太田述正コラム#13550(2023.6.17)
<2023.6.17東京オフ会次第>(2023.9.12公開)

1 始めに

 Skype担当、動画撮影/アップ担当、が、お客さんと会いながらの事実上のSkype出席とあいなったのだが、HPパソコンから音の出力が一切できなくなってしまっており、急遽Skype用パソコンを富士通旧パソコンに切り換えたりして「講演」開始が遅れたが、事前に予定されていた通り、動画撮影とこの動画の本来のアップ担当者への送付、は、恙なく行われた。
 なお、出席者習合写真撮影は、ビデオカメラによるタイマー設定方法が分からずじまいだったので、撮影者を入れ替えて2枚撮影された。
 これらに携わって頂いたリアル出席者一同に、心から御礼を申し上げる。

2 2023.6.17東京オフ会次第(Oは私)

A:明治以降、武士改め軍人達が『古今和歌集』的或いは『源氏物語』的なものを顧みなくなったのはどうしてなのか。
O:維新から先の大戦まではさほど長くない一つの戦争と見るべきであり、戦いが始まった以上、戦いに専念する必要があったからだろう。
B:せっかく、武士創出に成功したというのに、どうして、江戸時代(縄文モードの時代)になってしまったのか。
O:支配層が武士であったという意味では時代は変わっていない。
 もとより、幕府系の武士達は行政官化していったところ、それはそれで合理性はあったわけだけれど、それ以外の武士達は、武士であり続け、結局、彼らが幕府を倒す形で明治維新がなった。
 支配層は、平安時代は貴族、鎌倉時代は武士、なのだから、変化はこの時の方が大きい。
 ところで、(「原稿」には書かなかったが、)伊勢物語は、日本最初の純文学、と言えそうだ。
C:事実上の「公文書」たる源氏物語の狙いを一言で言うと?
O:かつての日本、そして、武士達が活躍する時代のその更に後の日本、を、創出されつつある武士達に、それぞれ、思い出させ、理解させる、ことだ。
 かつての日本も、遠い将来の日本も、ユートピアではなく、悩みも葛藤もあるが、それらは人間主義に徹することで乗り超えることができる、とも。
D:次回のオフ会「講演」原稿はどんなものになるのか。
 倭の五王は、支那の南朝としか国交を結ばなかった、というあたりが肝になりそうだ。
 当時の日本は、朝鮮半島経由で、北朝の文化をどんどん取り入れていたにもかかわらずだ。
 北朝は非漢人系であって、その北朝の隋が南を併合して支那を統一したので、厩戸皇子は危機意識にかられ、それまでの朝貢外交を対等外交に切り換え、敵情視察に遣隋使を派遣した、と。
 この隋は鮮卑が作った王朝なので、だからこそ、『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』(コラム#13539)を読みたいのだ。
 (チェックしたら、ヨドバシカメラではまだだが、Amazonでは品切れが解消されていたので、先ほど、発注しておいた。)
C:太田さんは、前回のオフ会の時に、明治以降、日本のアジア主義者が(支配層の清人(=女真人)に比して)漢人が縄文人的であるので、漢人と肝胆相照らしたのではないか、的なことを言ったのを思い出す。
O:忘れているが、言ったかもしれない。
 ところで、北朝から文化はどんどん取り入れ、また、隋、そしてその後継王朝たる唐からも、一層その文化を取り入れたわけだが、取り入れなかったものの一つに椅子文化がある。
 この頃、日本は仏教も盛んに取り入れたが、お釈迦様の姿の定番は座った姿であり、私は、瞑想は座って行うのが必要条件なのではないか、と想像しているところ、そのことも考慮されたのではないかと思っている。
 日本の、後の書院造も、畳に座る生活抜きには成り立ち得ないことを思え。
C:欧米人は蹲踞が骨格上できないので、座るのがつらいのではないか。
 だから、meditationを腰かけて行なっている人もいるのではないか。
O:日本史がこんなに面白いとは、私は、昔は思っていなかった。
 世界史の方がドラマチックで面白いと・・。
 こんなに面白い日本史を、私とごく少数の太田コラム読者諸氏、だけで独占していていいのか、という気持ちだ。
 また、私が長生きし、元気でおられる期間がたっぷりあると、面白い日本史を描き尽くしまうかもしれず、後の人々が日本史に関してやることがなくなってしまわないか心配だ。
 ま、冗談だが・・。