太田述正コラム#13518(2023.6.1)
<太田茂『新考・近衛文麿論』を読む(その40)>(2023.8.27公開)

 「・・・1936年6月、<昭和>研究会に支那問題委員会が設置されるとき、酒井は風見を訪ねてこの委員長となることを依頼した。
 快諾した風見は、早速人選に入り、「今若手では一番だな」と推薦したのが尾崎秀美だった。
 酒井は尾崎を朝日新聞社に訪ね、尾崎も快諾した。・・・
 尾崎は、・・・1937年4月、昭和研究会に参加し、6月には近衛内閣の書記官長になった風見に代わって支那問題研究部会長を引き継いだ。
 7月には東京朝日を退社した。
 尾崎は、風見と親密に会って支那事変処理を論じ、近衛総理の秘書官らと共に政策に関する議論ができる「朝飯会」の主要メンバーとなり、この関係は、第二次近衛内閣、第三次近衛内閣まで続いた。・・・
 翌1938年7月、風見の手配で近衛内閣の内閣嘱託となり、首相官邸内に部屋を持って執務するようになった。

⇒官邸に入れる前に、やはり、尾崎の身辺調査を、近衛/風見は行うべきでした。(太田)

 尾崎は最初から最後まで革新的な共産主義者であり、ソ連の忠実な僕であり、コミンテルンの指示に従い、中国に共産革命を起こし、日本もそうしていこうと考えていた。・・・
 <他方、>風見は、若いころから、虐げられる労働者や農民への強い同情心を持ち、基本的に社会主義者であっただろう。
 しかし、尾崎のようなコミンテルンに属するソ連の忠実な僕ではなく、ソ連に対しては、警戒心や批判も抱いていた。
 1944年11月6日、スターリンは革命記念日における演説で日本を侵略国だと非難した。
 しかし、日本政府は公然と反論しなかった。
 風見はそれに関して、日記や論考で、・・・繰り返しソ連を激しく批判し、・・・ソ連の対日戦参戦の意図とその侵略意思を正確に見抜き、・・・日本政府の弱腰を非難している・・・。・・・
 尾崎は、・・・日中戦争の拡大により国民党を疲弊させて中国の共産化を招こうとし、それが日本の共産化につながると考えていた。・・・

⇒尾崎が杉山元らと違うのは、支那における中国共産党の権力掌握が支那のスターリン主義化ではないことに気付かなかったこと、と、それが、日本のスターリン主義化には全くつながらないことを予測できなかったこと、です。(太田)

 1940年の春、風見は近衛と2人きりで時局の見透しを話し合う機会があった。・・・
 その<時の>・・・やり取りで、・・・近衛は・・・風見が天皇制を否定する社会主義者であることを見抜いた。
 もはやそういう人物を自分の内閣で国策を担う枢要ポストに抱えるわけにはいかないと近衛は思っていたのだろう。
 しかし、左傾と言われた第一次内閣と比べ、第二次内閣は、右傾との批判を招きかねなかった。
 それに、風見は第一次内閣で事変非拡大のために共に努力した仲だ。
 その風見を斬り捨て、近衛は人に冷たいと批判されるのはよくない。
 また、政治新体制に近衛自身は既に熱意を失っていたが、風見をその担当にすれば、近衛が政治新体制運動を早くもあきらめたとの批判もかわせる。
 司法大臣は風見を処遇するには適当なポストであり、一石二鳥だ。
 それが近衛の真意ではなかっただろうか。
 <しかし、>風見<に>は近衛の真意が見抜けていなかった。

⇒このくだりに関しては、珍しく著者に同感です。(太田)

 1941年10月14日、コミンテルンのスパイであった尾崎秀美は逮捕され、18日ゾルゲらも逮捕された。<(注82)>・・・

 (注82)「尾崎と特別の関係にあった陸軍軍務局関係者は尾崎の検挙に反対であり、特に新聞記者として駐日ドイツ大使オイゲン・オットの信頼を得ることに成功していたゾルゲとの関係において、陸軍は捜査打ち切りを要求したが、第3次近衛内閣の総辞職後に首相に就任した東条英機は、尾崎の取り調べによって彼と近衞との密接な関係が浮かび出てきたことを知り、この事件によって一挙に近衞を抹殺することを考え、逆に徹底的な調査を命じた。
 しかしその時点は日英米開戦直後で、日本政治最上層部の責任者として重要な立場にあった近衞及びその周辺の人物をこの事件によって葬り去ることがいかに巨大な影響を国政に与えるかを考慮した検察当局は、その捜査の範囲を国防保安法の線のみに限定せざるを得ず、彼等の謀略活動をできる限り回避すべく苦心したという。
 1942年(昭和17年)11月18日、近衞は予審判事・中村光三から僅かな形式的訊問を受け、「記憶しません」を連発し尾崎との親密な関係を隠蔽した<。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%82%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6

⇒陸軍が、最初尾崎らの検挙に反対したのは、ゾルゲ来日時から、ゾルゲがコミンテルン/ソ連のスパイだと見破っていて、ゾルゲや尾崎らを泳がして、対国内、対ソ連向けの情報操作に利用していたからだ、というのが私の見方です(コラム#省略)が、杉山元らが、近衛が用済みになったので、反杉山元ら勢力に近衛が利用されないよう、いい機会であるので近衛を抹殺することを、一応は考えてみた、というのは良く理解できます。(太田)

近衛は軍部の共産主義者やそのシンパたちに対しては、実名を挙げて明確に批判した。
 しかし、風見や尾崎に対しては、公には批判の言葉を口にしていない。
 それは、口にすることすらはばかられる、戦慄すべきことだったからだろう。」(241~245、247~248、254、259~260、262)

⇒近衛は、軍部に関しては妄想を抱いていただけであったところ、自分が犯した致命的過失を直視しようとせず、妄想でもって大陰謀をでっち上げることによって自らを免責しようとした、唾棄すべき小人物であった、ということです。(太田)

(続く)