太田述正コラム#3048(2009.1.21)
<オバマの就任演説>(2009.3.5公開)
1 始めに
 日本時間21日2時からのオバマの大統領就任式の視聴率が関東圏で1割だったとTV番組で聞きましたが、いつの間に日本でこんなにオバマ人気が高まったのでしょうかね。
 今回は、オバマの就任演説
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/obama_inauguration/7840646.stm
(1月21日アクセス。以下同じ)をとりあげます。
2 オバマの就任演説の米英主要メディアに掲載された評価
 「<A:オバマの演説は、>短編物語(short story)というより小説(novel)だ。詩(poem)というより素朴な民話詩(ballad)だ。・・・
 <B:>彼は我々の初の(言葉の最も良い意味における)貴族的大統領だ・・・。ブッシュは相棒(buddy)だったしクリントンは親切な叔父さん(kindly uncle)だったがオバマは王子様(prince)だ・・・
 <C:>何という勇気だろうか。百万人もの人々に語りかけるのに複雑な文章を用いたのだから。我々が最大の努力を行うことを期待した彼は、それを与えられるかもしれない。
 <D:この演説は、>これまでの人類史上のすべての就任演説の中で、最も高尚にして複雑な(sophisticated)世界観とその世界の中における我々の役割とを述べたものだ。
 <E:>これまでのオバマの演説は、往々にして聴くだけで十分だった。しかし今回の演説は違う。この就任演説は我々によって読まれなければならない。それが、我々がまだ米国という国の物語の途中にいてその物語はまだまだ終わりそうにない、という確信に根ざしており、明確にして決意が漲っていることが私の心をうつ。・・・
 <F:>一番印象的であった言葉は、<オバマが多用した>「我々」だ。「私」が使われていないことで、我々一人一人が、それぞれ何事かをなす力と責任があることを痛切に自覚させてくれる。・・・
 <G:>私は、彼が修辞的装飾を用いることなく、洗練され、かつその力を抑制的に発揮する演説を行ったことで、洗練されかつ政治的な言語が、その最も偉大なる価値を回復したこと、すなわち、演説者が何が言いたいかを的確に言い表すに至ったこと、がうれしい。
 <H:>この演説は、見事なまでに調節(modulate)されており、オバマの本当の感情(passions)を極力顕にすることなくして、彼の重みある人格(gravitas)を完璧なまでに開示せしめた。そのおかげで我々は、愛国的祝福や呪文を唱えるのは止めて、ブッシュ時代に難破した残骸の生存者達の救助を始めることができるかもしれない。
 <I:>「精緻でかつ大言壮語の演説文起草者的言語<がなく、その代わりに>簡潔な(tight)言葉、短い文章、そして力強いイメージ<がある演説だった。>・・・
 <J:>我々は、オバマが何か違った存在へ、我々が完全には分からない存在へと変身しつつあるのを目撃していることを知っている。<それがいかなる存在であるかを>小さい声でいいから彼が教えてくれることを我々は願っている。彼の<持つに至った>力は何を意味しているのかを。・・・」
http://www.latimes.com/news/politics/inauguration/la-na-inaug-literati21-2009jan21,0,6787104,print.story
 「・・・<オバマが語ったの>は、我々を安心させ、支えてくれるところの、大統領選挙期間中の「イエス・ウィー・キャン」ではなかった。それは、理性に訴えるところの(harder-headed)「イエス・ウィー・ウィル・・だけどそれは容易じゃない」だった。・・・
 これは基本的な政治戦略であるとも言える。オバマの補佐官達は、彼は、みんなの期待が非現実的なまでに高まっていることを知っており、<米国>経済の回復が簡単ではなく時間もかかることを有権者達に確実に分からせようとしている、というのだ。・・・」
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-mcmanus21-2009jan21,0,3434554,print.story
 「・・・オバマの「貧しい国の人々へ」という言葉は感動的だった。そして、「腐敗とウソを通じて権力にしがみつき反対意見を封殺している者達」を咎めた言葉は厳しいものだった。
