太田述正コラム#3241(2009.4.28)
<皆さんとディスカッション(続x470)>
<一読者>
 拝啓 太田主宰者様
 
 太田様に一言苦言を呈します。
 一つ目は、貴方の最近のブログ内容には、時にロンドンかぶれの内容であったり、また時には下ネタであったりしますが、口癖(?)で典拠典拠と執拗に繰り返しています。
 しかし、読者には読者の考えや意見があり、全てに典拠が必要とはいえません。
→例えば、あなたが「ロンドンかぶれの内容」とか「下ネタ」とかおっしゃっても、私のコラム#すら挙げておられないのでは、読者にとって全く参考にはなりません。
 だから、(体験を含む)典拠をできるだけ添付する形で「考えや意見」を投稿していただきたい、とお願いしているのです。私以外は、ほとんど全員匿名である以上は、なおさらそうです。(太田)
 二つ目は、民主党の銭ゲバ小沢代表や日本の国境を取り払う様な亡国発言を繰り返すアホの鳩山幹事長を揶揄するのは当然の事であるとしても、恐れ多くもなどと言っては時代錯誤の謗りを免れないが、麻生総理大臣が、元総理の故・吉田茂の孫で地方の名門の出で資産家であっても、現代では出自が人格の良し悪しを表す訳ではなく、それがどうした程度のことでしかない。
→典拠が付いていないこともさることながら、要するに自民党の政治家と民主党の政治家とでは、異なった判断基準を適用されている、という感じを持ちます。(太田)
 しかし、仮にも(≒現実で適当ではないが)現・総理大臣に対して、「ナルシスト的人格障害」があるなどと言うべきではありません。
→公人中の公人である総理大臣が、あらゆる疑問、批判を甘受するのは、自由民主主義社会においては、当然のことです。(太田)
 そこで、太田様にお尋ねする。
・自国の総理大臣を貶めて何が面白いのですか?
→総理大臣の器ではない人物が総理大臣になっていることほど、日本にとって困ったことはありません。私が麻生太郎を貶めていると思われるのなら、(典拠を示しつつ、)具体的に私に対して反論されるべきでしょう。(太田)
・貴方は媚中韓の輩と同類ですか?
→「媚中韓」の定義すらお示しになっていないので、答えようがありませんが、私の対中、対韓姿勢のどこが不適切なのか、具体的なご指摘があってしかるべきでしょう。(太田)
・それでも元・自衛隊の幹部職員ですか?
→「元・自衛隊の幹部職員」でも、現在は天下の素浪人です。私が何のしがらみにもとらわれないで自由に発言するのがお気に召しませんか?(太田)
・実践(実戦ではない)で戦闘訓練をしたことがあるのですか?
→戦史類を読んだり拳銃を何発か撃ったことはありますが、通常の軍人が行うような戦闘訓練をやったことはありません。それがどうかしましたか? オバマは軍歴がありませんが、米軍の最高指揮官になってますよね。(太田)
 貴方のご返答如何では、国防を語る資格がないのではと考えます。
→貴方は、「国防を語る資格」について語る資格はあるのですか?(太田)
 ご返答いただけますでしょうか?
→以上、簡単ながら、ご返答をいたしました。(太田)
<日本橋ではたらく社長>(http://boss.allfine.jp/2009/04/21/%E6%AC%A1%E6%9C%9F%E4%B8%BB%E5%8A%9B%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9Ffx/
 日経新聞夕刊の記事に、ゲーツアメリカ国防長官は、最新鋭戦闘機 「F22」 の新規発注を停止する方針と発表。
 F22は、アメリカ ロッキード・マーチンが開発し、世界最高水準の敵のレーダーに探知されにくいステルス機能が特徴。一機の値段が ナニュュュュ(*`ロ´*ノ)ノ 1億4000万ドル(日本円に換算すると、Σ(・ω・;)ナヌッ138億6000万円) スンゲェ──―Σ(゚∀゚ノ)ノ─―─ッ! 
 軍事産業って驚き┣¨┣¨┣¨┣¨(゚Д゚;)┣¨┣¨┣¨┣¨だネッ(oゝД・)b 
「アメリカとの関係を重視する日本政府はF35の完成を待ってFXを決めるだろう」と、太田述正氏は予想しています。
 このF35って一機の値段はいくらなの?  もっと、お金の使い道が有るんじゃないかと思ってしまうのは私だけでしょうか!?
