁にも伝播し、日本の官僚機構全体が腐敗ししている、というのが私の見解です。
<遠江人>
 SKさん、お役に立てたようで(コラム#2770)うれしい限りです。
 今回のコラム執筆にあたっては、書き出しや個人の感想の部分は結構すんなり思いついたのですが、とにかく、膨大な太田コラムからの情報の検索、収集、整理選択には、予想以上に時間と労力がかかりました。アングロサクソン論の重要なポイントはなんとなく分かっていたので、そんなに苦労もしないだろうと思っていたのですが、検索していくうちに、とにかく興味深い話があれもこれもと後から後から出てくるものですから、抽出するテキスト量がどんどん増えてしまい、そこからの整理選択は本当に骨が折れました。
 と、無駄話はこれくらいにして。
 ハイエクについてですが、名前は知っていますが著書を読んだことが一度もないので、こんな私がとやかく言うのはおこがましいところですが、ただ、
フリードリヒ・ハイエク – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF
の中に次のような一節がありました。
 「さらにハイエクは特にフランスに見られるような「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。」
 太田さんも仰っているように、中身は英米人といった感がありますね。
<海驢>
 遠江人さんへのお返事です。
 コラム執筆お疲れさまです。
 太田さんが各所で述べてきたアングロサクソン論の貴重な資料を縦横に網羅した、まさに遠江人さんの本領発揮!という感の、じつに素晴らしいコラムでした。大変分かりやすくまとめていただき、ありがとうございます。
 太田コラムが有料化する際、購読を決断する要因となったのが「アングロサクソン論」でしたので、なんだか懐かしい感じがしました。
 さて、コラム#2770にてSKさんが述べられたハイエクについて。
 当方も著書を読んだことがないのですが、よく読みに行く「池田信夫blog」には頻繁にハイエクが登場するので、名前にはだいぶ親しみがあります。例えば、池田氏が書かれたハイエク入門本の序文では、以下のように紹介されています。
<以下、引用:ハイエク 知識社会の自由主義 - 池田信夫 blog http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/576a99c4b2f469a8109621f8263eba27
>
・・・不確実な世界を正しく予測していた、ほとんど唯一の経済学者としてタレブが評価するのが、フリードリヒ・A・フォン・ハイエク (1899~1992)である。彼は生涯を通じて、社会主義と新古典派経済学に共通する「合理主義」と「完全な知識」という前提を攻撃し続けた。その結果、彼は主流の経済学からは徹底して無視され、「反共」や「保守反動」の代名詞として「進歩的知識人」から嘲笑されてきた。
しかし彼の死後15年以上たって、経済学はハイエクを再発見しはじめている。合理的な人々の行動を記述する「合理的期待」派のマクロ経済学やゲーム理論が行き詰まり、新古典派理論の根本的な前提である「合理的経済人」の仮説が、「行動経済学」の多くの実験で疑問の余地なく反証された。人々の行動に非合理的な「バイアス」がともない、しかもそのバイアスに明らかな法則性があることを示した。・・・
ハイエクは、人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をすると考えた。それは若いころからの彼の一貫した信念であり、社会主義やケインズ的な「計画主義」が全盛だった1930年代に、彼はほとんどたった一人で、その通念に挑戦した。
<引用終わり>
 遠江人さんが引用されたWikiの記事でもありましたが、慣習(経験智)に基づく秩序に重きをおくところなど、英国人ぽいですよね。上述の「池田信夫 blog」では、ハイエクがこのような考えを持つに至った要因として「ハイエクが青春期を過ごしたのは、第一次大戦でオーストリアが負け、700年続いたハプスブルク帝国が崩壊して廃墟になったウィーンだった」ことを挙げています。
※参考:戦間期のウィーン – 池田信夫 blog
 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/11314bef8db355b14ecb1059f19447f7
 また、少しハイエクから離れますが、「池田信夫blog」には太田さんのアングロサクソン論を補強するような記事も載っています。例えば、「・・・資本主義という奇蹟は、17~8世紀のイギリスに一度だけ起こり、他の経済的に成功した国は、それを輸入したのだと思う・・・」など。
※参考:資本主義という奇蹟 – 池田信夫 blog
 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a02573887ab466cdeb6f8f5ee1a11447
 以上、ご参考まで。
<バグってハニー>
 –グレゴリー・クラークはトンデモ–
私も古森記者には癖があるのは知ってますから、投稿する前に別のソースで裏は取ってます。ご心配なく。古森記者に限らず誰だって間違いは犯すわけで、自分の記事を自ら訂正しているだけでも古森記者のほうがましじゃないですかね。
 海驢さんの言い分は原則としては正しいですよ。トンデモな人物もたまにはまともなことをいうことは可能性としてはありますからね。ただ、我々はある人物の主張の信憑性を占うのにその人物の過去の発言を普通参考にします。クラーク教授が北朝鮮拉致に関してトンデモなこと言ったのは事実なのだから、私は印象を操作しているわけではないですよ。
 まあでも、せっかくですからクラーク教授のことも調べてみました。調べれば調べるほど、この人トンデモですw 何がしたいのかよくわかりませんw
珍説その①「チベットは中国の領土」
Some facts:
Tibet has always been seen an [as?] Chinese territory (ask the KMT in Taiwan).
