太田述正コラム#13890(2023.12.4)
<檀上寛『陸海の工作–明朝の興亡』を読む(その1)>(2024.1.3に有料読者に配信、2024.2.29公開)

1 初めに

 今度取り上げるのは、シリーズ 中国の歴史④、として書かれた表記です。
 著者の檀上寛(だんじょうひろし。1950年~)は、京大文(登用し)卒、同大修士、同大博士課程単位取得退学、堺女子短大専任講師、助教授、富山大人文学部助教授、京都女子大文学部助教授、教授、名誉教授。この間、京大博士(文学)で、明代初期の政治史が専門、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E4%B8%8A%E5%AF%9B
という人物です。

2 『陸海の工作–明朝の興亡』を読む

 元の世祖クビライ(在位1260~94)がカアンを唱えて半世紀も経たないうちに、元朝の屋台骨は大きく揺らぎ始めていた。
 官界での権力闘争や官僚の綱紀弛緩、民間での貧富の差の拡大など積年の矛盾が一気に噴き出してきたからである。
 加えて歴代皇帝によるチベット仏教<(注1)>の仏事供養に対する多額の出費と、モンゴル諸王・功臣への無制限な賜与は、国家財政を圧迫した上に重税となって民衆を苦しめた。

 (注1)「クビライは・・・チベット仏教<の>・・・サキャ派の教主パクパ(パスパ)に対し、1260年に「国師」、1269年に「帝師」の称号を授け、元領内の全仏教教団に対する統制権を認めた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83_(%E7%8E%8B%E6%9C%9D)

 それに追い討ちをかけたのが自然災害である。
 13世紀以来の寒冷化現象<(注2)>と気候不順による農業生産の減少で、全国的に食料不足が慢性化した。

 (注2)「小氷期(・・・Little Ice Age, LIA)とは、ほぼ14世紀半ばから19世紀半ばにかけて続いた寒冷な期間のことである。小氷河時代、ミニ氷河期ともいう。この気候の寒冷化により、「中世の温暖期」として知られる温和な時代は終止符を打たれた。・・・
 アイスランドの人口は半分に減少し、グリーンランドのヴァイキング植民地は全滅の憂き目を見た。・・・
 日本においても東日本を中心にたびたび飢饉が発生し、これを原因とする農村での一揆の頻発は幕藩体制を揺るがした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B0%B7%E6%9C%9F

 モンゴル時代に膨張した人口を養うために、無理をして開墾した土地は自然災害に対してあまりに脆弱で、激変した環境に十分に対応できなかった。

⇒元の人口と読み替えますが、それでも、前漢時代の水準を回復していません。
http://taozhugong.web.fc2.com/tzg.chinese.population.transition.html (太田)

 そこにお決まりの役人や地主の搾取も加わり、民衆生活は壊滅的な打撃を受けるにいたる。
 早くも1320年代には天災・飢饉・疫病などが相次ぎ、各地に数万、数十万の飢民・流民が発生した。
 さらに1340年代以降は黄河が連年のように氾濫を繰り返し、周辺の農民に多大な被害をおよぼした。
 こんな不穏な社会情勢の中で、民衆の心をとりこにしたのが白蓮教<(注3)>である。」(2~3)

 (注3)「起源は402年,廬山(ろざん)の慧遠(えおん)がつくった念仏結社の白蓮社にあるが,南宋初期に茅子元(ぼうしげん)〔?-1166〕が,阿弥陀信仰を中心に,平易な教理で白蓮教を創始し民間に浸透した。・・・指導層が半僧半俗の妻帯者であったところに特色があり,また・・・酒を断<ち、>・・・菜食主義を奉じたところから白蓮菜とも呼ばれた。茅子元は,また,仏教教理を〈普・覚・妙・道〉の4字に要約して信者を指導した。白蓮宗は<南宋の初代皇帝>高宗の時代(1127‐62)に厚遇を受け民間に浸透した<。>・・・のち税役を避ける貧民が入信したりして,邪教的色彩を濃くし<、>・・・弾圧された。・・・白蓮教は・・・、元末ころから弥勒仏の下生(げしょう)によってこの世に繁栄がもたらされるという弥勒教と融合し、弥勒信仰を中核とする教団へと変化した。・・・教徒は,大小多くの反乱を起こし,特に,元末の紅巾の乱,清中期の嘉慶朝の乱(1796年―1804年)は大規模であった。」
https://kotobank.jp/word/%E7%99%BD%E8%93%AE%E6%95%99-120986

⇒白蓮教の猛威は、日本の室町時代末期~安土桃山時代における、阿弥陀信仰の一向宗(浄土真宗)の猛威と好(悪?)一対ですね。(太田)

(続く)