<太田>
 日本は、F22のライセンス生産を考えていたので、調達額は、1機あたり、その2倍になったかもしれませんよ。
 F35のお値段は、まだ分からないのではないでしょうか。
<植田信>(2009.4.27)(http://8706.teacup.com/uedam/bbs
 官僚主権の話題です。
 ここ数年で、官僚出身者や、政治家による官僚主権の実態ぶりが数多く報告されるようになってきました。
 作家の立場からこの問題と格闘している猪瀬直樹氏によると、こうです。
 「天皇主権でもない主権在民でもない官僚主権が続いているという意味では戦前も戦後も連続している、その視点が歴史意識である。」『空気と戦争』文春新書P.166
 猪瀬氏によると、戦前も戦後も、日本は1945年前後の大変化があったにもかかわらず、ずっと同じ、ということです。官僚主権の点で。・・・
 官僚主権が明治から始まった、なんてことはないでしょう。
 明治政府は幕末の「大政奉還」によって成立した権力機構です。
 そこでこの「大政奉還」の意味をよく考えてみましょう。
 これによると、・・・日本国の官僚による統治権は、江戸幕府よりも古い、ということになります。
 その通り。
 法制度としての官僚主権の起源は、大宝律令です。702年です。すなわち、不比等戦略です。(天皇は権威だけの存在で、権力は太政官という官僚にある、というのが不比等が作った「大宝律令」です。)
 長い歴史があります。
 これを戦後の60年ばかりで選挙政治家主導に転換できると考えている人は、よっぽどのお人好よしです。
 で、私は、その一人です。
 お人好しなので、まあ、とにかくいつかそうなると考えているのですが、そのためには、やはり、準備が必要です。
 いかなる準備か。
 現実の事態を分析していくことです。
<太田>
 植田不比等論の簡単な批判を、ちょっと以前に(コラム#3207で)やらせていただいたところです。
 私は、日本が役人専制国家であったことは一度もないと考えています。
<植田信>
 また猪瀬氏の体験からです。
 「厚生労働省の官僚は、えんえん繰り返して、深まっていかない。
 日本は法治国家なのだから、法律にのっとって地方自治を行う必要がある。しかし法律そのものより、政令・省令が定める具体的な〈基準〉が、地方自治体を集権的にコントロールしている。
 例を挙げればきりがないが、たとえば公営住宅でも〈一戸の床面積は19~80平方メートル〉〈家賃は入居者の収入、住宅の立地条件、規模、経過年数などに応じて国の基準で算定〉という具合に、細かい基準が規定されている。
 中央官庁は、このような画一的な基準をつくり、地方自治体にそれらを遵守するよう義務づける。従わなければ、補助金を受け取ることはできない。」『霞が関解体戦争』P.73
 私たちが分析する必要があるのは、ここに出てくる政令・省令とは何か、です。
 この問題は、金子仁洋氏が『政官攻防史』で解明しています。
 で、その起源をたどれば、つまりは不比等戦略になるわけですが、このへんは今は省略することにして、最近、私に疑問になったのは、はたして官僚たちは権力が欲しくて霞が関に執着しているのか、そうでなければ何か、です。
 太田述正氏によれば、官僚村は、いまや、生活互助組織になっている、ということです。自分の生活を維持するために権力を維持・保持するのみ、と。
 ということは、官僚たちは生涯年収に不満があるのか、ということになります。
 要するに、仕事に見合った収入が得られないので、「天下る」しかない、と。
 そうすると、官僚主権の問題の対策には、まずもって、定年後の官僚の皆さんの生活安定を考えてあげるのが最短ではないか、と思えますが、どうでしょうか。
 退職後の生活に不安がなければ、官僚たちは、毎年毎年、はたしてその優秀な知能をいかにして「天下るか」という一点に集中するか、と。
 こういう公式を作ったらどうでしょうか。
 「官僚の天下り量は、官僚の生涯収入(その想定欠如金額)に比例する」
<太田>
>官僚たちは生涯年収に不満がある・・・要するに、仕事に見合った収入が得られないので、「天下る」しかない・・・ということになります。
 もっと単純な話です。
 天下りシステムがあって、国民も、従ってまた政治家もそれを問題視してこなかった。
 よってそれが既得権益化した、ということに過ぎません。
<植田信>(2009.4.28)(同上)
 ・・・明治時代に、誰が官僚を民の上に置いたのか、です。
 山形有朋でした。
 警察官僚だった金子仁洋氏が言います、