In 1959 China was reacting to an uprising backed? incited? by India and
the CIA. The KMT believes it should have reacted even more strongly.
http://www.nbr.org/foraui/message.aspx?LID=5&srt=EmailDate+DESC&pg=258&MID=25694
 この人にも詭弁の典型が見られます。普通、事実を指摘する前に「以下は事実です」などとわざわざ断らないでしょ。そうやって、前置きしてから事実でないことを書くという詭弁です。
 ただ、これはクラーク教授による珍説の中では比較的まともなほうです。いちおう、中共政府の公式見解ですから。ただ、1959年のチベット動乱を持ち出すんだったら1950~51年の人民解放軍によるチベット侵攻も取り上げなきゃ。動乱は侵攻に対するリアクションですから。ちなみに、歴史学的にいうとチベットは一貫して独立国であったわけではないですが、1951年までは中国の領土であったわけでもありません(チベットを直接支配したのは中国の歴代政権で中共が初めて。太田コラム#2484)。
珍説その②「天安門事件は虐殺神話」
 北京オリンピックが近づくにつれて、いわゆる”1989年6月4日北京の天安門における民主化を求める学生の虐殺”について世界の記憶を喚起しようとする動きが活発化している。
 その広場で抗議行動をする学生に軍隊が思いのままに発砲したという報道の,原典を流布することに大いに貢献したニューヨークタイムズ紙は最近、オリンピックボイコットの呼びかけも含め、いわゆる虐殺を糾弾した記事をさらにいくつか掲載している。通常は偏りのない英国のガーディアン紙やインディペンデント紙、オーストラリアのシドニーモーニングヘラルド紙をふくめ、他のメディアもこれに同調している。そしていずれも、それに対する反論を載せることには関心がない。
 天安門広場で虐殺がなかったことを示す圧倒的な証拠が揃っていることを思えば、この努力は相当なものだ。
http://gregoryclark.net/jt/page42/page42.html
―――
 なんですと!?天安門の虐殺は南京事件みたく「まぼろし」だったと?こんなの聞いたことがなかったので、ちょっと調べてみたら、昔NHKの番組でも同趣旨のことが報道されていたようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazusanosukekazusa/38425316.html
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040313
 しかし、当の中共政府は天安門事件では300人以上の死者が出たと、控えめながら公式に認めています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tiananmen_Square_protests_of_1989#Government_crackdown_and_deaths
 どうなってんの?
 よくよく読んでみると何のことはない、天安門「広場の中で」虐殺はなかったと主張しているだけなんですね。天安門広場に最後まで残ったスペインのテレビ局の証言に基づいています。しかし、その広場の外では相当数の死者が出ているわけでそんなことをもったいぶって指摘するのにいかほどの意味があるのかと。
 実はこれ、南京事件の否定と同じレトリックなんですよね。南京事件の犠牲者数が当時の南京市の人口よりも多いことを指して、南京事件はでっち上げだと主張する。もちろん、南京事件の犠牲者には南京市の外で殺された人も含まれています。否定派は誰も主張していないことを持ち出して論破した気になってるんですね。
 それで不思議なのは、南京事件などを否定しようとする日本の右傾化を厳しく糾弾してきたクラーク教授が、南京虐殺と同じ理屈で天安門虐殺を否定しようとする理由が理解できません。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/rc20080724a1.html
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/rc20080731a1.html
珍説その③「部落民=アイヌ」
The Ainu once inhabited much of Honshu. Even today, and not just in
Hokkaido, there are still remote areas where people of less than 100
percent Yamato appearance can be found. It is not impossible that in
the process of coming under Yamato domination some of the original
Ainu were relegated to inferior status, and that this had something to
do with burakumin origins.
