太田述正コラム#2902(2008.11.9)
<皆さんとディスカッション(続x301)>
<海驢>
≫・・・今回は、いささか生煮えではあるけれど、初めて全体像についてメモをまとめてみた次第です。≪(コラム#2900 太田)
 いや、素晴らしい。さすがです。
 「私は個別イッシューについて掘り下げた研究を行ったわけではなく、また、全体像を提示するだけの能力があるわけでもありません。<引用:同上>」なんて、とても信じられませんね。
→お褒めいただき恐縮です。(太田)
 当方も、何一つ掘り下げた研究を行ったわけではないのですが、聞きかじりの浅学非才を顧みず、気になった点を記しますと・・・
≫(7)第二期・・・満州事変、日中戦争、大東亜戦争からなる「15年」戦争(家永三郎による命名)≪(同上)
 『15年戦争』の「15年」に括弧が付いているところが渋いです。
 言わずもがなの解説になりますが、満州事変(1931年(昭和6年)9月18日の柳条湖事件が発端)から、大東亜戦争終結(1945年(昭和20年)9月2日の戦艦ミズーリ上での降伏文書調印)まで、引き算のできる小学生以上なら間違えっこないですが『14年』。家永三郎氏は引き算ができなかったんですねぇ。
→「数え」じゃ間違ってませんよね。だけど、念のため「」を付けました。(太田)
≫(9)第四期・・・ファシスト国家へと変貌を遂げたロシアは、共産主義を標榜したままファシスト国家へと変貌を遂げた支那に再接近し≪(同上)
 ここは、「ファシスト国家へと変貌を遂げた支那」という部分に引っ掛かりました。
「変貌を遂げた」というより、最初から毛沢東・周恩来を中心とした「共産主義を標榜したファシスト国家」だったように認識していますが、当初(国民党を排除した直後)は、(ファシズムと双生児とはいえ)共産主義らしいところがあったのでしょうか?
→生産手段の私有を禁止し、市場経済を否定していた限りにおいては、共産主義でしょう。(太田)
≫(12)日本自身も、「15年」戦争の際の軍の統制の乱れ(将校の下克上、兵士の無規律)、兵士の人命の軽視(餓死戦病死兵士の続出、玉砕の多発)と、それにより支那一般住民に不必要に多数の犠牲者を出したこと≪(同上)
 「将校の下克上」は同意いたしますが、「兵士の無規律」はあったのでしょうか?
現代の平和ボケした日本においても強盗・殺人・強姦などの凶悪犯罪が発生するのですから、悪事を働く兵士もある程度いたと思いますが、全般的に兵士の無規律が蔓延していたようには思えません。
 例えば、中華民国の軍事代表として満州をソ連から接収した董彦平中将は、ソ連軍の掠奪暴行を目の当たりにして大いに憤激し、回顧録「ソ連軍の満州進駐」に以下のように書き記しているそうです。
 『いやしくも社会主義を標榜するほどの国家が帝国主義に圧迫され続けて今ようやく解放の日を迎えたばかりの同盟国の人民に対し、残酷かつ非人道的な凌辱、掠奪をやってのける軍隊の行動を容認するということが凡そ想像されることだろうか。
 日本帝国主義は東北同胞を奴隷のごとくコキ使ったが、彼等の軍隊(註、日本軍)は掠奪をしたり、婦女を強姦したりするような事例は、そうざらにはなかった。』
 また、勝者の復讐の場と化した戦犯法廷での告発・証言や、中帰連の方々を中心とした「罪の告白」はあまり信憑性がないと感じておりますので、もし「兵士の無規律」についての論拠をお持ちでしたらご教示いただきたく。
→董彦平は国民党軍の中将だったと思いますが、「そうざらにはなかった」と言うのですから、「少なからずあった」ということでしょう。
 ソ連軍よりはもちろんですが、国民党軍よりも少なかったでしょうがね。
 われわれとしては、「少なからずあった」ことを恥じるべきですよ。しかも、そういった行為を日本軍が厳しく罰したという話も聞こえてきません。
 なお、私は支那で現地召集されて将校として戦った父から、このような「武勇伝」を聞かされて育ったという話を以前したことがあります。
 また、いわゆる南京事件についてですが、私は無辜の支那一般住民が、少なくとも数千人以上日本軍によって殺害された事実は争いがたいと考えています。
 根拠は、直接良く存じ上げている、歴史学者の秦郁彦氏の論(2万人殺害説でしたか)は信頼に足りると考えていること、ドイツ人のラーベの本も、それなりに信頼に足りると考えていること等です。
 更に言えば、中国共産党軍(八路軍)は日本軍に対してパルチザン戦術をとりましたが、そんな場合、とられた側が一般住民を虐殺するのはある程度避けられないことであり、日本軍上層部が強い禁止指導をしていなかったと思われることから、八路軍との戦闘地域で虐殺が相当程度発生したと考えざるをえないことです。
 過去コラム等の典拠をつけませんでしたがあしからず。(太田)
 さらに「兵士の人命の軽視(餓死戦病死兵士の続出、玉砕の多発)」については、日本軍全体の問題ではなく、大本営作戦課の一部が米軍の戦力や戦場の地誌等の情報を無視した無謀な作戦指導を(天皇の名の下に)行ったことが主な要因と思われます<資料:「大本営参謀の情報戦記」堀栄三著・文春文庫>。