 「山県は廟堂を聖域と考え、滅多な人間を入れるべきではない、と考えていた。選挙によって選ばれた政党人より、試験に合格した官僚が国を統治すればいい、と考えたのだ。幸い試験を通った高等文官が順調に育っている。山県はその第二次内閣に、星亨以外の人物を入れることを拒んだが、それは、こういう〈官〉の成長した姿を制度化して将来の禍根を断つつもりでいたからである。」『政官攻防史』文春新書P.76
 山県は国民主権などという思想には無縁な人でした。
 彼が生まれたのは天保年間。1830年代です。
 そして死ぬまで、一般の日本人を蔑視していました。つまり、国民に主権があるという発想を、彼が身につける機会は一度もありませんでした。
 こういう人が作った政体が、2009年の日本を動かしています。・・・
<太田>
 山県有朋の評価については、おっしゃるとおりでしょう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090417/192315/?top
 にもかかわらず、大正デモクラシーが成立し、日本で政党政治(=自由民主主義)が花開いたのですよ。
 山県を始めとする、大日本帝国憲法擁護派は、大日本帝国憲法無視派(=大日本帝国憲法規範性否定論)に敗れ、現在に至っているのです。(日本国憲法は大日本帝国憲法を「改正」してつくられたものです。)  
<植田信>(同上)
 昨晩、仮に自分が、若き日にキャリア官僚になっていたとしたら、私もやがてオールド・システムを擁護する側に回っただろうか、と思考実験してみました。
 もしそうなったら、どちらにころんだか、自分でもわからないなあ、と思っていたところに、太田述正氏の『防衛庁再生宣言』が届きました。
 きょうになってざっと拝見したところ、非常に面白い内容でした。
<太田>
 もう出版社等に在庫はないはずですから、古本をご購入されたのでしょうか。
 私に申し込まれれば、1000円+宅急便受取人払いで入手できましたのに。
<植田信>(同上)
 で、ふと思ったところ、太田氏は現実に官僚になり、30年間、官僚生活を過ごしました。
 太田氏の場合は思考実験は必要ではありません。現実体験でした。
 そこで、彼はその体験を通して、どのような立場に回ったか。
 オールド・システムを擁護する側か、否(ノー)か。
 ノー、でした。
 なぜか、というか、その理由が『宣言』に綴られているわけですが、結局、キャリア官僚の体験のない私と同じ立場になったわけです。
 なるほど、官僚のすべてがすべて、官僚身分に甘んじることをよしするわけではないようです。
 で、『宣言』を拝見して、これまで私が覚えた太田氏の発想に出てくる疑問の幾つかが、解決してきました。
 といっても、なぜ太田氏がそのように考えるのか、という意味での解決です。
 たとえば、太田氏は、日本国は民主主義の国である、と述べていますが、私は、不比等戦略によって構成された律令システムの国だと見なしています。
 どう違うか。
 といえば、なぜ、今、官僚主権なのか、です。「官僚主権」を問題視する人たちがいること自体が、今の日本が民主主義ではない証拠です。
 もちろん、建前は、日本はデモクラシー国家です。
 明治時代にしてそうでした。
 民主国家でなければ、不平等条約を改正できませんでした。
 しかして、その実態はどうかといえば、山県有朋が民主主義者だったか。
 といえば、とんでもない、ノー、でした。
<太田>
 既に、簡単にお答えしました。 
<植田信>(同上)
 この話は今は置くとして、非常に共感できる個所がありました。
 日本軍の失敗の本質は何か、です。いや、敗戦の本質は何か、です。
 太田氏の説が見事です。
 「筆者は、敗戦時に日本国民が肌で感じていたように、旧日本軍は米軍との圧倒的な物量差、より正確にはその物量を支える米国の経済力と科学技術力、に敗けるべくして敗けただけだと単純に考えている。旧軍は、拙劣どころか、絶望的な条件の下で、降伏までの三年八か月の間、最善を尽くして戦ったとさえ思う。
 より重要なのは、なぜ日本が負けるに決まっている戦いを米国に挑む羽目になったのかである。」『防衛庁再生宣言』日本評論社P.201
 この単純な答えが、実に共感できます。
 GDPが10倍もの相手に戦争を挑むのだから、日本柔道ではあるまいし、ハンデを克服するのが大和魂とはいかないでしょう。相手は自然理性軍です。
 その中で、山本七平氏が体験したような「パシー海峡」が発生したわけです。
 絶望的な状況を具体化した出来事でした。
 そこで、なぜ日本はアメリカと絶望的な戦争に入ったか。
 ここでも、私は超単純な解答に共感します。
 カルル・ウォルレン氏の解答です。
