太田述正コラム#13542(2023.6.13)
<太田茂『新考・近衛文麿論』を読む(その52)>(2023.9.8公開)

「・・・陸軍がこれほどソ連や延安の共産党に傾斜した和平構想を考えた理由について、新谷卓は、「陸軍が赤化していたのでソ連に接近した、あるいはコミンテルンに通じている共産主義者が陸軍の中に潜り込んでいたためにソ連に接近して和平仲介を求めたということではなかったように思える。仮にそうだとしたら、ソ連は、日本の和平仲介の申出を受けてもおかしくなかった。そうすれば、戦後日本に強い影響力を行使できたであろうし、日本を衛星国ないし共産化することも可能だった。しかし、ソ連は英米との約束を守り日本に参戦した」としている・・・。
 しかし、陸軍の赤化の傾向は否定できず、戦後日本が社会主義ないし共産主義化することを期待していた勢力があったことは事実だ。
 ソ連はヤルタ密約で、参戦の見返りに満州や日本の領土に大きな利権の約束を得ていた。
 しかし、ソ連が和平仲介の要請に応じて和平が実現すれば、ソ連の参戦は不要となるので、その見返りの実現は和平仲介の外交交渉に依存にすることとなる。
 連合国との間の和平となるので、ソ連だけが独断で強欲な権益要求をするわけにはいかない。
 しかし、密約通り参戦すれば、有無をいわさず、自ら腕ずくでこれらの権益を、場合によっては見薬以上の権益を獲得し、既成事実を作ることができる。
 とにかく参戦して実力で奪い取るのが最も確実だ、とスターリンは考えいたのではないかという気がする。
 歴史はまさにその通りに動いた。・・・

⇒新谷も著者も、当時、スターリンの頭の中で、極東、就中日本、がどれほどのウエートを占めていたかを想像しなければいけません。
 スターリンに限らず、モンゴルの支配から逃れた以降のロシアの歴代支配者達にとっては、頭の中のウエートは、欧州が圧倒的に大きいのであって、それは、欧州が常に憧れの対象であったこと、と、爾後の存続を危機に瀕せしめかねないような脅威はスウェーデン、フランス、ドイツ、と、常に欧州からのものであったこと(以上典拠省略)、に由来します。
 当時、スターリンからすれば、ナチスドイツの敗北が必至となった以上は、その欧州で領土と勢力圏をどれだけ拡大し、その拡大された領土と勢力圏をどのように米英と折り合いをつけて確保するかが最優先課題だったのであって、そのためには、米英と交わした自らの対日参戦約束を守ることが至上命題だった、と見るべきなのです。
 もちろん、当時、杉山元らもそう考えていたはずです。(太田)

 1944年8月、高木惣吉少将が、米内、及川、井上から極秘で和平工作の研究を命じられたことは著名だ。・・・
 しかし、・・・高木が研究の末に考えた和平路線は、今日の目からすれば恐ろしいものだった。
 それは、アメリカや重慶の蒋介石とは直接和平交渉の余地はないので、和平に持ち込むために延安の共産党やソ連に接近し、中国大陸で日本軍が占領している地域を延安の共産党やソ連に大幅に明け渡し、ソ連に大幅な権益を譲り渡そうとするものだった。・・・

⇒「恐ろしい」?
 「重慶の蒋介石〈には和平に関与させる〉余地はないので、〈和平に向けて〉延安の共産党やソ連に<以下同文>」と、二か所〈〉内のようにほんの少し表現を変えれば、現実の米英の和平方針と同じですが?↓
 「1945年2月の米英ソのヤルタ会談は中国代表の参加が認められず、ルーズベルトはスターリンに対して蔣介石の承諾なしにソ連の対日参戦や満州の利権確保を認め、朝鮮の南北分割まで取り決めた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E6%89%93%E9%80%9A%E4%BD%9C%E6%88%A6 (太田)

 高木は、戦後のアジア社会は、中国の権益支配をめぐって、ソ連とアメリカが対立状態になることを予測し、延安共産党やソ連に日本が接近しようとすることによって、それが行き過ぎないようアメリカが日本に手を差し伸べてくる、と計算していたといわれる。」(298、300~301)

⇒杉山元らは、1931年3月に私の言う杉山構想の実施に着手したと私は見ていて、1935年8月に毛沢東が中国共産党の事実上の最高指導者になった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1
時点で、支那における提携相手として中国共産党を選んだとも見ている(いずれもコラム#省略)わけですが、杉山元らは、杉山構想の肝とも言うべきアジア解放を目的とした対英米戦を日本が開始する際には、ソ連は当初中立を守るであろうけれど、日本が苦戦に転じた時点で対日開戦をする、と、見切っているとともに、日本が敗北した後、米国が覚醒し、ソ連と対立状態になるのは必至であって、その結果、米国が少なくとも極東で、日本に代わってソ連を抑止してくれるはずだ、とも考えていた、と見ている次第です。(コラム#省略)
この最後の点について補足しておきますが、杉山元らは、「<米>国内では共産主義運動が厳しく弾圧され、<米>共産党が半ば非合法状態だった事もあり、<米国>政府は<生まれたばかりの>ソビエト政権に対して厳しい態度を取った。対ソ干渉戦争では1918年、日本より先にシベリアへ軍隊を派遣し、その後も共和党政権による反共政策が続いたため、米ソ間の国交成立は実現しなかった。また、・・・<米国>では労働運動の中心が社会主義を拒絶する<米>労働総同盟にあったため、共産党や社会主義政党の活動の余地は小さかった。・・・1933年、民主党のフランクリン・ルーズヴェルトが大統領が就任すると、共和党などの反対を押し切って同年11月にソ連承認を実施した。これは西<欧>諸国よりも約10年遅れたが、同年に成立したナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー政権に対する牽制として実施された。また、ニューディール政策の中で全国労働関係法(ワグナー法)が制定され、労働者の権利などが重視されるようになり、<米国>の世論はソ連や社会主義運動に対して以前より好意的になった。その反動で保守派による対ソ嫌悪感はより強まった。保守派の多くが後に第二次大戦への介入に反対した理由の一つにファシズム諸国との戦争の結果、ソ連を利すると懸念したことが挙げられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%81%AE%E5%A4%96%E4%BA%A4%E9%96%A2%E4%BF%82
といったことから、米国は、本来的には強硬な反ソであって、米ソ関係を(ソ連から見てもそうですが)米国は全く便宜的なものとしか見ていない、と確信していたはずだ、ということです。
 ですから、高木がそのように「計算していた」としても、全く不思議ではありません。(太田)

(続く)