→これも下克上ですな。いずれにせよ、日本軍上層部に連帯責任があります。(太田)
 また、「戦陣訓」に代表される精神主義偏重も確かに指摘されるところですが、米軍との圧倒的な火力・兵力差に加えて、米海軍潜水艦の徹底した通商破壊(→ 補給の途絶)<資料:「本当の潜水艦の戦い方」中村秀樹著、光人社NF文庫>、米軍が捕虜を取らず投降兵士を殺戮したことも「餓死戦病死兵士の続出、玉砕の多発」の原因ではないかと思います<資料:「アメリカの鏡、日本」ヘレン・ミアーズ著・角川学芸出版、「リンドバーグ第二次大戦日記」チャールズ・O・リンドバーグ著・新潮社>。
※参考:野蛮な国 アメリカ (再掲)  :イザ! http://miko.iza.ne.jp/blog/entry/127886/
→部隊単位で降伏すれば、米軍だってあまり無体なことはやらなかったはずですよ。(太田)
 最後に、太田さんが常々主張されている「米国は、一貫して日本の「独立」を求め続けている」という点、「日米構造協議」から「年次改革要望書」に代表される具体的な内政干渉を鑑みると、米国も一枚岩ではなく「適当に泳がせてアガリをせしめるため」に保護国継続を指向する勢力もありそうな気がします(確証はありませんが)。
→日本が属国(保護国)であり続けたいと思っている以上、米国の政府関係者が、宗主国としての立場を利用して、あらゆる分野について、最大限日本から搾り取ろうとするのは当然です。(太田)
<ツシマ>
 コラム#2522(2008.5.2)を読みました。
 <雅子様>離婚か?、それとも・・・。
 私は、東宮の即位辞退と秋篠宮即位、悠仁親王立太子が最良と考えます。いずれは秋篠宮父子が即位されるわけですから、悠仁さまのためにもウィンザー公のように東宮は引退するべきです。東宮はウィンザー公のように一代限りの宮家を創設し、その宮家の御当主として雅子さまと隠遁していただくのが日本のため、皇室のためであると考えます。
<太田>
 だけど、愛子様には、皇位を継がれるかどうかはともかくとして、(雅子様抜きで、そしてできれば新しいお母様の下で)健やかに成長していただきたいのですがね。
<bbkz>
≫ビスマルクが、政治は「可能性の(=政治に係るvisionの実現を図る)」芸術、と言っていることを踏まえれば、≪(コラム#2889。太田)
ですが、ビスマルクが本当に「芸術」と言っているのか、というのがそもそもの疑問である訳です。
 それに対して太田さんは、なぜこのテキストにおいてKunstは「芸術」でなければならないのかという説得力のある説明を一度もされていません。
 (それに対して「私の体験が典拠だ」なんて言われても、意味不明なだけです。)
 言い方を変えれば、まず最初に「Kunstとは常に芸術と置き換えるべきだ」という、太田さんにとっては覆しがたい原理があって、そこから一歩も踏み出ていないわけです。
 しかし、Kunstという単語は、時と場合によって変化するさまざまな概念を含むことはすでに<実際に例を提示しつつ>述べた通りです。
 また、一般的には「政治」は数ある芸術分野のうちの一つとしては見做されることがない、ということも<例を提示して>示しました。
 これらを踏まえると、ビスマルクが「可能性の芸術」という発言を意図したというのことは極めて疑わしいと言えます。
 しかしそれでも「芸術」であるはずだとお考えならば、何か私の知らないことをしっかりと示して頂けるのではないか、と純粋に期待していたのですが。
>ただ、「芸術」については(略)
 私は具体的な例を示すことで「芸術」というものがどういうものかを示そうと努力したのですが、そもそも「芸術」という概念を理解しない方に対しては無駄だったようです。
 (ピアニストを目指しておられたのかもしれませんが、太田さんにとって、ピアニストとは芸術家ではなく、しょせん演奏する「機械」にすぎなかったのでしょう。)
<太田>
 じゃ、端的に申し上げましょう。
 あなたは、「政治は可能性の芸術」というのは誤訳で、「政治は可能性の技術」が正しい日本語訳だと言い張っておられるわけですが、あなた以外にそんなこと言ってる人、1人でもいるの?
 いるのならあげてごらんなさい。(英語訳まで範囲を広げても結構。)
 ハンドルネーム使って、しかも身分も全く明かさないあなたが、1人でいくら珍説を唱えたって、私のような奇特な人間以外、本来、誰もまともに相手になんかしませんよ。
 大体、こんな話にまで何でハンドルネーム使わなきゃいけないんですか。
 もちろん、あなたが、誰の権威も借りずに誤訳であることを自ら証明したら拍手大喝采だけど、できないでしょ。
 いずれにせよ、何で私が誤訳じゃないことを証明しなきゃならないのか、さっぱり分かりませんねえ。
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太田述正コラム#2903(2008.11.9)
<改めて田母神前空幕長更迭について>
→非公開