 「ダグラス・マッカーサー将軍と日本占領改革チームは1945年に日本に到着したが、一般には強固な独裁制の残滓と広く信じられていた諸制度を解体しようというのがその目的だった。日本に自殺的な攻撃をもくろませた元凶は強力なリーダーシップの欠如だったのかも知れないとは、当時の誰にも思い及ばなかったことだった。」『中央公論』1987 P.57
 そう、要するに、止めることができる人がいなかったわけです。
 昭和天皇その人でさえも。
 天皇は、そんなことをしたら、自分は押し込められるか、別の人が立てられただろう、と戦後になって述べています。
 そこで天皇は、軍部を抑えてくれることを期待して東条英機を首相に指名したわけでした。
 結果は、史実の通り。
 超単純な理由で、日本は対米戦争に入りました。
 だれも止める人がいなかった、と。
<太田>
 ここは、私の見解と全く違います。
 絶対に負けるにもかかわらず、対米開戦しなければならないほど、有色人種差別国家であった当時の米国の対東アジア政策が、当時の日本に比べて相対的に、著しく愚劣で理不尽であったということです。
 これについては、お時間があれば、関連の私の過去コラムをお読みいただきたいところです。
<植田信>(同上)
 太田氏が防衛庁をみずから辞職されたのは、2001年のことでした。
 あらためて思うに、今の日本にこのような人物がいたことに、私は驚くとともに、敬意を覚えます。
 戦後の、太田氏の言葉では「吉田ドクトリン」はすべての日本人を腐らせたわけではなかったようです。
 で、『宣言』を拝見して、3点。
1 「小泉新政権の登場に喝采を送っている人々に言いたい。既得権の擁護によって集票し、当選してきている議員が大部分を占める自民党に〈構造改革〉ができるはずがない。そもそも、私に言わせれば、〈構造改革〉の際たるものは、吉田ドクトリンの打破による国の自立である。
 憲法改正を党綱領に謳い、党是として追求することになっているのが自民党のはずだが、この党是の実現を半世紀にもわたって先送りしてきたのも自民党なのだ。半世紀も改革をさぼってきた党が、にわかに真面目に改革に取り組めるわけがない。イメージチェンジにだまされてはなるまい。」『防衛庁再生宣言』P.60
 2001年の太田氏の発言です。
 当時、小泉純一郎氏が首相になって登場したばかりでした。
 で、小泉氏のいう構造改革とは、郵政民営化であり、道路公団の民営化であり、「民でできるものは民へ」でした。
 したがって、自衛隊・国家安全保障問題も民でできるものであれば、小泉氏もそのようにいずれ声を張り上げたことでしょう。
 私は、構造改革には2つあると思っています。
 ひとつは、太田氏が言う「対米従属」構造を変えるという意味での改革。
 もう一つが、小泉構造改革です。
 これを一緒にすると、太田氏のような小泉批判になってしまいます。
 では、なぜ自民党議員である小泉氏が、自民党にいながら構造改革を唱えたか。
 これは、誰しも頭をひねるところです。
 できるばずがないではないか、と。普通は、小沢一郎のように自民党を離脱して、外から改革を目指すべきものだろう、と。
 答えはこうです。
 自民党議員にも2種類いる、と。
 族議員と、比較的族的ではない議員。
 小泉氏も、しばしば「大蔵省の族議員」と指摘されました。私は、もしそうなら財投改革を意味する郵政民営化を推進することはなかっただろう、と思います。
 自民党に終りが来ないのは、小泉氏のように、内側から自民党に反旗を翻す議員がでてくるためです。
 すべて丸ごと族議員で一色の政党になってくれれれば、わかりやすいのですが。
<太田>
 大蔵省(=財務省/金融庁)の悲願は、財政再建による、財政規律の回復です。
 国債発行を大幅に圧縮して財源を稀少化しないと、財源配分を司る大蔵官僚が権力を恣にふるうことができないからです。
 もう一つは、宗主国米国からの、国益を踏まえた属国日本改造要求です。
 これも、大蔵省が束ねて各省庁につないだ、と見ることができます。(内閣内政審議室(当時)の室長は、歴代大蔵官僚です。)
 このような大蔵省の掌の上で踊ったという意味で、小泉は「大蔵省の族議員」の最たるものなのです。
 では、どうして大蔵省/小泉の言うことに、面従腹背の者も含め、大部分の自民党議員が従ったのか。
 政官業癒着構造における、「業」の没落業種から興隆業種への切り替えが必要だという認識が、多かれ少なかれ、大部分の自民党議員にあったからです。
<植田信>(同上)
 2 シビリアン・コントロール。
 太田氏が解説する「シビリアン・コントロール」問題は非常に面白いです。
 特に17世紀のイギリスの事例がそうです。
