太田述正コラム#2765(2008.9.1)
<読者によるコラム:人種間格差を教育でいかに克服するか>(2008.10.21公開)
 (これは、バグってハニーさんによるコラムです。)
 太田さんの「オバマ大統領」シリーズを興味深く読んでいます。
 予備選が近くなると一日に何回もバラクから電話がかかってきましたが(もちろん録音メッセージですけど)、一方のヒラリーはたったの一回だけ。こんなところでオバマ陣営は資金力・組織力の差をみせつけていました。今はもうすっかり元通り、静かになっています。
 さて、私の子供が通っている学校では毎年EOG(End-of-Grade Tests、要するに学年末テスト)の成績を人種別に公表しています。なぜ、平均点を人種別に公表するのか、その意図は分からないのですが、昨年度の結果はアジア系がほぼ満点で一位(>95点)。それに白人が僅差で続き(93.6点)、やや間をあけてヒスパニック(76.9点)、ダントツのドベで黒人(53.1点)となっています。米国はなんでも大変地域差が大きいのが特徴ですが、州全体の平均でもこの順序に変化はありません(全体的に下がるだけ、うちの町は優秀)。アジア系、ヒスパニックには言葉のハンデがある生徒も含まれることを考えれば黒人との差はことさら強調されることでしょう。なぜ、白人と黒人の間で学校の成績にこんなにも大きな差異が生まれるのでしょうか。
 ある人は次のように説明しています。
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 1970年代、ヘイル博士(Janice E. Hale、教育学者・社会学者)はアフリカとヨーロッパの比較研究から、子供たちがまったく違うやり方で学習することを見出した。ヨーロッパ人とヨーロッパ系アメリカ人の子供たちは左脳を用いた、客体的学習法をとる。左脳は論理と解析を司っている。左脳は書物といった対象から学ぶ。アメリカの現行の教育システムはこの左脳学習法に基づいている。
 アフリカ人とアフリカ系アメリカ人の子供はまったく違うやり方で学習する。彼らは右脳を用いた、主体的学習法をとる。右脳は創造性と直感を司っている。彼らは人という主体から学ぶ。
 1954年に人種分離政策が禁止されたのを覚えている人は多いであろう。そのとき学校でも人種の分離が廃止されたが、決して統合されることはなかった。フィラデルフィアで人種分離が終わったとき、私の学校の白人の先生何人かがパニックになった。なぜって?だって、黒人の子供はじっとおとなしく座っていないから。黒人の子供たちは机の後ろやそこらじゅうをよじ登った。なぜなら、彼らは対象ではなくて主体から学ぶから。違うやり方で学ぶからだ。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/apr/28/differentnotdeficient
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 そう、これはオバマ候補がかつて師と仰いだジェレミア・ライト師の演説にある一節ですね(太田コラム#2519、2533参照)。 ニューヨークタイムスの論説委員(Public Editor)によって、「この理論は神経科学者達によって神話に過ぎないとされている、と片付け(太田コラム#2533)」られちゃった理論です。果たして、この理論にはいかほどの妥当性があるのかを調べて見ました。
 まず、ヘイル博士ですが、この方は純粋に教育学者であって「右脳・左脳」というのは彼女がヒトの脳を研究した結果ではないです。こちらに彼女の著書Learning While Black: Creating educational excellence for African American children(黒人として学ぶ)
http://edrev.asu.edu/reviews/rev211.htm
の書評がありますが、もっぱら自分の子どもの経験や公立学校の観察などをもとに、黒人生徒も学業を達成できるような学校改革を提言しています。提言の中に、地域の黒人教会との連携を活用する、というのがあって、それを読んだライトが自分の教会に招待して講演してもらったのが縁となって、問題の演説でライトがヘイル博士に言及したようです。http://www.diverseeducation.com/artman/publish/article_11086.shtml
ヘイル博士によると、「右脳/左脳」という用語は「分野従属/分野独立(field
dependent/field independent)」、「関係的/分析的(relational/analytical)」などとも呼ばれる、この分野の教育学者達が用いる学習法の分類のようです。つまり、この右脳対左脳学習法というのはヒトの脳自体を研究した結果から得られた知見ではないです。
 さて、このライトの演説に対する批判は先にあげた太田コラムの中でもいくつか取り上げられていますが、私のライトに対する根源的な批判というのは、ライトは「違うだけなのであって劣っているわけではない」という呼びかけのもと、逆に黒人に対する偏見を新たにし差別を固定化しているだけなのではないか、というものです。彼の主張というのは換言すれば、白人生徒は創造性と直感にもとり、黒人生徒は論理と解析にもとるため書物から学習できない、と言っているのであって、どちらに対しても大変失礼な言い分です。リベラルな人々はそういう偏見・ステレオタイプと戦ってきたのであって、「米英のメディアは・・私が参照しているのはリベラルなメディアが大部分ですが・・、その掲載記事・論説のほとんどがライト非難一色(太田コラム#2533)」になるのもむべなるかな。
