太田述正コラム#14048(2024.2.22)
<岡本隆司『物語 江南の歴史–もうひとつの中国史』を読む(その6)>(2024.5.19公開)

 「まずタテのほうをみよう。
 その顕著な現象は、豪族・名族の台頭だった。
 それまでの地域社会は、階級・身分に格差の少ない構成員が、自治的に営んで秩序を維持したコミュニティが一般的で、漢王朝の政権がこの個別把握に成功していたことが、すぐれた統治のゆえんである。
 ところが、すでにキリスト紀元開始の前後あたりの時期から、地域社会は一部の有力豪族が主導するようになってきた。
 豪族とは漢王朝が実現した平和を享受し、在地で勢力を伸ばした血縁地縁集団の謂(いい)である。

⇒「血縁地縁集団」、とはすなわち、私がかねてから言ってきたところの、「一族郎党」、です。
 ちなみに、陳鳳(注11)は、京都女子大提出博士論文の中で、「中国の人々の社会結合において、血縁集団・・宗族・・と地縁集団・・社・・はきわめて重要な意味をもつのは周知のとおりである。というのは、農村社会を統治するにあたって中国史上の各王朝政権は、行政組織を村に設置することはなく、旧中国農村社会の基層構造をなしたのは血縁集団と地縁集団だったからである。このような伝統的集団が、人々の社会関係を結びつける紐帯であり、村落を運営する上で力を発揮し、それが郷村自治に多大な影響を与えていた。」
http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/2291/1/0140_010_005.pdf
としているところです。(太田)

 (注11)1962年~。中共生まれ。京都女子大博士(現代社会)。神戸学院大、関西外大非常勤講師。
https://www.hmv.co.jp/artist_%E9%99%B3%E9%B3%B3_000000000725100/biography/

 かれらは自らの私有地を拡げたばかりでなく、その地域一円に影響力を拡大しはじめ、必ずしも政権に従順ではなくなってきた。」(49)

⇒私の仮説は、「農村社会を統治するにあたって中国史上の各王朝政権<が>、行政組織を村に設置すること<が>な<かった>」のは、軍事の等閑視に起因する退行現象であった、というものです。
 というのも、「秦帝国の領土管理の一つは、人民の移動を厳しく制限するために関津・亭・駅で民のパスポートや携帯品の記載書類を検査することである。」
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiZ0L2I74mEAxUyi68BHWSaAjwQFnoECA4QAQ&url=https%3A%2F%2Fpetit.lib.yamaguchi-u.ac.jp%2F29272%2Ffiles%2F166636&usg=AOvVaw3FZrFQfAGN0EcDmcBulSV1&opi=89978449
から分かるように、秦帝国、ということは、その前身の秦、更には、多かれ少なかれ、戦国時代の主要諸国、においては、人民一人一人の中央政府による掌握がなされていた、つまりは、中央政府の統治が末端まで貫徹していた、と解すことができそうだからです。(太田)

(続く)