太田述正コラム#2863(2008.10.21)
<皆さんとディスカッション(続x282)>
<SF>
 –今回の危機に関する英、米、日の対応について–
 あんまり畑違いの話題にばかり触れているとお里が知れそうで怖いのですが、今回の経済危機に対して、イギリスのブラウン首相の対応を賞賛する記事をよく見かけます:
【「ブラウン首相は救世主」 金融危機への対策で汚名そそぐ】
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081016/erp0810161902006-n1.htm
【英国ブラウン首相の支持率、金融危機対策で持ち直す】
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081020-OYT1T00580.htm
【恐慌を消し止めたブラウン首相と、火種を残したブッシュ大統領】
http://diamond.jp/series/machida/10048/
 さすがアングロサクソン!なのかどうかはわかりませんが、いくつかの記事において、ブラウン首相は日本の失敗に学んだということが書かれており、一方で我々は自身の経験に十分に学んだのだろうかと、対策を連呼する最近の自民党のCMを見るにつけ、心もとない気持ちになります。
 (件のCMは、有権者のリテラシーを相当低く見ているような気がしてなりません・・・)
 ところでこの種の問題では大前研一氏は(私のような素人目には)わかりやすく問題の構図と対策の方針を描くことができているように見えますが、上掲のイギリスの対応も、対策としては彼の案に近いものと思っていいのかな?
 識者のツッコミをいただければ幸いです。
【ポールソン案は額不足、手順も誤り】
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/154/
【最初にやるべきことを最初に】
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/155/
<太田>
 私も金融問題の専門家ではありませんが、大前氏とブラウン首相の処方箋は、優先順位の置き方において、かなり異なっているのではないでしょうか。
 (大前氏は、世界が依然として主権国家によって成り立っているという、基本的な認識に欠ける、と前から思ってます(コラム#2313、2316)。)
 ところで、元英エコノミスト誌編集長のビル・エモット(Bill Emmott)は、今回の金融危機について、次のように述べています。
 彼はまことに楽観的なわけですが、私は、彼の言うことはおおむね信頼しています。
 今回の金融危機は、米国にとってはそれほど深刻な話ではないが、欧州諸国、特に欧州大陸の主要国にとっては深刻な話だ。
 欧州大陸主要国においては、こういった金融危機への対処としては、(バブル崩壊後、深刻な金融危機に直面した日本が結果として行ったように、技術的な規制強化はともかくとして、全般的には、市場への規制強化ではなく、)一層の市場経済化の推進しかない。幸いなことにドイツのメルケル政権とフランスのサルコジ政権は、今回の危機以前から既にその方向に舵を切っていた。
 ドルの役割は若干低下することになろうが、1990年代には世界の外貨準備の50%がドルであったのが現在は約63%に増大していたのが、若干正常化されるというだけのことだ。
 独裁体制の諸国が優位となる時代が来るきっかけになることもありえない。独裁体制は、長期的には経済発展の桎梏となる。中共ではまだそれほど切実ではないが、ロシアやベネズエラでは既に桎梏となっている。
 特にロシアやベネズエラは、今回の金融危機にともなう天然資源の価格低下によって大きな打撃を被るだろう。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/17/AR2008101701960_pf.html
(10月20日アクセス)による。)
<海驢>
 –インターネットの匿名性とその悪しき影響について–
 コラム#2859において、太田さんが改めて述べられた「インターネットが人格を変えてしまう(こともある)点」について。
 ふと思い出したのですが、コラム#2847および#2851で「ノーベル賞」関連のコラムが紹介されていた伊東乾氏が、インターネットの匿名性とモラルの関係について、大学での講義とCSR(企業の社会的責任)を絡めて以下のような記事を書いておられました。