 世界はこの大統領に対し、通常の大統領に対するよりもずっと注意深く、かつずっと敬意を払って耳を傾けることだろう。これからの4年の間に、これらのオバマの言葉が若干なりとも行動によって裏付けられるであろうことを期待しようではないか。
 この演説がややもの足らなかった人に対しては、こう説明しよう。
 大統領選挙の過程で私や私の知っているほかの政治評論屋達がオバマがドジったんじゃないかと思ったことが何度もあった。
 しかし、一週間か一ヶ月後には、我々はいつも、結局のところオバマが正しかったんじゃないかと思うようになったものだ。
 多分オバマは、今は詩は棚にしまって、ねじりはちまきで仕事をすべきだ、と思ったんじゃないか。・・・」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/michaeltomasky/2009/jan/20/obama-inauguration-speech
 「・・・彼はテーマの一つを、目立たない形で、米国人達は問題を抱えているだけではなく米国人達自身が問題である、と提示した。
 「今や、子供っぽいことは止めるべき時が来た」と。
 子供っぽいこととは、さしずめ、借金漬け(overleveraged)の家計、及び、家計から自分達が<納税によって>負担する用意のあるところのものよりもはるかに多くの財・サービスの提供を執拗に求められてきた政府、とをもたらしたところの途方もない規律の欠如を意味しているのだろう。・・・」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/01/20/AR2009012002612_pf.html
 「・・・私のカンは、リンカーンの場合と同様、オバマの<4年後の>2回目の就任演説は1回目のよりできのよいものになるだろうというものだ。
 彼が<今回の演説で>用いた文言のいくつかは素晴らしかった。口調もよかったし、自信に満ちてもいた。しかし、<大統領選挙に勝利した時のシカゴの>グランド・パークでの演説や彼の<4年前の>民主党大会での演説(や、例えば昨年の人種問題についての演説)の水準には達しなかった。・・・
 <ある者は、>「彼は自分の職責の厳しさに粛然たる気持ち(buckled down)でいるように見える。彼は歯を食いしばっている(braced)のだ。彼はお祝いに浮かれることを自らに禁じようとしている」と語った。・・・
 <もう一人の者は、>「・・・この演説は時が経つにつれて輝きを増して行くだろう。そしていつしか、これは決定的に大きな変化の前奏であったとみなされるようになることだろう」と語った。」
http://blog.washingtonpost.com/achenblog/
 「希望(hope)と団結(unity)という二つの言葉は、<今回の演説における>彼の政治的修辞の一貫した基調だった。
 この二つの言葉は、その希望を彼に強く託したところの、不安に戦く米国民と彼が相まみえるという最高に厳しい試練において試されることになろう。
 またオバマは、この厳粛な就任式において、お返しに米国民に重責を負わせることにあい努めた。「政府が何ができ何をなさねばならないかは、究極的にはこの国が依存しているところの米国の人々の信条と決意次第で決まるのだ」とオバマは語ったのだ。
 「求められているのは、勤勉さと誠実さ、勇気と公正さ、寛容と好奇心、忠誠と愛国心だ」と彼は語った。すなわち、古からの徳と価値への回帰だ。・・・
 安全保障に関しては、オバマはブッシュの、テロの脅威により、プライバシーと人権の幾ばくかが犠牲に供される必要が生じたという主張を否定した。
 「安全と人権のどちらかを選択しなければならないという観念は誤りであり、我々はこのような観念を否定する。<中略>これらの理想は、依然として世界を照らしているのであり、我々は便宜的な理由でこれらの理想を放棄することがあってはならない」と。・・・」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/01/20/AR2009012002299_pf.html
3 感想
 オバマは、就任したばかりで、その意に反して既に伝説になってしまったという感がありますね。
 やはり私も就任式を実況で見るべきだったか。