 この教育における人種間格差というのは米国では大きな問題であって、それは様々な原因に求めることができると思うのですが、私の見立てはいたってシンプルです。それは教育に対する熱意の文化的な違いです。アジア系は概して自分の子どもの教育に熱心です。私は家庭教師を雇っている韓国人や中国人をたくさん知っています。私の子どもが通う小学校では白人とインド系の親御さんが学校行事を主導しています。一方、ヒスパニック、黒人の親御さんはまずもって学校に顔を出しません。子どもも放課後ほったらかしになっている場合が多いです。親が学校に来ないから教師もどうしようもない、という感じです。もちろん、子どもの教育にどれだけ手間隙がかけられるのかは経済的状況にもよるわけで、これらの人々には様々な文化的社会的制約から(つまり差別のせいで)そんな余裕がない、というのもありますが、アジア系によく見られる、親が苦労しても子どもだけにはどうにか学を授ける、というメンタリティがあまり感じられないです。今の地位に安住していて、のし上がってやるぞという意欲に欠ける、そういう「奴隷根性」が私には垣間見えます。
 それではどうすればよいのか。ライトの主張とは逆に、黒人のためにこそ黒人に対するステレオタイプを打破する必要があるのではないでしょうか。オバマ候補が大統領となれば、黒人でも、シングル・マザーであっても、能力があれば大統領にだってなれるという実例になり、米国の黒人も自分達に対する見方が変わる大きな福音になると思います。
 「黒人のIQは白人よりも低い」というように、我々は知能や学習能力を固定したものと捕らえがちですが(注1)、実際には知能や学習能力は様々なことをきっかけに大きく変化します。ある子どものIQを経時的に何度も測定した研究から、たとえば両親の離婚をきっかけにIQが大幅に低下することなどが知られています(昔読んだ心理学の教科書に載っていた例)。最後に、サイエンス誌に掲載された、たったの15分で白人生徒と黒人生徒の成績差を劇的に改善する方法を紹介したいと思います。
http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/313/5791/1251
http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/313/5791/1307
 研究者達が7年生(中学生)に与えたの秋学期初めのエッセイです。実験群の生徒には人生にとって大切な価値をまず選び、それがなぜ自分にとって大事なのか説明する、という課題が与えられます。
 (「友達や家族との関係」を選んだ黒人女子生徒の例)「私の友達や家族は私が誰かと話さなければならないような大きな問題にぶち当たったときにとても大切です。私は友達から友情と勇気をもらいます。私は家族から愛され理解されています。」
 一言で言って他愛のない文章です。15分しかないですからね。しかしながら、生徒達にとっては自己の存在を肯定的に捕らえる機会となるわけです。
 一方、それと比較する統制群の生徒には同じ価値がなぜ他人にとって大事なのか、という課題が与えられます。(「政治」を選んだ黒人男子生徒の例)「政治はジョン・ケリーにとっては大事なんだろう。だって彼は大統領になりたいんだから。」
 そして、その後、学期末テストの成績を比較します。自分に関するエッセイを書いた実験群の黒人生徒は他人に関するエッセイを書いた統制群の黒人生徒と比べてGPA(grade point average、優=4、良=3、などと成績を数値に換算した平均)で0.3向上していました。これは数値としてはたいしたことがなさそうに見えますが、人種間成績ギャップでは最大で40%に相当します。たった15分の課題が何ヶ月も持続していることを考えれば黒人生徒たちにとって大変力強い朗報です。(ちなみに白人生徒の成績では特に向上は認められませんでした。おそらく成績が頭打ちしているのでしょう。)
 社会学、心理学の力を活用して黒人生徒達が自己に対するステレオタイプを打ち破り、人生や学業における成功を手にすることを願って止みません。
 (注1)たとえば、DNAを発見したジム・ワトソン博士は「アフリカの展望については悲観的たらざるをえない」、何となれば「われわれの社会諸政策は彼らの知能がわれわれと同じであるという事実に立脚しているところ、あらゆる検証の結果はそれがそうではないことを示しているからだ(太田コラム #2184)」と発言して顰蹙を買いました。ところが、この話には続きがあって、ワトソンのゲノムが解読され公表・分析されたところ、彼の遺伝子のうちアフリカ人由来のものが、ヨーロッパ系では普通1%未満のところ、なんと16%にものぼることがわかりました。これはワトソンの曽祖父母のうち一人がアフリカ系だとするとつじつまがあいます。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/science/article3022190.ece
 ワトソンにとってはなんとも皮肉な結果です。黒人を祖先にもってもノーベル賞が取れるのだったら、人種と知能の問題はあんまり心配する必要がなさそうですね。
<太田のコメント>
 バグってハニーさん、nature(氏)かnurture(育ち)か論争や、IQの意義論争といった深刻な論争にそう簡単には決着をつけてもらっちゃ困ります。
 これらの論争について、バグってハニーさんの手によるさらに掘り下げたコラムが近い将来に登場することを期待しています。
 また、その関連で、以前も(コラム#2746で)お願いしたように、Seed誌に載った、人間の動機付けに係る
http://www.seedmagazine.com/news/2008/08/a_new_state_of_mind.php
に関するコラムも書いていただきたいものですね。
 平素から盛んに投稿もしているのに、注文が多すぎる?
 まあ、そうおっしゃらずに。