太田述正コラム#3294(2009.5.25)
<皆さんとディスカッション(続x496)>
<Chase>(2009.5.24)(http://blogari.zaq.ne.jp/fifa/
 ・・・日本人は、(おしなべて)もしインフルエンザをうつされたらどうするのかといった感覚で、確率は頭の片隅にも上ることなく、条件反射のようにマスクを着用する。
 端的にいえば、程度の問題ととらえず、常に0か1かの発想に偏重しがちだ(典拠は私の感覚)。
 付け加えれば、今や日本中に盤居し尽くしているアノミーにより、あっさりとパニックへと一丁上がりだ。
 少し次元が逸れるが、「責任が持てるのか?」、「~なったらどうするのか?」、「~いわれたらどうするのか?」なんて脅されて、具体的な事柄が資料から消えていくのは、官界のみならず、産業界も含め、広く日本社会に見られる日常の光景である。
 子供たちにもこの感覚は蔓延している。何かいうと、”絶対?”とかのお馴染みのフレーズを連発するのは、もはや民族のDNAに染み付いている証拠だ(典拠なし)。
 このことは、いわゆる集団主義の文脈で、日本人のキャラとしてよく槍玉に上がるやつだが、本件においても背後には、日本人の確率の感覚の乏しさが潜んでいる。
 何かあったときの責めよりも、書いてしまったこと自体の責めで、我々日本人は日々消耗しているのが実態であろう(典拠は私の感覚)。
 CIAの企画立案ではあるまいに、末梢的事柄について最悪をいつも想定してしまって予防線を張ることは、結果的に無駄な作業・時間を作り出すことになる。
 かくして?日本には膨大な予防産業が発生することになった。
 なんとなんとそれは自衛隊に他ならない。
 脅威なんてまるで無いのにお門違いの装備に励んできたとのこと。
 「米国に対する言い訳の産物」と、いまやわが国最高レベルのテーゼとして名高い太田テーゼであるが、確率論の感覚の乏しさも、そのことを助長しているのではないかと思う。
 余談だが、米政府はマスクの効用に否定的である
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090513/amr0905130316001-n1.htm
が、属国である日本人は、この件については、米国に従順でないようだ。
<太田>
 典拠に係る括弧書きの部分には笑っちゃいました。
<Chase>(同上)
 ・・・植田<信>さんが以前・・・カレル・ウォルフレンの1987年に「フォーリン・アフェアーズ」の冬季号に掲載された論文<(>日本語に翻訳され、「中央公論」に掲載された<もの)を>引用されていた・・・。
(引用開始)
 日本はほかの国と同じような主権国家である、という虚構がある。
 ここで言う、ほかの国と同じような主権国家とは、自国にとって何が善であるかを認識し、国家的意思決定の最終責任を引き受けることのできる中央政府機構を備えた国家、という意味である。
 外交はこれを当然のこととして前提しなくてはならないから、この幻想はなかなか払拭しがたいのである。
 しかし実際には、日本における政治術(ステートクラフト)は、ほかのアジア諸国や欧米のそれとはまったく違う。
 日本は過去数世紀もの間、互いに権力を分かち合う半自立的な諸集団間のバランスを注意深く保つ姿勢を、ずっと維持してきた。
 私はこれを日本(ジャパニーズ)システムと呼ぶが、今日におけるその最も強力な構成要素は一定の官僚グループ、一部の政治派閥、そして実業家たちの集団である。
 ほかに、これらに次ぐ有力構成要素として、農協、警察、報道機関、やくざなどの集団がある。
 こうした半自立的な構成要素は、それぞれに強大な自由裁量の権能を保持しており、決して一つの中央統治機構に代表されてはいないのである。
(引用終了)
 外国の一流の識者なら、bird’s eyeにより、日本のシステムは一瞬にして見えてしまうのであろう。日本人だけなら未来永劫出てこない発見である。
<太田>
 ウォルフレンの文章は、植田さんが私の『実名告発 防衛省』について論じる中で引用されたものです。
 Chaseさんが、改めて引用されたので、この際、一言申し上げます。
 植田さん、Chaseさん、そしてこのお二方と同じような問題意識を持つ読者の方々は、コラム#40、42、43(「日本型経済体制」シリーズ)に目を通された上で、図書館ででも、拙稿、「「日本型経済体制」論 ――「政府介入」と「自由競争」の新しいバランス」(『日本の産業5 産業社会と日本人』(筑摩書房1980年6月)に収録)をお読みいただければ幸いです。
 ウォルフレンの言っていることは当たらずといえども遠からずですが、問題はどうしてそうなっているのかでしょう。
 これを論理的に解き明かそうとしたのがこの拙稿ですし、歴史的に説明しようとしたのが、私のこのコラム上で展開してきた日本史論・・縄文/弥生モード論、戦前論、戦後論(属国論)・・なのです。
 こんなことを申し上げるのは、植田さんがご自分のブログで最近書かれているものを拝見していると、(植田さん怒らないでくださいね、)20~30年前の悪戦苦闘していた私の姿を思い出すからです。
 私は、小学生当時から、諸外国と比較しての日本のユニークさ、そして社会に出てからはこのことと密接に関連しているところの、日本の自衛隊なるものの異常さ、に直面させられ、その解明に取り組んできました。
 悪戦苦闘したのは、直接参考になるような論文や本が、日本人のものにせよ、外国人のものにせよ、ほとんどと言ってよいほど見あたらなかったからです。
 こういうわけで、試行錯誤を重ねつつ、今から5~10年前になって、ようやく自分なりの「結論」に到達することができたように思います。
 もとより、私の「結論」が絶対正しいとなどと言うつもりはありません。
 ただ、上記拙稿や、(既にある程度目を通されてはおられる方が多いとは思いますが、)私のコラムを読み込んでいただけば、余計な悪戦苦闘をされる時間と労力を省くことができ、皆さんが効率的に更に研究を深めていただくことができるのではないかと思うのです。
 
 では、記事の紹介です。
 最初に、昨日の紹介し残し分からです。
 内戦とは何ぞや、が簡明に説明されています。
http://www.nytimes.com/2009/05/24/weekinreview/24bowley.html?ref=world&pagewanted=print
 以下、本日の分です。
 ご存じの通り、北朝鮮が2度目の(地下)核実験を行った模様です。
http://edition.cnn.com/2009/WORLD/asiapcf/05/24/nkorea.nuclear/index.html
http://www.asahi.com/international/update/0525/TKY200905250143.html
 ケネディの大統領時代に1年半にわたって彼の愛人となった、当時のホワイトハウス職員の女性が自ら名乗り出ました。
 当時のホワイトハウスは、江戸城の大奥みたいな所だったようです。(ただし、大奥と違って将軍(大統領)以外の男性もいましたが・・。)
http://www.guardian.co.uk/world/2009/may/24/jfk-secret-affair-intern-book
 私の昨日のコラムのせいではないでしょうが、ノ・ムヒョンと陳水扁を一対のものとして台北タイムスが報じました。
 ・・・Roh’s suicide attracted widespread attention in Taiwan, with some expressing concerns that Chen, being in a similar situation, might contemplate suicide.
 Not only have the two both been implicated in corruption cases, Roh and Chen share other traits that have drawn attention to the similarity. Both came from poor farming families and were human rights lawyers before going into politics.
 In both cases, the graft scandals involved the families of the former presidents.
 The detention center yesterday said it would keep a close watch on Chen. He appeared to be emotionally stable and went about his usual activities yesterday, it said.・・・
http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2009/05/25/2003444502
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太田述正コラム#3295(2009.5.25)
<日進月歩の人間科学(続x5)(その2)>
→非公開