太田述正コラム#13576(2023.6.30)
<宮野裕『「ロシア」は、いかにして生まれたか』を読む(その9)>(2023.9.25公開)


[だったん(韃靼)人の踊り/タタールの軛]

「ロシアの作曲家アレクサンドル・ボロディンが作曲したオペラ『イーゴリ公』の第2幕に含まれる曲で、ボロディンの最も有名な曲のひとつであり、またクラシック音楽でも有数の人気曲である・・・『ポロヴェツ人の踊り』」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%93%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B8%8A%E3%82%8A
が「誤訳」され、日本で定着したもの。
 「オペラの第1幕の終わりでイーゴリ公と息子のヴラヂーミルはコンチャーク・ハーンが率いるポロヴェツ人の捕虜となり、第2幕はポロヴェツ軍の野営地で展開する。第2幕の冒頭ではポロヴェツ人の娘たちが登場し、合唱に続いて第8曲「韃靼人の娘の踊り」を踊る。第2幕の終盤、イーゴリ公を懐柔しようとするが拒まれたコンチャーク・ハーンは奴隷たちに余興の踊りを命じ、第17曲の「韃靼人の踊り」が第2幕を締めくくる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%93%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B8%8A%E3%82%8A
というわけだが、ここに登場する「奴隷」の中に、キエフ・ルーシ人が入っていなかったのかどうか、気になるところだ。
 ちなみに、だったん(韃靼)、すなわち、「タタールの語源は古テュルク語で、「他の人々」を意味した Tatar(タタル)である。
 伝統的にはもっぱら、<漢>語では韃靼(ダーダー、拼音: dádá)、・・・ロシア語では Татар(タタール)、西<欧>の諸言語では Tartar(タルタル)と表記される。・・・
 後にタタルと自称する人々はモンゴル部族に従属してモンゴル帝国の一員となり、<欧州>遠征に従軍したため、<欧州>の人々にその名を知られた。<欧州>ではモンゴルの遊牧騎馬民族が「タルタル (Tartar)」と呼ばれるようになり、その土地名も「モンゴリア(モンゴル高原)」という語が定着するまでは「タルタリー」と呼ばれた。中でもロシア語の「タタール(Татар)」はよく知られているが、ロシアは<欧州>の中で最も長くモンゴル(タタール人)の支配を受けた国であり、ロシア人にとって「タタールのくびき (татарское иго)」という苦い歴史として認識されている。東<欧>ではモンゴル帝国の崩壊後にロシアの周縁で継承政権を形成したムスリム(イスラム教徒)の諸集団をタタールと称した。彼らの起源は、モンゴル帝国の地方政権のうちで後のロシア領を支配したジョチ・ウルスにおいてイスラム教を受容しテュルク化したモンゴル人と彼らに同化した土着のテュルク系、フィン・ウゴル系諸民族<(注15)>などで、これが現在のロシア・東<欧>のタタール民族に繋がっている。

 (注15)「フィン・ウゴル系民族(・・・Finno-Ugric peoples)は、ウラル語族フィン・ウゴル語派の言語を話す民族の総称である。・・・フィン・ウゴル系民族はモンゴロイドとコーカソイドの混合人種に属す。東(ハンティ人やマンシ人)はモンゴロイドの要素が濃く、西(フィン人やエストニア人)はほとんどコーカソイドであり、北欧ゲルマン系の人々と区別し難い。またマジャール人はウラル山脈から西進する間に、各種族と著しい混血を経ているため、形質的に周辺諸民族とは区別はできない。・・・
 ユーラシア北方の針葉樹林またはツンドラ地帯において狩猟採集とトナカイ遊牧を生業にする民族が多い。テュルク系(バシキール人)などの遺伝子を持つマジャール人のように騎馬遊牧民族もあった。・・・
 <ちなみに、>もともと<は、>・・・<支那>北東部の遼河文明・・・の担い手集団であった<可能性がある>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%AB%E7%B3%BB%E6%B0%91%E6%97%8F

 一方、東アジアでもモンゴル帝国の崩壊後も「タタル」の語は使われ続け、漢字で「韃靼」と記された。この韃靼はかつての達靼(タタル部)ではなく、モンゴル人全体を指しているため、使い方としては<欧州>と類似している。・・・
 宮脇淳子<(注16)>は韃靼という語について、「<支那>王朝の明は、モンゴル高原で遊牧生活を送っている人びとが、元朝と深い関係にあるモンゴル帝国の後裔であることを知りながら、かれらをモンゴル(蒙古)と呼ばずに、わざとタタル(韃靼)とよんだ。それは、中華思想の立場では、正統はただひとつしかなく、明朝だけがモンゴル帝国の宗主国元朝の継承者でなければならなかったからである」と分析している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB

 (注16)1952年~。京大文(史学)卒、阪大院博士課程満期退学、東京外大博士(学術)。「本名は岡田淳子。夫は東洋史学者の岡田英弘。・・・東京外国語大学(1997年 – 2015年)、常磐大学(2000年 – 2004年)、国士舘大学(2005年 – 2012年)、東京大学(2016年 – 2017年)で非常勤講師を務めた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90

 以上を踏まえれば、タタールの軛は、モンゴルによる軛だったのだから、(狭過ぎたり広過ぎたりの)多義性のあるタタールという言葉を用いて表現されるべきではなかろう。
 私が、モンゴルの軛という表現を用いて来たゆえんだ。
 (蛇足ながら、ボロディンという音楽家/化学者はめっぽう面白い天才だ。↓
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%91%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%B4%D0%B8%D0%BD,%D0%90%D0%BB%D0%B5%D0%BA%D1%81%D0%B0%D0%BD%D0%B4%D1%80%D0%9F%D0%BE%D1%80%D1%84%D0%B8%D1%80%D1%8C%D0%B5%D0%B2%D0%B8%D1%87

https://www.abc.net.au/classic/read-and-watch/music-reads/classically-curious-borodin/10847118 )

(続く)