 「17世紀当時の英海軍および生成途上にあった常備陸軍は、英国王の統制下にあったが、〈シビリアンコントロール〉とは、議会の反国王勢力が、国王の力を削ぐために議会による常備軍の統制を唱えた時に生まれた言葉である。(そして、清教徒革命にいたる内戦の過程で、従来の傭兵中心の常備軍ではない、国民軍としての常備軍(New Model Army
)が議会側のクロムウェルの手で創設されることになる)。
 しかし、この言葉は、名誉革命を経て、議会の国王に対する優位が確立すると、もはや用ずみとなり、次第に用いられなくなっていった。(もっとも、常備軍ー西欧諸国における専制と等値されたーそのものへの警戒心はその後も保持された)。」前掲P.152
 これを見るに、シビリアンコントロールがいかなる概念だったのか、よくわかります。
 専制君主たる国王が自分の権力を行使するために保持する国王常備軍を、議会がコントロールすることです。
 してみれば、戦後の日本人が「シビリアンコントロール」にこだわることには、大きな理由があります。そして、当然のことです。
 つまり、戦前の日本軍は、皇軍でした。
 議会では管理できない軍隊、ということです。
 たとえば、その実例に山県有朋がつくった「軍部大臣現役武官制」というのがありました。陸軍・海軍大臣は、退役者はなれなく、現役の軍人に限る、という決まりです。こうして山県有朋は内閣を支配しました。
 戦後の日本人は、皇軍ではなく、国民主権軍の創設を要請されています。
 これができるかどうかーそれが、軍事面における対米従属が終わるかどうか、です。
<太田>
 拙著では、「シビリアンコントロール」概念を放擲すべきだと説いたつもりですし、「軍部大臣現役武官制」の評価についても植田さんと認識を異にします。
 ただし、ここではこれ以上立ち入りません。
<植田信>(同上)
 3 太田氏が吉田茂の過ちを5点、指摘しています。
 その最大のものが、吉田茂がマッカーサーによる再軍備の要求を徹底して拒否しなかったことです。
 「吉田の第5の、そして最大の過ちは、再軍備を拒否したことではなく、再軍備の拒否に徹しなかったことである。米国が〈不真面目な日本など守ってやるものか〉と逆上しないよう、最低限の実力組織を整備・維持し、再軍備に着手したフリをする、という姑息なことを2度にわたって行い、これを先例化させたのが吉田なのである。・・
 何ゆえに吉田が確信犯的にこのような過ちを繰り返したのかについては、戦前から戦後に至る吉田の全軌跡を踏まえて論じる必要がある。ここでは、経済復興を優先するためだったという通念だけは否定しておきたい。」前掲P.222
 ペリー・グッド。
 その通り。
<太田>
 いずれにせよ、私の旧著を精読していただいたことに対し、感謝申し上げます。
 
<大>
≫音楽音痴のアングロサクソン≪(コラム#3239。太田)
 あー、なるほど!(笑)
 そう考えるとつじつまが合いますね。
 勉強になります。
<太田>
 イギリスのある学校のHPに載ってた以下は、イギリス人自身の平均的な見方を現していると思います。
 ・・・Britain is more famous for pop music than it is for classical composers or jazz musicians. Names such as The Beatles, the Rolling Stones, Led Zeppelin, Pink Floyd, Elton John, George Michael and The Spice Girls are known world wide but little do people know of our other musicians not in the pop world.・・・
http://www.woodlands-junior.kent.sch.uk/customs/questions/music.htm
 実際、クラシック音楽に関して言えば、日本人が聞いたことがある作曲家としては、パーセル(コラム#2789)、エルガー、ヴォーン・ウィリアムス、ブリテンくらいじゃないですかね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Classical_music_of_the_United_Kingdom
<大>
≫アイルランド系ではなく、スコッチ・アイルランド系≪(同上)
 アイルランド系にも色々あるんですね。
 すみません、知りませんでした。
 勉強になります。
 お示しのコラムも読んでみます。
<太田>
