太田述正コラム#2796(2008.9.17)
<ナチスの占領地統治(その3)>(2009.3.16公開)
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(脚注1)東方と西方の占領統治の違い
 以上は、ナチスによる東方占領統治の話であり、西方占領統治は様相が全く異なる。
 ナチスは「新秩序」をつくると言っていたが、これだけとっても秩序もへったくれもなかった。
 西方だけとっても、フランス一国に対しても、ヴィシー政権擁立といった飴の政策をとった一方で、虐殺といった笞の政策をとったが、東方全体と西方全体とでは政策の違いは決定的なものがあった。東方のスラブ人は「人間以下(sub-humans)」とみなし、まさにそのように扱ったのに対し、西方では、暴力は余り用いられず、既存の統治システムや役人達に依存した形の統治を行った。
 実際、デンマークの占領統治など慈悲深いとさえ形容できるものだった。
 また、例えばジャン・コクトー(Jean Cocteau。1889~1963年。フランスの前衛芸術家)は、パリで1941年に新しい劇を上演しようとした時、その上演に反対するヴィシー政権の方針を変更させるのにドイツ人の役人達の力を借り、その挙げ句、ある晩、フランス人ファシスト達の襲撃を受けたくらいだ。本の検閲だってフランスの当局よりドイツ人達の方が物わかりが良かった。
(脚注2)英国の帝国統治との違い
 
 ナチスは英国の帝国を尊敬のまなざしで見ていた。
 しかし、英国は支配下の人々が究極的には政治的権利を回復することを約束していたのに対し、ナチスは恒久的な帝国樹立を目指していた。
 ただし、英国だって、アフリカと太平洋の野蛮人(savages)については、無限定の未来まで支配下に置き続けようと思っていたし、オーストラリアへの初期の植民者達は、アボリジニを「人間以下」と見ていた点でナチスのスラブ人観と余り変わらなかった。
 もう一点、ナチスと英国とでは腐敗の程度が違っていた。
 ポーランドの地下運動の資料は、「ドイツ人の腐敗は言語に絶するものがある。カネを出せば、外国人旅券がもらえるし、徴用を免除されるし、ユダヤ人であることを示す腕章着用さえ免除される」と記している。
 こんなことは大英帝国では考えられないことだった。
(脚注3)米国の西漸との類似性
 ヒットラーは、ポーランド、ベラルス、ウクライナ、及び西部ロシアで、5,000万人のスラブ人とユダヤ人を殺害するか域外に追放した上で、そこに帝国を形成することを夢見ていた。
 ヒットラーの念頭にあったのは北米のインディアンに対して北米の植民者達がやったことだった。
 遅ればせながら、米国も自国史におけるこの恥部を直視しつつある。
 
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3 総括
 このように見てくると、ナチスの行ったユダヤ人に対するホロコーストは、ナチスの意図していた原住民根絶やし構想のほんの一部が「実現」しただけのものでしかないことが分かります。
 本当は、ユダヤ人よりはるかに大勢のスラブ人だって根絶やしにするつもりであったけれど、戦争遂行上、彼らを徴用労働力として使用せざるを得ない羽目に陥ったため、根絶やしにできなかったということなのです。
 結局のところ、ナチスの帝国主義には、英国や他の欧州諸国、そして日本の帝国主義とは違って、支配下におさめた人々の経済的発展とか、これらの人々との共存共栄を図る、という発想が欠けていたのです。
 当時既に帝国主義そのものが経済的には引き合わないから植民地は手放した方がよいという考え方すら、英国や他の欧州諸国、そして日本では出てきていたことからすれば、ナチスは二回りほど時代から遅れていたことになります。
 それにしても、ナチスは何と愚かであったことでしょうか。
 ヒットラー自身は、ソ連の指導層とユダヤ人とを同一視していたのですが、例えば、ウクライナ人やベラルス人、そしてポーランド人を根絶やしにしようとなどと考えず、彼らをソ連とユダヤ人に対する欧州の十字軍に糾合する、といった発想をどうして持たなかったのでしょうか。
 ヒットラーにしてもヒムラーにしても、戦争遂行のために、本来両立しえないところの、支配下の人々を根絶やしにすることと搾取することとを追求することとなり、「労働を通じた絶滅」と「帝国形成による純粋民族の形成」という苦し紛れの弁証法的「解決」をひねり出したところ、こんなものは何の解決にもならなかったわけです。
 もう一つ、首をひねらざるをえないのは、18歳から40歳までを中心とした当時の一般のドイツ人男性達が、このようなナチスの愚行であるところの、支配下の人々の根絶やし政策を唯々諾々と遂行したことです。
 これらのドイツ人達が、数年を経て、欧州の模範的市民へと一変し、現在に至っていることを考えると、なおさら不思議ですね。
4 終わりに
 私はファシズムの極限形態であるナチズムを、欧州文明の歴史の最悪な形での総括であると見ています。
 また、私は現在もなお、欧州諸国はナチズムを完全には克服していないと考えています。
 イスラム教徒やジプシー等に対する根強い差別や迫害をいまでも欧州諸国において見出すことができることがその証左です。
 そして、ホロコースト否定論を違法視し、迫害することに血道はあげても、英国人のマゾワーのように、ナチスのおぞましさを詳細かつ客観的に論述する歴史家が欧州諸国からはほとんど出ていないことが、もう一つの証左です。
(完)