<以下、引用:匿名性幻想でネット環境は悪化する:NBonline(日経ビジネス オンライン) http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080104/144219/
「インターネットは匿名のメディア」とよく言われます。・・・(中略)・・・これは大きな誤解です。最初から「そういうモノだ」と皆が思い込むことで、ネットワーク社会は大変に面倒なものになってしまいました。
(中略)
「インターネットというメディアは、基本的に実名で情報を公開してゆくメディアである。同じメディアを利用して、匿名的なコミュニケーションも行うことができるが、大原則は実名を伴う社会的責任を負って、情報のやり取りをするツールである」
 こんな「常識」を持った「情報社会A」(と仮に名づけてみます)と、「インターネットは匿名的な情報通信が基本」と思っている「情報社会B」(と呼ぶことにすれば)とは、ネット上でのモラルに天と地ほどの違いが出てくること、想像に難くありません。
 実はこれ、私が大学で「情報」「情報処理」などの科目を教える際に、学生に教える1の1にほかなりません。
<引用終わり>
 最終的にはCSR(企業の社会的責任)の話に収束するコラムなのですが、(個人の責任意識がCSRの原点であるとして) ≫ネットワーク上の一ノード(結節点)として情報を発 信公開(あるいは受信)する主体として、自身の社会的責任(Social Responsibility)を自覚すること。その認識に立って独自のガイドラインを設定し、それに基づいて責任を取れる行動を徹底すること。(引用: 前出NBオンライン記事)≪ というように、個人の段階からインターネット利用における倫理・規範意識を具備することが(CSRにおいても)基礎になると いう意見が述べられています。
 一方、 ≫これらの基礎の基礎は「場合によっては実社会で刑事責任まで問われ得る、実名と共に情報を公開する」大原則にあるのにほかなりません。(引用:同上)≪ と述べられているように、個々人の倫理に期待するだけでは困難であるという認識もお持ちのようです。
 当方も、ID公開レベルは「固定ハンドルネームの使用」という最低水準なので偉そうなことは全く言えないのですが、文字の上だけでの議論においては説明不 足による誤解や対立が生じ易いことを鑑み、少なくとも現実(対面)の議論より表現・タイミングに配慮するよう心掛けているつもりです(不十分というご指摘 もあるかと思いますが、これでも現実よりはよほど毒気が少ない(はず)です)。
 刑事責任を云々せずとも、『心だに誠の道に叶ひなば祈らずとても神や守らむ(菅公)』というかつての「自律的倫理観」があれば(復興すれば?)、太田さん の心労ももっと軽くなると想像しますが、最近は電車の乗降でさえ人々の規範意識に「寒さ」を覚えます(東京限定ですが)ので難しいですかね・・・
<太田>
 インターネット((含むユーチューブ等)と携帯電話)の普及によって、家族(当然相互に実名)が四六時中連絡がとれるようになったことで、家族の一体性が高まったという調査結果が米国で出ています(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/19/AR2008101901346_pf.html
。10月20日アクセス)。
 ここには何の問題もなさそうです。
 しかしその反面、私に言わせると、匿名で行われる「通常」のインターネット上のやりとりが一旦実名によるやりとりに移行すると、やりとりの信憑性の幻想が生じてしまうという病理現象を引き起こす場合がある、という問題が生じています。
 従来は面会や手紙の交換等を通じて長時間をかけて形成されたところの、継続的取引相手、友人、あるいは恋人や家族が、インターネットを通じ、いとも簡単にできてしまうように見えるけれど、それは錯覚である場合も多々ある、ということです。
 さて、いくつか気付いた記事をご紹介しましょう。
 第一に、パウエルとオバマ支持表明(コラム#2862)のフォロー記事です。まず、
http://www.slate.com/id/2202661/
(10月21日アクセス)
が、
 ・・・In a Rasmussen poll taken earlier this month, Powell was viewed favorably by 80 percent of those surveyed?considerably higher than the positive ratings for Sen. Obama (56 percent) or his Republican opponent, Sen. John McCain (49 percent).