 粗っぽく申し上げれば、米国がイギリスと異なるところがあるとすれば、それはスコッチ・アイルランド人のせいだ、と考えてよいと思います。
<大>
 太田さん、お体にお気をつけてがんばってください。
 次の選挙では、何が起ころうと民主党に投票するつもりでいます。
<太田>
 どうもありがとうございます。
 
 「日本経済新聞社とテレビ東京が<4月>24―26日に共同で実施した世論調査で、麻生内閣の支持率は3月の前回調査から7ポイント上昇し、32%となった。不支持率は8ポイント低下し59%だった。自民党の支持率は前回から3ポイント上昇し36%で、2ポイント低下した民主党を2カ月連続で上回った。・・・
 次期衆院選の比例代表の投票先は自民が3ポイント上昇して31%になり、横ばいだった民主と並んだ。昨年12月からの4回の調査では民主が自民を上回っていた。」
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090427AT3S2600L26042009.html
 カネまみれで首相になりたくない党首をいただいた、政権奪取をしたがらない議員達からなる民主党!
 民主党議員は、全員精神疾患を疑った方がいいかも。
<深雪>
 <コラム#3233でやった音楽の話の続きですが、>私、フジコヘミングの抒情が好きなんです。
 だから<リストの>カンパネラ
http://www.youtube.com/watch?v=3IXxB2wLoxQ
http://www.youtube.com/watch?v=xNzzF0M5hB0&feature=related
 ショパンのノクターン <1番>
http://www.youtube.com/watch?v=e7TvhCfUbbo&feature=related
 リスト <の愛の夢>
http://www.youtube.com/watch?v=7OfHoXJh9wg&feature=related
 これら定番は自分の車の中やPCでミクシィや原稿待ちしながら聞きます。
 通というほどには、クラシックコンサートにはいかないんですが、たまに行くベルリンフィルあたりのオーケストラの生の音はさすがですね。重厚感と安定感は素晴らしいものがあります。
<太田>
 フジコ・ヘミングの一番最初のカンパネラは絶品ですね。
 後の2曲は、自分でも弾いたことあるけど、ノクターン1番は、もうちょっとメリハリがあった方が僕は好きだ。
 クラウディオ・アラウの演奏と比べてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=uBRCOM5xov4&feature=related
 愛の夢も、ちょっと私の解釈とは違う。
 (同じ女性で比較すると)仲道郁代(コラム#3067、3073、3095)の解釈が私とほぼ同じです。
http://www.youtube.com/watch?v=AFbYtma9joQ&feature=related
<深雪>
 カンパネラは、キーシンや
http://www.youtube.com/watch?v=5y9Wiqsd9xY&feature=channel_page
ユンディー・リー
http://www.youtube.com/watch?v=hEnfZjqMSy0&feature=channel_page
の方が、ドラマチックで切れがあってより天才的だって思うんだけど、フジコの生きざまの抒情が切なくていいの。
<太田>
 キーシン、この曲を演奏する時に限らず、ちょっと馬力にまかせて乱暴なんじゃない? 汗を飛ばしながら演奏するって、明らかにやりすぎだよ。
 ミスタッチも結構あるしね。
 また、リーについては、「<ユンディー・>リーの演奏は、・・・テンポが速過ぎる点が気になるほか、・・・弾き流しているという印象を免れず、ラフマニノフやルービンシュタインと比べると、はっきり見劣りがします。」(コラム#2950)、「ランランとユンディー・リーの二人に共通するのは、「品質」へのこだわりの欠如(=弾き流してしまうこと)と知的財産を創造する域に達していないこと(=独創性の欠如)で・・・す」(コラム#2952)と、中共論にからめて酷評してきました。
 彼によるカンパネラの演奏についても、途中まで、やはり弾き流している印象があります。
 ただ、曲の最後のところは、テンポがやや速すぎる点は気になるものの、見事な演奏だと思います。ちょっと見直しました。
 ちなみに、コラム#2950で「リーはまだ若いので、これからもっとうまくなるかもしれません・・」と記したところです。
<深雪>
