太田述正コラム#2543(2008.5.12)
<中共のある風刺小説をめぐって>(2008.11.14公開)
1 始めに
 コラム#997で「北京大学の政治学の教官である59歳のJiang Rongが、彼の処女作である風刺小説’Wolf Totem’で示唆しています。この小説は、彼が文化大革命の時に内蒙古に下放されたときの体験を元にしてます。その中でJiangは、内蒙古への漢人の入植と漢文化の流入により、狼が大量に殺され、草原の砂漠化が進行していること、龍をトーテムとしているところの、儒教の影響を色濃く受けている漢人の文化の特徴は専制と権力盲従であるのに対し、狼をトーテムとしているところの遊牧文化の特徴は自由・独立・敬意・不撓不屈・協働・競争であること、を記しています。」と記し、コラム#1560~1562で再びこの小説に触れたところです。
 このたび、英国でこの小説の英訳が出版されたことから、英米で書評が出ています。
 これら書評等をもとに、この小説と著者の紹介をした上で私のコメントを付したいと思います。
 
 (以下、
http://www.nytimes.com/2008/05/04/books/review/Mishra-t.html?pagewanted=print
(5月5日アクセス)、及び、いずれも5月12日にアクセスしたところの、
http://www.iht.com/articles/2007/11/11/asia/prize.php
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/article3552494.ece
http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/jiang-rongs-wolf-totem-the-year-of-the-wolf-768583.html
http://www.latimes.com/features/books/la-et-book24mar24,1,200363,print.story
http://www.newsgd.com/culture/art/200412100074.htm
(以上書評)、
http://en.wikipedia.org/wiki/Wolf_Totem
http://en.wikipedia.org/wiki/Lu_Jiamin
による。)
 なお、邦訳『神なるオオカミ・上 下』が昨年11月、講談社から出ています。
2 小説と著者
 (1)小説と著者
 この小説(原題『狼○(口の中に冬)騰(Wolf Totem)』)の 著者は、姜戎(Jiang Rong)こと呂嘉民(Lu Jiamin。1946年~)です。
 1967年に紅衛兵の一員として内モンゴルに赴き、1978年に北京に戻り、1989年には天安門事件で逮捕され足かけ2年勾留生活を送り、やがて北京大学教授となり、2004年に、内モンゴル時代の体験を踏まえたこの小説を上梓したところ、海賊版を併せ、数百万部が売れたベストセラーになり、2007年にマン・アジア文学賞を受賞し、既に18カ国語に翻訳出版されるに至っています。
 (2)小説のテーマ
 姜戎に言わせれば、狼は、独立と自由を愛する遊牧民たるモンゴル族の愛憎の対象であり、人間や家畜を襲うけれど信仰の対象でもあるのです。
 そして、狼の狩りの戦術は、チンギスハーン率いる13世紀のモンゴル軍に採用され、ユーラシア大陸の過半をモンゴルは征服するのです。
 また、モンゴル族同様、フン族もゲルマン人もアングロサクソンも狼を守り神(トーテム)にしており、勇敢で恐れを知らぬ賢い戦士だ、というのです。(他方、姜戎は、日本人は、降伏せずに花と散るサムライ・ファシストとして貶めます。)
 他方姜戎は、魯迅(Lu Xun)(コラム#234)同様、漢人の民族性に苛立たしさを隠そうとしません。
 かつて自分達も遊牧民であったことを忘れた、農民たる漢人は羊であり、弱く、自己満足的でおとなしく隷属的であり、このような漢人が生み出したのが儒教であり、龍を守り神とする独裁的帝国だというのです。そして、そんな漢人だからこそ、遊牧民であったことを忘れていないところの、戦争好きの狡猾な西欧人の餌食になったというのです。
 漢人よ、もう一度、遊牧民精神を取り戻せ、と姜戎は訴えるのです。
 この小説のもう一つのテーマは、漢人のモンゴル族居住地域への移住に伴う、近代化の名の下で推進された、狼の駆除に象徴されるところの文化の破壊、環境の破壊の糾弾です。
 漢人は、香港を対象とする一国二制度を敷衍した、一国多制度の推進を標榜しているけれど、実際には依然「多地域一制度」を追求している、というのです。
 この小説は、以上の二つのテーマが折り重なって展開されているのです。
 (3)著者の肉声
 「<中共の>政治改革の歩みは遅い。しかし、われわれは随分遠くまで来ることができた。もし私がこの小説を20年前に出版していたなら、それは有毒な雑草として発禁になっていたことだろう。これを進歩と言わずして何だろうか。」(2007年)
 「狼は自由、すなわち民主主義の母、を意味する。ところが、支那では自由は最も厭われてきた。」
 「支那は民主化を推進しないとナチスドイツのようになってしまう懼れがある。」(2005年)
 「自由と普通選挙は、現代の欧米人がその遊牧民たる祖先から受け継いだ推奨されるべき伝統であり慣習だ。」
3 コメント
 筋金入りの共産党員として日本軍と相まみえた両親の子供であるからか、姜戎が日本人を丸で理解していないことや、彼が御多分に洩れず、アングロサクソンと欧州との区別がついていないのは致し方ありますまい。
 私に言わせれば、姜戎は、論理が相当荒っぽいけれど、かつて遊牧民であったことを梃子として、漢人のアングロサクソン(ゲルマン)化を図ろうとしているわけです。
 ですから、ドイツの支那学者クービン(Wolfgang Kubin)が、姜戎はファシストだ、と評したというのは、曲解もいいところです。
 こんな小説が発禁処分を喰らわなかったのは、中共の検閲当局がこれをクービンのように読んだのか、それとも小説だからとお目こぼしをしてくれたのかは分かりませんが、この小説を読んだ大勢の中共国民の多くが、この小説を正しく読み取るかどうかで、支那が自由民主主義の方向に上昇して行くのか、ファシズム体制のまま軍国主義的方向に堕ちて行くのかが決まるのではないでしょうか。
 いずれにせよ、この小説は、中共に言論の自由がないためにやむを得ずに小説の形をとった論文であることからすれば、文学としての質が問われるところの、ノーベル文学賞の対象になるようなことはありえないでしょう。