太田述正コラム#13738(2023.9.19)
<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』を読む(その10)>(2023.12.16公開)

 「・・・ソグド経済の基本は農業であるが、紀元1000年紀に入ってからのソグド人の生業のなかで目立つのは、なんといっても商業である。
 漢文史料もイスラム史料もそれを特記している。・・・
<漢文史料で>特に重要なのが、「称価銭文書」と呼ばれる商業税に関するものと「過所」「公験」と呼ばれる旅行許可証の類、さらに売買契約文書である。・・・
 称価銭とは、唐が西域に進出するまでトゥルファン盆地に栄えた麹氏(きくし)高昌王国<(注20)>の公営市場において、重さで量り売りされた高額商品に対して課された商税のことである。・・・

 (注20)「柔然が北涼の残余政権を滅ぼすと,闞伯周(かんはくしゆう)を高昌王とし,ついで張・馬・麴(きく)姓の漢人が王を称した。麴氏は498‐640年に麴氏高昌国を建て,西突厥が天山北方に勃興すると姻戚関係を結び,一方,北周・隋とも連和した。640年・・・唐は麴氏を滅ぼして西州都督府を置いた。」
https://kotobank.jp/word/%E9%BA%B4%E6%B0%8F%E9%AB%98%E6%98%8C%E5%9B%BD-1297422

 ただし、絹織物・奴隷・馬・ラクダなど高額ではあっても重量以外の基準で計られる商品は、当然ながら本文書に現れない。・・・
一方、ソグド人自身の手によって残された文書で、盛んな遠隔地商業活動を示すのは、いわゆるソグド語「古代書簡」である。・・・
 8世紀の第1=四半期に属する90点ほどのムグ山出土文書・・・には羊皮紙や柳枝(りゅうし)(木簡の代わり)に書かれたものも含まれるが、ほとんどはソグド語で書かれている。
 そこに現れる社会身分を表す熟語には、自由人・商人・職人・奴隷・捕虜・人質などがある。・・・
 士農工商といって商人を最下位に置く思想は江戸期日本だけでなく農本主義の唐代中国でも見られた<(注21)>し、ソグドと同じイラン語圏のササン朝ペルシアでも商人は社会の最下層であったが、ソグド社会ではまったく違ったのである。

⇒「<日本の>近世の身分制で、武士・農民・職人・商人。士を最上位とし、商を最下位とする。儒教的階級観念によって順位づけた言い方。基本的には支配階級である士と被支配階級である農・工・商を区別することで、農・工・商の間では上下関係はない」
https://kotobank.jp/word/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86-74628
のですから、著者は、日本史の最新動向に疎いようです。(注21)(太田)

 (注21)但し、「熊本藩のように、時代や地方によっては「士」・「農」・「商(工・商)」の間にある程度上下身分的関係が存在し、藩が藩経済の根本として農業を重視し、百姓を本業に専念させるために「農」と「商」の政策的区別を意図して行って区別し、「農」を「商」より上位に位置づける配慮がなされ、その結果、「根本、商売ハ農より賤物」と言わしめるに至るなど、明確に身分区分が存在した藩もあった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86

 商人の地位の高さは、聖職者が重視されていない点とともに、ソグド社会のきわだった特徴となっている。
 職人が隷属民であったかどうかは不明だが、彼らの工房は大邸宅に付随し、その工房はたぶん商店も兼ねていた。・・・
 問題は軍人であるが、私はこれには上は貴族から下は奴隷身分までまんべんなくいたのではないかと推測している。・・・
 シルクロード貿易というのは草原や砂漠のルートを行くのであり、しかも高価な商品を運んでいるのであるから、山賊や追い剥ぎに遭う危険性がきわめて高い。
 それゆえ少人数ではなく、かなりの人数でキャラヴァンを組むのが普通である。
 その際、キャラヴァンに参加する商人たち自身も武装したであろうが、ボディガードとして専門の軍人をも伴ったにちがいない。
 そのような軍人として、あるいは貴族や富裕な大聖人の私兵として、ソグド社会には半隷属ないし奴隷身分の軍人が多数いたようである。」(102~103、105、107~112)

⇒’During the 6–7th centuries AD, Sogdian families living in China created important tombs with funerary epitaphs explaining the history of their illustrious houses. Their burial practices blended both Chinese forms such as carved funerary beds with Zoroastrian sensibilities in mind, such as separating the body from both the earth and water. Sogdian tombs in China are among the most lavish of the period in this country, and are only inferior to Imperial tombs, suggesting that the Sogdian Sabao<・・Sabao (薩保・・・ “Protector, Guardian”) was an official Chinese title in the 5th-7th centuries CE, used for government-appointed leaders of the Sogdian immigrant-merchant community.・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Sabao > were among the wealthiest members of the population.’
https://en.wikipedia.org/wiki/Sogdia
というのですから、いかに、ソグド人に大金持ちが大勢いたかが分かろうというものです。(太田)

(続く)