 キーシンやリーは、若いし男の子だから、パワーがあるよね。
 フジコは人生の年輪を音に見る感じで優しい。
 その辺の差が如実に音に表れてて、何を取るのか人生観とか価値感が試されている感じがする。
 基本的に私は秀でた才がすきなの。
 でも、人生テクニックや才だけがいいんじゃないことくらい、学んだつもり。
>フジコ・ヘミングの一番最初のカンパネラは絶品ですね。
 フジコの売りのひとつがそれですから、やはりいいですよね。
 とくにスタジオ音源はベストの演奏に近いでしょうから。
 でも、ライブの魅力には及びませんよね。生は空気感とか、奏者とオーディエンス双方が作る会場の感動とかがあるからですよね、たぶん。
>後の2曲は、自分でも弾いたことあるけど、ノクターン1番は、もうちょっとメリハリがあった方が僕は好きだ。 クラウディオ・アラウの演奏と比べてみてください。
 この方のピアノにも、老成したというと怒られそうですが、人生の重みが乗っているようで心にすっと沁み込んできますね。
 何事によらず、技術が整ったところからが本当のスタートですから、上手に年を重ねた人の紡ぎだす抒情はそこに深い感動を呼びしびれます。
>愛の夢も、ちょっと私の解釈とは違う。 (同じ女性で比較すると)中道郁代の解釈が私とほぼ同じです。
 このへんの太田さんの感想。解釈とくるあたりは、ピアノ弾きの感情だなぁと思わされます。
 そこに実際にスコアを読み解く人の知性や個性が乗りますもんね。
 ピアノはいいですよね。
 ジャズピアノで、キースの即興のいいのがありますよね。
 逸話付きでいつか投稿させていただこうと思っています。
<太田>
 深雪さんは、引き出しをたくさんお持ちですね。
 今度はどんな引き出しからどんなものが飛び出してくるのか楽しみです。
 では、記事です。
 日本における共産党の復活をガーディアンがとりあげています。
 While the leaders of Japan’s two main political parties battle poor opinion poll ratings and accusations of sleaze, the Japanese Communist party (JCP) has seen its fortunes transformed after years of being dismissed as an irrelevant hangover from the cold war.
In the last 16 months membership has soared to more than 410,000 as the revamped party courts younger voters from the working poor. Of the 14,000 people to have joined since the end of 2007, about a quarter are aged under 30, the party says. That contrasts with the ruling Liberal Democratic party (LDP), whose membership has plummeted from 5 million at its peak to about a million today.・・・
 ・・・The circulation of its official newspaper Akahata (the Red Flag) has risen for eight straight months to 1.6m, although it is still a long way short of its 1980 peak of 3.5m.・・・
http://www.guardian.co.uk/world/2009/apr/27/japanese-communist-party-resurgence
 共産党が、現行憲法制定時にとっていた、軍隊必要論(憲法9条批判)のスタンスに復帰すれば、文字通り大化けする可能性があるのにね。
 脂肪の中に含まれているオレイン酸(oleic acids)が哺乳類の体内で記憶増進物質に変換されることが分かりました。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8020218.stm
—————————————————————————-
太田述正コラム#3242(2009.4.28)
<パキスタン解体へ(?)(続)(その2)>
→非公開