http://www.nbr.org/foraui/message.aspx?LID=5&sh=Ainu&MID=19619
―――
 ぽか~ん。青天の霹靂。部落民に関するデマは今までいろいろ見たことがありますけど、これだけは聞いたことがない。一応、ググってみましたけど何にも引っかからない。これはクラーク教授オリジナルの独創的な珍説のようです。部落民は江戸時代にエタ・ヒニンと呼ばれた最下層階級の子孫であって、もちろんアイヌとは何の関係もないです。
 クラーク教授はどこからこの独創的なアイデアを得たかって?被差別部落のデモに出くわしたときに、デモしてた人の顔が他の日本人みたく見えなかったから。たった、それだけの理由です。
 それで、Steve Silverという人に根拠もなく適当なことを書くなとたしなめられて、逆切れして書いたのが上の文章。「オレは可能性を指摘しただけだ、可能性を述べただけなんだから間違ったことは書いていない、お前はPC(Politically correct、要するに言葉狩り)人間なだけだ」とクラーク教授、Silver氏にレッテル張りして開き直っています。それで、Steve Silver氏は、「オレをPC人間呼ばわりするのは反論になってないじゃん、可能性だけなんだったら部落民はイスラエルの失われた部族の末裔である可能性もあるよ、根拠のない可能性なんて意味ねー(意訳)」と私と同じパターンの反論しています。さすがにクラーク教授の自分には理がないと悟ったのか最後は自分の発言を部分的に撤回してますね。
 しかし、この珍説にはたまげました。
 それで、ちょっと調べただけで私はもうお腹いっぱいなのですが、せっかくですから問題になっているグルジア戦争に関する文章も少しだけ突っ込んでおきます。
―――
まず、真実の事実経過を見てみよう。8月8日の朝起きるとわれわれは、グルジア軍がグルジア内の小さな南オセチア自治州の州都ツヒンバリの町に猛攻を加えているというニュースを知った。民間人の負傷者数千人と報道された。また、先頃1991-92年のグルジアによる南オセチア攻撃以後駐留していたロシア“ 平和維持隊”十数人が殺害されたとのことだ。
http://gregoryclark.net/jt/page43/page43.html
―――
 また、もったいぶって「まず、真実の事実経過を見てみよう」なんて書いてるでしょ。こういう書き出しの後に続くのはウソと決まっています。
 それで、また例によって8月8日以前の経緯がすっとばされているでしょ?ロシア対グルジア、グルジア対南オセチアという構図の中に南オセチア内部でのオセット人とグルジア人の軋轢があるわけで、それを指摘しない限り今次グルジア紛争は絶対に理解できないです。旧ソ連の時にオセチアまで行ったりまでしてクラーク教授、何見てたんですかね。
 次に、「民間人の負傷者数千人」と書いてありますけど、これは太田コラムでは「ロシア側発表は誇張の可能性がある」と必ず注釈が入っていた数値です。それで、やっぱり誇張でした。
南オセチア衝突:露、犠牲者水増しか 当初発表1600人、確認は133人
http://mainichi.jp/select/world/news/20080821dde007030046000c.html
 本家本元のロシアでさえ撤回したプロパガンダに未だにしがみついているというのは、滑稽を通り越して哀れみさえ感じてしまいます。ちなみにこの報道とクラーク教授の記事は同日付なので、クラーク教授はロシアによる犠牲者数の下方修正を知らずに本記事を書いていると思われます。しかし、犠牲者数2,000 人説に対しては、当初からヒューマン・ライツ・ウォッチなどがに疑問を投げかけているわけで、彼の事実の取り扱い方は杜撰としかいいようがありません。些細なことのように思えるかも知れませんが、結局クラーク教授にとって「事実」とは彼の妄想を裏づけるようなものであればいいのであって、この事例は彼の事実に対する姿勢を端的に表していると思います。
珍説その④「日本の犯罪凶悪化は中国人のせい」
RE violent crime by foreigners, it is true that the Japanese are catching
up. Maybe they are learning from the Chinese gangs. The Marbuchi family
murders had a distinctly Chinese flavor to them.
http://www.nbr.org/foraui/message.aspx?LID=5&sh=violent&PID=20367&MID=20385
―――
この部分だけ抜き出すとクラーク教授がとんでもない人種差別主義者に読めちゃいますねw 中国人と日本人と両方見下していて二重に失礼です。
 この発言は、日本における外国人犯罪を議論している中で飛び出しました。別の投稿子による、統計データを駆使して日本の外国人犯罪はむしろ減っているとの指摘に対して、法務省の諮問委員も勤めるクラーク教授による「だから俺は不法滞在者(オーバーステイ)に対する理不尽な圧力に抗ってきた」との発言に引き続くものです。
 前段とつながっておらず、最初の投稿子とは正反対に、根拠もなく中国人による凶悪犯罪の恐怖をむやみに煽っていて、今までの議論がぶち壊しです。なぜ、日本人の犯罪に言及する必要があるのかもよくわかりません。私には「バカな日本人どもめ、お前らの犯罪のほうがよっぽどひどいんだよ」というふうに読みとれます(マブチモーター社長婦人殺害事件は確かに酷かったですが)。以前太田コラムで紹介された同じクラーク教授による記事では、これとはまったく逆に、アングロサクソン諸国に比べて日本と北欧の犯罪率が低いことを持ち上げてたんですけどね。