More remarkable, 12 percent of those polled said that Powell’s endorsement would probably have at least some effect on their vote. Within that group, just 5 percent said it would “very likely” have an effect. (Seven percent said the prospect was “somewhat likely.”) Still, given that so few voters remain undecided at this late date, 12 percent, or even 5 percent, is not a trivial share?and, depending on its geographic distribution, could even be decisive in certain states.・・・In a poll last February, when the primaries were still going on, registered voters were given a list of 10 prominent figures and asked whether an endorsement from each would make them more or less likely to vote for the favored candidate. Powell was the only name on the list whose positive influence (28 percent) outweighed his negative influence (19 percent).・・・
と、パウエルの声望がいかに高いかを、世論調査を引用しつつ記しています。
 また、
http://www.nytimes.com/2008/10/20/us/politics/20powell.html?ref=world&pagewanted=print
(10月21日アクセス)
 ・・・One major factor in Mr. Powell’s decision appeared to be Mr. Obama’s careful wooing of the former secretary of state. In recent months the two have had one face-to-face meeting and some half-dozen telephone conversations, all initiated by Mr. Obama. ・・・In contrast, Mr. McCain met with Mr. Powell, a friend of two decades, in June, and has not spoken to him since, the friend said. ・・・
In addition, a friend said that when Mr. Powell met with Mr. McCain at Mr. McCain’s Arlington, Va., apartment in June, Mr. McCain spoke almost exclusively to him about the war in Iraq and the increase in troop strength, or surge, that Mr. McCain had strongly supported. Mr. Obama, who met with Mr. Powell at Mr. Powell’s Alexandria, Va., office, discussed a broader range of issues and actively solicited Mr. Powell’s expertise, the friend said.・・・
と、オバマがマケインに比べていかに巧みにパウエルの心をとらえたかを記しています。 この話、広く応用がききそうですね。
 第二に、コラム#2802でとりあげたフランスの小説’The Elegance of the Hedgehog’の書評が今度は米クリスチャンサイエンスモニターに出ました(
http://features.csmonitor.com/books/2008/10/20/the-elegance-of-the-hedgehog/
。10月21日アクセス)
 主人公たるアパルトマン管理人のおばさんが日本の映画が好きなこと、もう一人の主人公たる13歳の女の子が俳句をたしなむこと、が出てきます。ホントに現代フランス人の間の日本への思い入れは相当なものです。
 第三に、タイの民主主義がまたも深刻な危機に直面しています。
 これは、相対的多数を占める(田舎の)貧者が支持する政権と相対的少数の(都会の)富者が対立する、という典型的な危機です。
 タイが完全な独裁制にならないのは、超「政治」的権威たる国王と超「政治」的権力たる郡部がバランサーとして存在しているからです。
 (以上、事実関係は
http://www.nytimes.com/2008/10/20/world/asia/20thai.html?ref=world&pagewanted=print
(10月20日アクセス)による。なお、民主主義の根本的ジレンマについてはコラム#91、タイの政治については、コラム#1176、1179、1418、1422、1426、1471参照。)
 第四に、中共の自由民主主義化の展望についてです。
 松浦晋也氏の『趙紫陽 中国共産党への遺言と『軟禁』15年余』についての書評(
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/bookreview/43/
(10月21日アクセス)
はなかなか面白いですね。
 彼の展開する趙紫陽及び温家宝善玉論は、結構説得力ありますね。
 それは、農民に実質的に農地所有権を与えることとなった今次改革(
http://www.nytimes.com/2008/10/20/world/asia/20china.html?ref=world&pagewanted=print
。10月20日アクセス)の評価にもかかわってきます。
 私は、趙紫陽は善玉だと思うけれど、温家宝(すなわち、胡錦涛/温家宝体制)が善玉であるかどうかについての判断は保留したいと思っています。
 私は、従ってまた、今次改革だって単なるプロパガンダである可能性があると思っているのです。
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太田述正コラム#2864(2008.10.21)
<フランスの成立(その1)>
→非公開